「キラキラネーム難読ランキング100選!読めない順に紹介【2022最新版】」というサイトによると、難解な子供の名前(通称キラキラネームのベスト5は以下のようである。
1位:皇帝(しいざあ)
2位:七音(どれみ)
3位:主人公(ひーろー)
4位:愛羅(てぃあら・あいら)
5位:黄熊(ぷう)
大方の漢字の読みは想像の範囲らしいが、子供の将来のことを思えば親の好みというのか我が儘と済ますには疑問を感じてしまう。
しかし世の流行には逆らえないのか、政府の、「『光宙』を『ピカチュウ』、戸籍記載『キラキラネーム』容認へ…法制審中間試案」といういう動きを見ると、この傾向は当分続くのであろう。
さて、今日は昨日に引き続きで、全然読めない…関西の難しすぎる地名・駅名(後半)をお届けする。
【柴島/大阪府大阪市】
大阪府大阪市東淀川区の「柴島(くにじま)」。「しば」と読む人がほとんどと考えられる「柴」の字が「くに」と読まれるようになったのは、この地が平安時代という古来より「クニキ島」と呼ばれていたことが語源にあるとのこと。 当時は「国島」と、そのまま読みやすい漢字が充てられていたものの、いつしか「柴」の表記に変化。馴染み深い読み方はそのまま残されることになったそうである。他にも「国木島」と書かれることや、「茎島(くきじま)」という別名もあったらしい。 現地の「柴島神社」で仲衷天皇と共に産土神として祀られている小祠が、柴の束に乗り漂着したという伝承も語源のひとつ。「シバじまと読んでしまう」「『くに』には馴染みがなさすぎる」「簡単な字だから間違えたことに気づかなそう」という声が挙がっているという。 |
【私市/大阪府交野市】
他の地でも見かけそうなほど一般的な感じの組み合わせながら、その読み方は思いつかないものという変化球の地名が大阪府交野市の「私市(きさいち)」であろう。 その由来は、なんと『日本書紀』にはすでに「私部(きさいちべ)」として登場しているほど古くからの伝統。「后(きさき)」にまつわる役所「私府(きさいふ)」が置かれ、従事する人たちは「私部(きさいべ)」や「私官(きさいかん)」と呼ばれていたという。 「私部内(きさいべのうち)」ともいわれたこの場所がいつしか省略され、現在の「私市(きさいち)」になったとのこと。 「一見簡単そうな字ほど読み方が難しかったりする」「見慣れた漢字にもかかわらず、思いもしない読み方」と、馴染みのなさが難しさに繋がっているようである。 |
【放出/大阪府大阪市】
大阪府大阪市の「放出(はなてん)」。日常の慣れで「ほうしゅつ」と読んでしまいそうですが、思いもしない読み方となっています。由来は、この地がほぼ海抜0mといわれる低い場所に位置していることが関係しているらしい。 現在は平地化している河内湖の水を淀川へと放出する地点であったことから「放ち点」と呼ばれ、それが次第に訛ったことで「はなてん」になったとのこと。さらに、日本神話で「三種の神器」とされる「草薙剣」を奪った犯人が、神の怒りに触れたと恐れて手放した場所とも言われているとのこと。「関東の人にはわからないだろうね」「よほど詳しいか、関西圏の住民でなければ読めない」と、他地域の人には恐ろしく難解なこの地名。スラッと読めるかどうかで、どの地域出身なのかわかるかもしれないともささやかれている。 |
【河堀口/大阪府大阪市】
大阪府大阪市阿倍野区の「河堀口(こぼれぐち)」。788年、和気清麻呂によって洪水対策として行われた猫間川河岸の開削工事に際し、堀川が「河堀(こぼり)」と呼ばれていたことが発端。 河堀はいつしか訛りによって「こぼれ」と呼ばれるようになり、ちょうど開始地点であった場所が「河堀口(こぼれぐち)」として広がり、現在まで受け継がれたというのが全容といわれている。 気が遠くなるほどの古来より伝承されていたこの名称。「使用されている漢字を知っていても読めません」「読める人いる?」「まだまだ知らないことがいっぱいあるもんだ」と、驚きの声が各地から上がっているらしい。 |
【雲雀丘花屋敷/兵庫県宝塚市】
兵庫県宝塚市雲雀丘の「雲雀丘花屋敷(ひばりがおかはなやしき)」。1910(明治43)年に宝塚線が開業された際に誕生した「花屋敷駅」と、1916(大正5)年に設置された「雲雀丘駅」が合併し、1961(昭和36)年に現在の華やかな名称へと至りました。 大阪の中心地ともいえる「梅田駅」から宝塚線に乗ると、終着駅にあたるこの駅。合併前には2つのうちどちらの駅を残すかという点で国を巻き込んだバトルとなり、最後には双方の自治会長がジャンケンをすることで確定したという有名なエピソードまで残っているという。 それにも関わらず、文字列を目にした人たちからは「イントネーションすら想像できない」「駅名として長すぎる」「中国の地名みたい」と、赤裸々なコメントが集結。確かに、ゴージャスな文字並びから受ける印象はインパクト大といえるかもしれないのだが、思いもつかないほどの難読漢字がズラリとそろっていた千数百年を超える関西エリアの歴史を改めて感じさせられる。 |