新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

死者に鞭打ちながら共犯者も責任をとれ

2023年09月19日 11時16分20秒 | マスメディア

「烏の鳴かぬ日はあれど維新議員の不祥事は尽きぬ」ということが、またもや発覚した。
 



 
旧統一協会に対して「過料」を課すとか、あたかも「解散」を目指すなどと言っていたが、文科省配下の文化庁長官の過去の旧統一協会との深いかかわりについては大手メディアはスルーするのか?
 

 
さて、岸田文雄第二次改造内閣に対する問題だらけの閣僚や、男だらけの副大臣や政務官たちへの一通りの批判は終わらったらしいのだが、首相補佐官の人事については、表立った批判記事は少なかった。
 
これに関しては、政界の裏事情に詳しい政治ジャーナリストの安積明子がこんな記事を書いていた。 
 
『人事の岸田』がほくそ笑む…元野党議員を取り込んだ『恐ろしすぎる思惑』
 
■元野党議員が政務官に
第2次岸田第2次改造内閣の最大の目玉は、国民民主党の参議院議員だった矢田稚子氏の首相補佐官就任ではなかったか。矢田氏は2016年の参議院選で、民進党の公認候補として比例区で当選。2018年に国民民主党に参加して副代表を務めたが、2022年の参議院選では15万9929票を獲得しながら落選した。
この時、自民党の越智俊之氏は11万8710票で最下位当選を果たし、立憲民主党も石橋通宏氏が11万1703票を獲得して3期目を制した。日本維新の会に至っては、最下位当選の青島健太氏の得票数は3万3553票に過ぎず、矢田氏の得票数よりはるかに少ないのだ。
にもかかわらず、矢田氏が落選したのは、国民民主党が比例区で315万9625票しか獲得できず、3人しか当選させられなかったことが原因だ。そもそも国民民主党は2022年の参議院選で「比例区で500万票の獲得」を目標に掲げたものの、その6割程度しか果たしていない。
落選後に会った矢田氏は、「次の選挙は出ない」とやや厳しい表情で筆者に語った。ちょうど、矢田氏が支持母体の電機連合の政治アドバイザーを辞任した頃のことだった。それでも矢田氏は、議員時代に事務局長を務めた「政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟」の活動などに顔を出していた。その様子は「政治の現場でまだまだやりたいことがある」と言いたげに見えた。
参議院議員時代に取り組んだ少子化対策や子育て問題、とりわけ矢田氏自身が経験に基づいて訴えてきたヤングケアラーの問題は、ようやく国が調査に乗り出し、中学生の17人に1人、全日制の高校生の24人に1人が「世話をしている家族がいる」ことが判明。国民民主党は2022年2月、「児童福祉法の一部を改正する法案(ヤングケアラー支援法)」を参議院に提出した。
こうした業績を考慮するなら、矢田氏に補佐官として任せるべきジャンルは自ずから明らかになるはずだ。しかし岸田文雄首相は矢田氏を「賃金・雇用担当補佐官」に任命した。ちなみに矢田氏が在籍した国民民主党のスローガンは「給料を上げる。国を守る」で、賃金・雇用は国民民主党の“1丁目1番地”といえる政策だ。
よって岸田首相が矢田氏を首相補佐官に任命したことは、矢田氏の党籍がすでにないとはいえ、どうしても国民民主党に対する“取り込み”を連想させてしまう。さらに国民民主党が矢田氏が首相補佐官に就任したことを歓迎しているように見えることも、そうした印象を強めている。
■前例はあるものの…
だが厳密には、そうともいえない面もある。たとえば9月15日の榛葉賀津也幹事長の会見では、榛葉氏は冒頭発言で補佐官就任ニュースを紹介し、矢田氏を「元国民民主党の仲間」と述べたが、筆者が「矢田氏は現在の仲間なのか、かつての仲間なのか」と質問すると、「友達だ」と微妙にはぐらかした。
なお野党出身の元国会議員が自民党政権で補佐官に就任したのは、矢田氏ばかりではない。民主党政権時に文科副大臣を務めた鈴木寛氏の例がある。
鈴木氏は経済産業省から慶應義塾大学助教授を経て、2001年の参議院選で民主党の公認候補として東京選挙区で初当選した。2期12年の任期の中で文科副大臣を2期務めたが、2013年の参議院選で落選。その翌年10月には安倍政権で文科省参与に就任し、2015年から文科大臣補佐官を4期務めた。
しかし鈴木氏が矢田氏と異なるのは、初出馬の際には民主党のみならず自民党も、鈴木氏に政界入りを勧めた点だ。当時の自民党は内閣支持率が低かった森喜朗政権だったため、鈴木氏は民主党を選択した。
その一方で矢田氏は労組出身で、自民党から政治の世界へ誘われた可能性はほとんどない。それだけ自民党政権への距離は遠く、ハードルは高いといえた。
にもかかわらず、矢田氏が岸田首相からの「一本釣り」に応じたのは、政治の現場でどうしてもやりたかったことがあったからではないか。これは周囲から反対があったために実現しなかったが、今年4月に行われた大阪市長選に自民党側から出馬の打診があった時、矢田氏は前向きの姿勢を示したという。
そのような情報が官邸に伝わった結果、矢田氏の補佐官就任に繋がったのだろう。そして岸田首相は今度は矢田氏を“餌”にして、さらなる大物を釣り上げようとしているのだ。  
それは国民民主党なのか、あるいは労組なのか。岸田首相は今回の改造内閣を「変化を力に代える内閣」と命名した。ならば自民党にこれまでなかった異質なものを官邸に取り込むことこそ、岸田政権の力の源泉になるに違いない。そしてパワーを得た後、一気に衆議院解散に突き進む。「人事を尽くして天命を待つ」のではなく、「“人事”を描いて運命を紡ぐ」。それが岸田首相のやり方なのかもしれない。

 
「矢田氏を“餌”にして、さらなる大物を釣り上げようとしている」らしいが、素人が大物を釣り上げるには並大抵の努力ではかなわない。
 
むしろ、今後こんなことになるのではという、政界筋の見方もある。  
 
「労使交渉によって労働者の給料が上がるという構図が崩れ、来春の春闘からは名実ともに『首相が労働者の給料を上げてくれる』が現実化する。連合は民間労組と官公労が完全に分断され、崩壊の道を歩むことになる。連合会長・芳野友子が暗躍したわけではなく、自民党にうまく利用された結果に他ならない。国民民主党が連立入りしようが、閣外協力しようが、矢田を取り込むことで野党分断、連合の分断、連合票の自民党への取り込みは成就する。」
 
そもそも連合という組織は右派労組と左派労組の生き残りのための組織であったのだが、当時は「右と左」の合併を「+とー」に置き換えて「壮大なゼロ」と揶揄されていた。
 
さて、話はかわるが、8月7日の記者会見から1か月半もたつのだが、相変わらず「ジャニーズ」問題はくすぶっておりスッキリしない。
 
元経産省官僚がズバリ切り込んでいた。
 
ジャニー喜多川氏の行為は『レイプ犯罪』 テレビ局も損害賠償金を負担し責任者は辞職せよ 古賀茂明
政官財の罪と罰

 
日本という国はどんな国なのか。
ジャニー喜多川による数百人に対する性加害。そのかなりの部分は未成年レイプという人類史上稀に見る凶悪犯罪はそれ自体驚きだが、この事件をめぐる日本メディアの状況を知れば、世界の人々は二度驚くことになるだろう。
 まず、この犯罪の凶悪性、悪質性が日本では明確に認識されていないきらいがある。特に指摘すべき点を4つ挙げておこう。
 第一に、「性加害」という言葉の問題。日本のマスコミはこの表現を好んで使う。
 だが、単に「性加害」というと必ずしも暴行や虐待とは直結しない。これを英語にするときは、「sexual assault」または「sexual abuse」という言葉しかないのだが、これをもう一度日本語に訳すと「性的暴行」「性的虐待」となる。「性加害」よりかなり強い言葉だ。「レイプ」はこれらの中に含まれる最悪の犯罪形態である。
 ジャニー喜多川の行為は、現行刑法で言えば、不同意性交罪だが、ついこの前までは強制性交罪と呼ばれていた犯罪である。それ以前は被害者が男性の場合は性犯罪にはならず、女性に対する犯罪のみ「強姦罪」として処罰された。ジャニー喜多川の行為は、男性に対する「強姦罪」であり、いわゆる「レイプ」犯罪である。これが数百人の少女に対する犯行だとしたら、世論の反応はどうであろうか。人々の憤りは烈火の如く燃え広がり、問答無用でジャニーズ事務所解体!となっていたのではないか。「性加害」という言葉を使うことで日本語での語感が弱められてしまうので、ここでは、あえて「レイプ」という言葉を使うことにより、女性に対する性暴力と同じ意味を持つ行為だということを明確にしておきたい。この言葉を聞くことにより、多くの人々はドキッとし、より強い気持ちで「酷い」と思うはずだ。
 第二に、犯罪の対象が未成年者であること。自分や身近な人の子供がレイプされることを想像してほしい。ますます「許せない!」となるだろう。
 第三に、一度ではなく、同じ子供に対して繰り返しレイプが行われたということ。一度でも取り返しのつかない心の傷を負わせるのに、それを何度も行っていた。精神的殺人といっても良いだろう。総件数でいえば、数百件になるとされている。驚きの犯罪規模だ。
 第四に、優越的立場を悪用した卑劣な犯罪だということ。物理的な暴力を使わなくても、抵抗する術を知らない子供を「手籠にした」のだ。暴力以上に卑劣な手段ではないか。いくら憎んでも憎み足りないと感じる人が多いのではないか。
 これだけの犯罪を行った人間に対しては、もし生きていれば最高刑が科されただろう。殺人は犯していないので死刑にはならないが、複数の犯罪を犯しているので、不同意性交罪の加重刑の最高刑である30年の拘禁刑にすべき事案だ(拘禁は、懲役と禁錮を統合してできた刑事罰で、2025年までに施行される)。
 以上のことを確認した上で、9月7日のジャニーズ事務所の記者会見を振り返ってみれば、ほとんどの人が、「ふざけるな!」と感じるのではないだろうか。
 ようやく事実関係を認めたのは前進などという人もいるが、これだけの大犯罪を隠し通せるわけがない。悔い改めて認めたのではなく、追い詰められて自分たちの保身のために自白したに過ぎない。
 その証拠に、前社長の藤島ジュリー景子氏は代表取締役に残り100%株主として君臨する。ジュリー氏の幼馴染で、自らもセクハラ・パワハラ疑惑の渦中にあるジャニーズ事務所所属最古参のタレント東山紀之氏が社長になる。そしてジャニーズの名前は残す。
 はっきり言って、何も変えないと言っているに等しい。
 ジャニーズタレントが可哀想だという芸能記者の記事を載せる媒体もあるが、これもまた人権感覚ゼロの変われない勢力の一部である。
タレントが可哀想かどうかは、個別に判断すべきだ。東山氏などは、むしろ加害者側にいた可能性があるので、まずは東山氏の性加害を受けたという被害者の声を聞いて、それに白黒をつけるべきだろう。
 そうした疑惑のないタレントについては、テレビ局などが他の事務所を紹介するか独立させるなどして、ジャニーズ事務所を介さずに出演する道を開けば良い。ジャニーズ事務所への忖度で出させてもらっていたタレントは、この機会に仕事を失うことになるかもしれないが、やむをえない。
 むしろ、これまで、実力がありながらジャニーズ事務所のせいで出演できなかったタレントには新たに公正な機会が与えられるので望ましい。視聴者にとってもその方がプラスだ。
 被害者救済について、ジャニーズ事務所は会見で、独立した第三者の委員会を設けて、時間的な制約なく、厳密な証拠も求めない柔軟な方針で進めるという趣旨の発言をした。
 これは評価に値すると思ったのだが、13日に発表された被害者への補償策を見るとほとんど具体性がなく、本気度が疑われるものになってしまった。
「被害者救済委員会」が設置されるが、そのメンバーの独立性が担保されていない。本来は、日本弁護士連合会の推薦によるなど独立性の保証を明確にすべきだった。また、補償の基準も示していない。これではどんな救済になるのか全く不明のまま相談に来いと言っていることになる。あまりにも横柄な態度ではないか。
 また、今後1年間は広告出演と番組出演などで発生する出演料は全てタレント本人に支払い、芸能プロダクションとしての報酬は受け取らないとしているが、それは、タレントが逃げ出さないように予防策をとっただけだと考えた方が良い。そもそも、1年だけという理由も不明だ。1年経てば批判も収まると考えているのだろうか。
 今回の救済策では、ジャニー喜多川の性加害だけが対象となっている。東山氏など他のメンバーの疑惑については蓋をするという宣言でもある。
 救済の原資も不明だ。ジャニーズ事務所の財産に限定するつもりかもしれないが、それは許されない。ジュリー氏の個人財産も拠出すべきだ。彼女の財産も元を正せば未成年者を犠牲にして得た利益である。それを守ることは正義に反することだと誰にもわかるだろう。
 ジャニーズ事務所の次に問題となるのは、テレビ局だ。
 多くの識者が指摘するとおり、テレビ局は完全な共犯者である。問題を知りながら目を瞑り、ジャニーズ事務所に忖度して一切問題の真相を明らかにしようとすることなく、裁判でジャニー喜多川が敗訴した時でさえ報道を抑え、多くのジャニーズタレントを使い続けた。
 そこで、テレビ局は、過去に遡って、報道のタイミングがあった時になぜそれをしなかったかの事実関係について詳細な検証を行うべきだ。その検証は、誰がいつどのようにして報道を抑えたのかを具体的に明らかにしなければならない。あるいは、不作為の責任も追及する必要がある。そして、それらに対する責任者の処分を行うことが必須である。
 さらに、責任の一端を担う形で、被害者賠償に対して資金提供すべきだ。
 今回の問題について、テレビ局は非常に軽く考えているようだが、それは、これが過去の話だと勝手に思い込んでいるからだろう。「過去のことは謝ります、将来については気をつけます」で済むと思っているのだ。
 しかし、残念ながら、これは過去の問題ではなく、現在の問題である。
 私があるテレビ局関係者に聞いたところ、ジャニーズの件は、記者会見など外部で動きがあればやむをえず報道するが、自分たちの問題を取り上げて検証するなどあり得ないという。誰かが命令する必要もなく、ずっと前から、ジャニーズ関係のスキャンダルの報道は御法度だった。それは今も同じで、トップの意向ははっきりしていると言い切った。
 この局は、会長の独裁体制で、ジャニーズ問題への対応が特に後ろ向きだということで知られているのだが、他の局でも、程度の差こそあれ同様の状況があるようだ。
 NHKが「クローズアップ現代」で検証報道を行ったと話題になったが、前述した本物の検証には程遠く、アリバイづくり以外の何物でもなかった。検証の結果誰に責任があるのかなど、全く明らかにされていない。これでは、将来同じことが起きても、また誰も責任を取らずに終わるだけ。この程度の検証では、将来への歯止めにもならない。
 ちなみに、日本のマスコミがこの問題を取り上げざるを得なくなったのは、被害者たちの実名告白もあるが、何よりも、今年3月に放送された英国BBCのドキュメンタリーが最大の要因だ。同じ報道機関でありながら、ここまで姿勢が違うのかと、一部の国民は驚愕した。
 そのBBCは、元人気司会者ジミー・サビル氏による児童性虐待の問題が、2011年の同氏の死後明らかになった後、責任を認めて、同氏の遺産に加えて損害賠償資金を提供した。この事件については、Netflixが昨年検証ドキュメンタリーを配信して話題になったので、ご存じの方もいるだろう。
 そして、その時の教訓がしっかりと生かされていることがつい最近の出来事で明らかになっている。BBCのある司会者が10代の子供に性的な写真を要求し、金銭を払い続けたとする報道があった後、単なる疑惑段階で、BBCは警察にコンタクトし、この司会者を出演停止にしたのだ。
 過去のことでもしっかり責任を取り、次の事態で教訓を生かす。日本のテレビ局とは天と地ほどの差がある。
 日本のテレビ局が変われないという話を書いたが、おそらく彼らも逃げきれなくなる時が来たようだ。
 まず、スポンサーが脱ジャニーズで動き出した。テレビ局はそれに向き合わざるを得ない。
 さらに、この問題がBBCで報じられた後もなお説明責任を果たすこともなくジャニーズタレントを使い続け、事実であるとジャニーズ事務所が認めた後でさえジャニーズタレントを使い続けるテレビ局は苦しい立場に立たされる。担当プロデューサーの責任ですということでは済まないはずだ。ことの重大性からいえば、経営トップは辞職に値する。
 この問題がどうなるのかについて、あるテレビ局関係者は、「カギは文春ですよ」と小声で囁いた。真っ先にこの問題を報じながら、すべてのテレビ局に黙殺された「週刊文春」が手ぐすね引いてテレビ局批判を展開するだろうというのだ。
 残念な気もするが、それに期待するしかないのが、日本メディアの現状である。

 
大手テレビメディアは最大の「共犯者」かもしれず、自らの自浄作業ができないならば、単にジャニタレの排除だけでは済まされない、とオジサンは思う。
  

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