新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

旧統一協会を解散させないと「朝日新聞は二度死ぬ」

2023年02月06日 13時31分42秒 | 岸田統一教会内閣

岸田文雄の今月2日は「岸田首相の一日 2月2日(木)」によれば午前も午後も国内にいたのだが、なぜか当日の予算委員会には出席していなかった。
 
その日の予算委員会では共産党の宮本岳志が朝日新聞阪神支局襲撃事件の赤報隊と国際勝共連合の関係をただす質問をしていた。

(14分50秒ころから)
 
このビデオを見て、覚醒した本澤二郎は2日間にわたってブログでこう書いていた。
 
統一教会の黒幕<本澤二郎の「日本の風景」(4704)
 

<共産党の宮本岳志の天地揺るがす爆弾質問=朝日新聞阪神支局襲撃事件の赤報隊と国際勝共連合の関係疑惑の大衝撃>
無関心は怖い。昨日は2月2日の共産党・宮本岳志の衆院予算委員会質問をYoutube動画で見て愕然とした。萎んでいた風船が一遍に膨らんだ。法律家や在京政治部長会の仲間らに確認すると、35年前の朝日新聞襲撃事件の犯人は統一教会の武装チームの仕業だったという!?
 インターネットで朝日新聞と統一教会にアクセスすると、沢山の証拠の資料が出てきた。何ということか。知らなかったのは、凡人ジャーナリストだけだったようだ。朝日取材班や兵庫県警や警察庁などは知っていたのだ。
 わかってみると、膨らんでいた風船はすぐにしぼんでしまった。「日本の終わりの始まり」に腰が折れてしまった。この国は法治国家ではなかった。日本の行政が死んでしまっていたのだから。
<カルト教団の銃撃に35年前に死んだ朝日新聞と岸・福田・安倍の清和会に殺された日本の警察>
 7・8安倍晋三銃撃事件によって、事件モノを軽視してきた政治記者は、文鮮明のカルト教団の統一教会国際勝共連合と機関紙世界日報を、強力に支援してきたA級戦犯グループの岸信介や笹川良一の戦後史に書き換える必要に迫られている。
 朝日阪神支局の襲撃事件は、跳ね上がりの極右団体の仕業であろうと予測して、それ以上の興味を失っていたのだが、実は事件当初からの脅迫状が「とういつきょうかいこうげきやめろ」式の朝日新聞や共同や時事の通信社に届いていた。このことを全く知らなかった。
 地元の兵庫県警は統一教会捜査に本腰を入れていた。オウム・サリン事件でも大失態を演じた日本の警察だが、朝日襲撃事件捜査でも「やめろ」の指示が出ていた!?岸・福田・安倍の清和会による圧力であろう。
 極右清和会には現役のころから違和感を抱いてきたが、確かに怖い不気味な派閥かもしれない。第一、戦争責任を感じない政治勢力を信じることは土台無理だ。
 若いころから購読してきた朝日新聞をやめてどれくらい経つだろうか。おそらく30年以上だ。この機会に統一教会と清和会に屈した朝日新聞は、もはや再生は困難と判断するしかない。日本の大事な情報源喪失である。
 事件の翌年に、世界日報社長と朝日新聞の役員と編集局次長が手打ちをしていたことも露見しているではないか。今回の統一教会の朝日報道は、週刊誌の後追い記事ばかりであることも、関係者の間で評判になっている事情もわかった。
<朝日ジャーナル編集長・筑紫哲也脅迫文の威力に衝撃>
 国会の宮本質問の中に、当時朝日ジャーナル編集長をしていた筑紫哲也への脅迫文があった。「文鮮明のためなら人殺しも平気でするようなものが100人もいる。警察も味方。岸がついている」という趣旨も明かされた。正に事実であろう。
 仰天したが、なんのことはない朝日関係者も警察も、当初から犯人を特定していた。武装チームの脱会OBもいる。警察庁はそれでも自由にさせている?すごい民主主義の日本であろうか。
<岸田の統一教会解散は単なるポーズ>
 一度は岸田に騙された国民は多かった。即座にカルト教団を解散させると思い込ませたが、そんなことはない。安倍の後継者として五輪疑惑の森喜朗が萩生田光一を統一教会の代表として首相に祭り上げようとしているが、そんな危険人物を菅義偉までもが後援していることも分かった。
 韓国人・文鮮明を慕う日本人がまだ数万人いるという。彼らの仕事は金集めと票集めだ。創価学会とそっくりではないか。日本人とはなにか?考えさせられるばかりだ。岸田が戦争ごっこにはまるのも故なしか。
 宮本質問に麻生のようになかなか名前の覚えられない学習院OBの永岡文科相が答弁に立った。時間切れを待っているかのような、すっかり統一教会問題の峠は越えたとばかりの不真面目答弁を繰り返していた。野党と国民をなめているのであろうか。
<名称変更時の下村博文面談記録も公表できないと永岡文科相>
 統一教会の名称変更時の下村博文も再び話題になった。統一教会との面談記録だ。「開示せよ」との訴えを文科省の小役人は蹴った。永岡もである。
 国会も死んでしまっている。残されている手段は、選挙で統一教会・神社本庁・創価学会と善良な国民との乾坤一擲の戦いとなるのか。軍靴の音がますます響き渡ってきているではないか。
2023年2月4日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)

 
35年の眠りから覚めて<本澤二郎の「日本の風景」(4705」   

<朝日阪神支局襲撃事件の再捜査にひるむ国家公安委員会の無様>
 凡人ジャーナリストは2月2日の衆院予算員会での宮本岳志質問のYoutube動画を見なければ、まだゆでガエルの仲間の一人だったろう。いまは覚醒した。警察庁が特定した重大犯罪を見逃していた、というよりも清和会圧力に屈していたのであろうから、その罪は万死に値する。
 岸・福田・安倍はいない。圧力なべの蓋は開いている。再捜査すべきであるが、宮本質問に谷という国家公安委員長は、15年の公訴時効を口実にして逃げた。冗談ではない。谷は政治屋としても失格である。岸田内閣には骨のある政治家がいない。一人もいない。
 萩生田や西村、松野ら小者の統一教会派に屈しているのであろうか。清和会・統一教会退治が、依然としてこの国の前途を決めている。確かにネット情報を開けてみると、銃を手に持つ文鮮明の写真や、配下の武装チームの姿が沢山映っている。
 このままでは、散弾銃を持つ文鮮明に支配された日本を受け入れることになるが、警察庁は散弾銃が怖いのか。警察が駄目なら自衛隊のミサイルで対抗することも可能であろうが。
<A級戦犯派閥の清和会や笹川ギャンブル財団に配慮か>
 公務員は全体の奉仕者であって、清和会・統一教会の防護服であっていいわけがないだろう。黒い戦後史を解明する時だ。
 35年前のそのまた30年前から日本は、石橋・池田内閣を除いて黒い政治が太い一本の線で貫かれていた。そのことに気付いた日本を代表する朝日新聞が、統一教会の霊感商法という犯罪的金集めを糾弾する記事を、朝日ジャーナルと共に書きまくって、国民の命と財産を守る報道を徹底した。対して統一教会国際勝共連合は、岸や福田の支援を受けるような形で武器で反撃をしていたとは、恥ずかしながら2023年2月3日まで知らなかった。この辺の様子を現在ははっきりと理解した凡人ジャーナリストとして、岸や笹川らの黒い歴史に目を向けよと叫ばねばなるまい。
 国家公安委員長の宮本質問に対する逃げ腰の答弁が、岸田内閣の姿勢だとすると、35年の眠りから覚めない日本政府と警察庁ということになろう。由々しき一大事である。主権者として放任出来るわけがない。
 税金泥棒警察の汚名返上を期待しつつ、野党の厳しい追及を求めたい。

 
「35年前に死んだ朝日新聞」に関する関連記事がいくつか見つかった。
 
昨年7月8日に安倍晋三が銃殺され即死した後に、同志社大学小黒 純教授が「安倍氏殺害事件、国葬、旧統一教会の報道をめぐって」というサブタイトルで以下の論文を発表していた。  

ヘタレの朝日、物言う地方紙 安倍氏殺害事件、国葬、旧統一教会の報道をめぐって
 
内容はかなり濃く、長いので最後の一文だけを引用しておく。
 
「安倍氏殺害以降、約2週間のメディアの報道を、駆け足で見てきた。地方紙や一部のテレビのように、踏ん張っているメディアもあれば、朝日新聞のようにヘタレ具合が深刻なメディアもある。公権力に対して吠え続ける番犬は、健全な民主主義社会には不可欠だ。その番犬がおとなしすぎる。」  
 
元『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長だったジャーナリストの元木 昌彦は、やはり安倍晋三が銃殺された1か月後に、「「赤報隊事件」をめぐる取材結果は、なぜ潰されたのか」という観点から徹底的な朝日新聞批判をしていた。 
 
だから「生ぬるい追及」しかできない…朝日新聞が認めない「統一教会側との談合」という信じがたい過去」 
 

いつもの社説も生ぬるい
朝日新聞が統一教会に怯えている。
そんな“風評”が飛び交うのには理由がある。
7月8日、安倍晋三元首相暗殺事件が起きて、山上徹也容疑者の動機が宗教団体への恨みであると警察情報が伝えられると、ネットではすぐにその宗教団体が「統一教会」だと指摘された。
他のメディアも次々に報じ始めたのに、朝日新聞の紙面に統一教会が登場するのは7月12日付である。
ようやく社説で取り上げたのが7月22日。「旧統一教会 政治との関わり解明を」が掲載されるが、
「選挙活動の組織的支援や政策への介入など、教団と政界の関係は種々取りざたされる。岸信介元首相以来の付き合いといわれる自民をはじめ、各党・各議員は自ら調査し、結果を国民に明らかにする必要がある。
入信した本人、親族、いわゆる2世信者など、苦悩を抱える人は少なくない。問題の放置が被害を深刻化させてきた。支援の手をどう差し伸べていくか、社会が直面する重要な課題だ」と生ぬるい。
ツイッターでは「#さよなら朝日新聞」が拡散

《朝日新聞の声欄。8月1日から5日までの朝刊をチェックしたけど、統一教会をめぐる投書が一つも掲載されてない。たくさん寄せられていると思うのだけど、どうなっているんだろ》
内田樹氏も、
  

 
《今の紙面を見て「じゃあ、これから朝日新聞を購読しよう」と思う人がいるでしょうか?政権翼賛記事を読みたいなら産経を読むし、政権批判を読みたいなら日刊ゲンダイを読むし、まともな報道を読みたければNew York Times かGuardianの電子版を読む。朝日より安いし》
ツイッター上に「#さよなら朝日新聞」というハッシュタグまでが拡散し、朝日から他紙に乗り替える人が続出しているらしいのである。
しかし、朝日新聞といえば、1980年代に朝日ジャーナルが他紙に先駆けて統一教会批判キャンペーンを激烈に繰り広げたことで知られている。
ちなみに「霊感商法」と名付けたのも朝日ジャーナルで、当時の編集長は筑紫哲也氏。1986年12月5日号で「豊田商事をしのぐ冷血の手口 霊感商法の巨大な被害」を掲載。徹底追及を始めたのである。
このキャンペーンは大きな話題になり、ほかのメディアも追随した。その後、桜田淳子らが合同結婚式に参加するなど、統一教会に注目が集まったが、その後、1995年にオウム事件が起きると、メディアの関心は統一教会から離れてしまった。
そうした歴史を持つ朝日新聞が、30年ぶりに統一教会問題が大きな話題になっているのに、及び腰なのはなぜなのだろう。
35年前の「赤報隊事件」が関係している?
その“謎”を解くカギは、今から35年前の事件にあるのではないかと週刊文春(9月8日号)が報じている。
赤報隊事件である。1987年5月3日、午後8時15分頃、朝日新聞阪神支局が改造した散弾銃を持ち、目出し帽をかぶった男に襲撃された。
支局には3人の記者がいた。犯人は無言のまま、犬養兵衛記者を撃ち、次に小尻知博記者を撃った。
小尻記者は死亡し、犬養記者は重傷を負った。事件後送られてきた犯行声明で「赤報隊」と名乗り、朝日の論調への強い憎悪が書き連ねてあった。
仲間が言論テロの犠牲になった朝日では、赤報隊を探し出す特別取材班が組織された。犯行声明文にある文言を分析し、右翼思想の持ち主、それも新右翼ではないか。
もう一つは、当時、「霊感商法」や「合同結婚式」などで世間を騒がし、朝日ジャーナル誌上で批判キャンペーンをしていた統一教会が、朝日と激しい緊張関係にあった。この2つに絞り込み、警察顔負けの徹底的な取材を続けた。
だが公訴時効の15年も過ぎ、35年がたった今も犯人は特定できていない。
「『明日も喋ろう 弔旗が風に鳴るように』という、暴力にひるまず報道し続けようという言葉をデスクが揮毫きごうして飾りました」(辰濃哲郎元朝日新聞記者=週刊文春)
言論テロには屈服しない。この頃の朝日新聞にはその気概がみなぎっていたようだ。
ジャーナリストの樋田毅氏が語った「当時の朝日」
当時、取材班にいて、後に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)を著わした樋田毅氏は、新右翼を取材しながら、統一教会の可能性も探っていた。
私は月刊誌『エルネオス』(市村直幸編集長・休刊)で樋田氏と対談している。この対談は2018年4月号に掲載され、当時は編集部の判断で統一教会と国際勝共連合、世界日報をαとしている。だが、ここでは私の判断で統一教会、国際勝共連合、世界日報と明示することをお断りしておく。
【元木】襲撃事件が起きた数日後に会議があった時、N編集委員が「統一教会と国際勝共連合の取材に全力を注ぐべきだ」と発言したそうです。
当時、霊感商法などの問題を起こしている統一教会に対して、朝日ジャーナルが被害者救済に取り組む弁護士グループなどと連携して、詐欺的商法だと糾弾キャンペーンをやっていました。
事件から三日後の五月六日には朝日の東京本社に「とういつきょうかいのわるぐちをいうやつはみなごろしだ」という脅迫状も届いていて、使用済みの散弾容器二つが同封されていたそうですね。
【樋田】政治団体の国際勝共連合のほうは、中曾根政権が進めていた国家秘密法(スパイ防止法)を後押ししていて、朝日新聞に街宣車を繰り出していました。
二月二十六日付の消印で「社員のガキをひき殺す」という内容が書かれた手書きの脅迫文が、朝日ジャーナルの編集部宛に届いていました。これらが統一教会のものかは、定かではありませんが、朝日ジャーナルの批判記事を巡って、こういう脅迫状が書かれてもおかしくないほどの緊張関係があったことは確かです。
「サタン側に立つ誰かを撃ったとしても許される」
【元木】襲撃事件から十年間は、右翼とこの教会を、同時に取材していたそうですね。朝日ジャーナルの批判も含めて、朝日を憎んでいたということでは、こちらのほうの憎悪が強いし、右翼を装った犯行という可能性も高いような気がしますが。
【樋田】朝日ジャーナル誌上で霊感商法批判の記事を書いた記者は、信者とみられる複数の男たちによって四六時中監視されていたし、娘さんが幼稚園に通う際、これらの男たちが付きまとうので、家族や知人が付き添っていた時期もありました。
統一教会側も、大阪の各店舗では、連休明けに警察が入ってくるのではないかと言われていて、文書を処分し、緊張が高まっていたそうです。
【元木】その前から、南京大虐殺の報道に対して告訴したり、「朝日新聞の赤い疑惑」というビデオを作って、朝日への憎しみを掻き立てていたそうですね。
襲撃事件の前に、対策部長と名乗る男が、「サタン側に立つ誰かを撃ったとしても許される」と、信者の前で言っていたとも書かれています。
統一教会は、当時、全国に二十六の系列銃砲店を持ち、射撃場も併設していた。樋田さんたちは、「勝共連合の中に秘密軍事部隊が存在していた」と話す信者にも会っていますね。
編集委員が世界日報側から金をもらっていた
【樋田】あの『赤い疑惑』ビデオは見ましたが、本当にすごい。あれを見たらだれでも朝日が嫌いになる(笑)。
秘密軍事部隊のほうは、脱会した元信者の紹介で、学生時代の仲間で、やはり脱会していた夫婦から、「三年前に脱会する直前まで秘密軍事部隊にいて、銃の射撃訓練も受けていた」と打ち明けていたというので会いましたが、朝日の記者と名乗って話を聞いていないので、当時は記事にできませんでした。
しかし、記者たちが地を這はうような取材を続けている間に、社の幹部たちは驚くべき裏切り行為をしていたのだ。
【元木】統一教会と朝日新聞のことで、樋田さんが、社を辞めなくては書けなかったことがありますね。一つは、先の世界日報の元編集局長の部下だった人間が、彼の指示で定期的に朝日のN編集委員に会って、預かった五万円ないし十万円のカネを渡していたと話した。
それはN編集委員が被害者の父母の会の情報などを統一教会に流していたり、統一教会への批判記事を抑えてもらうことの報酬だったという……。
【樋田】朝日新聞は教団の学生組織の宗教活動で、子供が突然親に反抗したり、家出して信者になるという現象を取り上げて、教団が日本で布教を始めてから最初の批判記事を書いています。統一教会の取材の中心になってきたN編集委員(当時)が、教会から篭絡されていたというのは、到底信じられなかったですね。
社会部長を追及すると「ここだけの話にしてほしい」
本人に確認しなくてはいけないのですが、既に九八年に亡くなっていたので、書かないという選択肢もあったかもしれませんが、統一教会ウオッチャーのフリージャーナリストも知っていたので、書かないわけにはいかないと考えました。
【元木】朝日の身内に、向こう側に内通している人間がいた。それもこの問題では信頼していた編集委員だったというのは、赤報隊事件を追いかけている記者の人たちにはやりきれなかっただろうと思います。
もっとひどいのは、現場が統一教会と戦争をしているのに、上の人間たちが、向こう側と手打ちの会合を密かに持っていたということです。
【樋田】阪神支局事件の翌年の六月初め、襲撃事件の取材を取りまとめている東京本社社会部の遊軍キャップ、T記者(故人)が社会部長を追及すると、「すべて話すから、ここだけの話にしてほしい」と言って、最近、広報担当の役員と東京本社編集局の局次長の二人が、世界日報の社長や編集局長らと会食したことを認めたのです。
私たちが懸命に取材している時に…
【樋田】朝日のベテラン編集委員が仲介して、朝日と世界日報が批判し合っている問題について、「手打ちをしようじゃないか」と持ち掛け、朝日側は「そんなことを言っても」と言いながら、最初は世界日報側、次は朝日が費用もって会食をしたというのです。
社として手打ちをしたことはないと言っても、相手側は、朝日とそういう話をしたと受け取るだろう、と社会部長は話したというのです。これは、遊軍キャップだった記者が「コピー不可」と言って、私を含めた少数の取材班のメンバーに見せたのですが、私たちが懸命に取材している時に、上層部が敵側と談合した。社の幹部たちが報道機関としては決してやってはいけないことをやってしまったのです。
【元木】よくここまでお書きになりましたね。
【樋田】悩みましたね、それは悩みました。
【元木】そうして世界日報で連載していた朝日新聞批判の連載が終わり、偶然かもしれないが、赤報隊の攻撃がその頃を境に、朝日からリクルートや愛知韓国人会館へと移っていったそうですね。私には無関係だとは思えないのですが。
警察は新右翼の捜査は熱心にやってくれたようだが、統一教会への捜査は及び腰だったという。
「慰安婦誤報問題」以上の読者離れを恐れているのか
樋田氏はこうも話してくれた。
「明治大学の吉田忠雄教授から聞いた話ですが、元警察官僚で総理府総務副長官の経験もあった弘津恭輔氏が『勝共連合が少々むちゃをしても、共産党への対抗勢力だから許される』と発言したと聞いています」
こういう警察側の姿勢が、統一教会を追い詰められなかった大きな要因ではなかったか、そうした疑問は残る。
樋田氏の本は、朝日新聞の記者たちが、地を這うような取材で赤報隊事件を追いかけていたかを後世に残す貴重な記録である。
だが、そんな現場を無視して、社の幹部たちが取材対象と手打ちをしていたというのでは、記者たちは「ふざけるな」と思うのは当然である。
安倍元首相暗殺を機に、統一教会批判をメディアが競って報じているが、統一教会側も死に物狂いで正当性を訴え、メディア批判を露あらわにしている。
もし、統一教会が、1988年に行われたという、世界日報と朝日新聞の幹部たちの手打ちの内容をすべて明かしたら、朝日新聞の統一教会問題に対する姿勢を疑問視する声が巻き起こるに違いない。
朝日新聞批判は、慰安婦誤報問題以上に厳しくなり、今以上の読者離れを引き起こすことは間違いない。朝日新聞の統一教会報道に腰が引けて見えるのは、このことがあるのではないか、そう思えてならないのだ。
朝日ジャーナルで統一教会批判を繰り広げ、世論を喚起した筑紫哲也氏が生きていれば、今の朝日新聞に何といっただろう。
「二度死ぬ」ことになりかねない
かつて、TBSのプロデューサーがオウム真理教側に事前にビデオを見せていたことが大きな問題になった時、『NEWS23』(TBS)の『多事争論』で筑紫氏はこう語った。
「報道機関というのは形のある物を作ったり売ったりする機関ではありません。そういう機関が存立できる最大のベースというのは何かといえば、信頼性です。特に視聴者との関係においての信頼感であります。
その意味で、TBSは今日、死んだに等しいと思います。過ちを犯したということもさることながら、その過ちに対して、どこまで真正面から対応できるか、つまり、その後の処理の仕方というのがほとんど死活にかかわるということを、これまでも申し上げてきました。その点でもTBSは過ちを犯したと私は思います」〔筑紫哲也『ニュースキャスター』(集英社新書)より〕
筑紫氏が朝日新聞を退社したのは1989年。まだ在籍していた彼が、社の幹部たちが統一教会との手打ちをしていたと知ったならば、「朝日新聞は死んだ」といっただろう。
朝日新聞は今回の統一教会問題にどこまで切り込めるのか。それによっては「朝日新聞は二度死ぬ」ことになりかねない。

 
すでに「朝日ジャーナル」は姿を消し「週刊朝日」も今年の5月で休刊となるようである。
 
「テレビ朝日」も政権への忖度が著しい経営陣となり、「朝日新聞は二度死ぬ」ことになったら、もはや日本から「朝日」がなくなり「暗黒の国」になってしまうかもしれない、とオジサンは思う。

 

【付録】

 

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