なんで、それほどにマイナンバーの取得とマイナ保険証にこだわるのか、最近ではあきれた現象が現れている。
もちろん、政府の真意はすべての国民の個人情報を入手して、国民を管理・統合したいのだろうと識者たちは指摘する。
そんな政府の手先になって奔放している河野太郎。
どうやら総裁選での勝ち目が遠くなったようだが、最近のコヤツの言動を見ると、とてもじゃないが国のトップにさせるわけにはいかない危険性がにじみ出てくる。
先日、こんな記事が出ていた。
「マイナ保険証「使えない」トラブル収まらず…最新の調査結果が公表 「有効期限切れ」大量発生の見通し」
「マイナ保険証」で新たに「トラブルがあった」と回答した医療機関が、前回調査から減るどころか逆に10ポイントも増え約7割にも及んだという。その大半が現行の「健康保険証」で患者の保険資格を確認。これで現行の「健康保険証」を廃止しようという自民党政府は狂気の沙汰。 https://t.co/Yjnf4ZawkY
— 異邦人 (@Narodovlastiye) September 19, 2024
こんな国民の声に対してコヤツはこんなことを平然と言っていた。
「マイナ保険証のトラブル調査「百害あって一利なし」 河野太郎デジタル相が一蹴」
河野太郎デジタル相は20日の閣議後会見で、マイナ保険証を巡って7割の医療機関でトラブルがあったとする医療団体の調査について、「保険証残せというようなアンケートは百害あって一利なし」と述べた。 この調査は、全国保険医団体連合会(保団連)が、全国の医療機関を対象に、5~8月のトラブルの実態を尋ね、19日に結果を発表していた。 調査結果は、12月2日の現行保険証廃止が迫る中、いまだにマイナ保険証のトラブルが相次いでいる状況を映し出した形となった。 ◆河野デジタル相「トラブル増えるのは当然」 これに対し、河野氏は「マイナ保険証を使う人が増えれば、トラブルが増えるのは当然」「こうしたアンケートが役に立つとは私は思っていない」と一蹴した。 調査では、マイナ保険証で保険資格を確認できなかった場合、多くの医療機関が現行の保険証で代用していることも分かった。 河野氏は「いつまでも(現行の)保険証に頼っていれば、12月2日以降、医療機関が困る」と語った。 ◆武見厚労相「丁寧に取り組みたい」 武見敬三厚生労働相も、20日の閣議後会見で、調査結果について問われると「医療機関も患者の方も安心して、マイナ保険証を基本とする仕組みに円滑に移行できるよう丁寧に取り組んでいきたい」と語った。(マイナ保険証取材班) 保団連の調査 全国の医療機関に調査し、1万242件の回答があった。このうち69.7%の医療機関が、5~8月の間にマイナ保険証の利用で「トラブルがあった」と回答した。前回調査よりも約10ポイント増えた。トラブルの内容は、名前や住所の漢字が「●」で表示された、カードリーダーの不具合など。トラブルがあった医療機関のうち78.3%が、代わりに現行の保険証で保険資格を確認していた。 |
「使う人増えればトラブル増えるのは当然」と開き直り。
— 伊藤岳 (@gaku_ito) September 20, 2024
トラブルが増えるから、保険証で代用している現場。
それを「百害」だと言いのける。
「害」の元はあなただ。
マイナ保険証のトラブル調査「百害あって一利なし」 河野太郎デジタル相が一蹴 :東京新聞 TOKYO Web https://t.co/0eq361UerE
20240920 #河野太郎 氏会見
— 🌈ラナンキュラス(川上 真二) (@Lanikaikailua) September 20, 2024
問
保団連実施の24年5月以降の #マイナ保険証 調査
約1万医療機関のうち約7割で不具合があったと回答
78%が健康保険証でトラブルを回避し、77%が健康保険証を残すべきと回答
健康保険証を残すべきでは
河野氏
保団連の行ったアンケートは百害あって一利なし
役に立たない pic.twitter.com/UYVHzDYnaJ
まあ、この程度の開き直りはまだ可愛いものだが、こんな動きはまともではない。
「『マイナでロマンス詐欺防止を』河野太郎デジタル相の呼びかけ、大丈夫? 婚姻、収入情報も業者が把握可能に…」
SNSやマッチングアプリなどを通じて直接会うことなく、金銭をだまし取る「ロマンス詐欺」。被害防止のため政府は、マッチングアプリ登録時にマイナンバーカードによる本人確認を行うよう業界団体に要請した。個人情報を事業者が取り扱うことや犯罪防止の効果には疑問の声が上がる。 ◆前年比倍以上、入り口はマッチングアプリが最多 「マイナンバーカードを利用することによって、氏名、住所、生年月日、性別、顔写真といった券面情報のほかマイナポータル経由で既婚、未婚の別、年収などの情報についても、信頼性高く確認ができ、より安心して婚活が可能となる」 今月13日、河野太郎デジタル相は会見で、デジタル庁と警察庁の連名でマッチングアプリ事業者が所属する団体に要請したことを明らかにした。 警察庁によると、今年1~7月のロマンス詐欺の認知件数は前年同期よりも1066件多い1868件。被害額は113億9000万円増の198億8000万円に上る。被害者に最初に接触したのはマッチングアプリが最多となっている。 デジタル庁は、マッチングアプリのアカウント開設時にマイナカードによって「より厳格な本人確認が可能となり、不正防止につながる」と説明。今年8月から戸籍関係情報とマイナポータルが連携したことで、本人が同意すればアプリ事業者が独身証明書や所得証明書の情報取得が可能だという。これらの情報は「事後の犯罪捜査や被害回復にも資する」と強調する。 ◆個人情報を提供することに抵抗がある人も 要請を受けた業界側の反応はどうか。アプリ事業者でつくる一般社団法人「結婚・婚活応援プロジェクト」は「参画企業に要請内容を共有する。マイナカードによる本人確認の選択肢を増やすことは、利用者の便益向上に資する」と説明する。個人情報の取り扱いについては「参画企業が引き続き、個人情報保護に最善を尽くす」と回答した。 一方で詐欺被害の防止効果については懐疑的な声も。業界関係者は「全ての利用者がカードを所持しているわけではないし、所持していても個人情報を提供することに抵抗がある人もいるはずだ」と話す。 政府は今年6月に取りまとめた「国民を詐欺から守るための総合対策」で、携帯電話契約や口座開設とあわせて、マッチングアプリの本人確認の場面でマイナカード活用を事業者に呼びかけた。「詐欺防止を名目としたマイナカードの普及策でしかない」と指摘するのはマイナンバー制度に詳しい清水勉弁護士だ。「すべての本人認証をマイナカードで行え、というのであれば民間事業への不当な介入だ。本人確認の一つの方法とするだけなら、犯罪組織がマイナカードを使って本人確認するわけがなく、詐欺の防止にならない」 ◆「個人情報を盗もうとする詐欺師は、あらゆる手段を使う」 ITジャーナリストの星暁雄氏は事業者が個人情報を取得できる点を問題視する。「マイナカードによる公的個人認証は信頼性が高い個人情報を扱う。これらの情報が事業者のシステムから漏洩(ろうえい)する危険は本当にないのか」。2015年には海外の不倫目的のマッチングサイトで3000万人以上の個人情報が盗まれてネット上で公開された事例もある。「マッチングアプリ事業者に悪意がなかったとしても、システムに重大な不備があれば情報が流出して利用者の尊厳を損なう事態に至る可能性がある」と危ぶむ。 その上でこう強調する。「マイナカードは本人確認の手段のひとつにすぎない。一方、個人情報を盗もうとする攻撃者や詐欺師はあらゆる手段を使う。マイナカードをあたかも詐欺や個人情報盗難など犯罪を防ぐ決め手であるかのように宣伝することは、人々の警戒をゆるめ、逆に被害を増やしかねない」 |
さて、話は大きく変わって、今から36年前の1988年発売の『バカにつける薬』を当時の若きオジサンは貪るように読んだ記憶がある。
オジサンよりわずか4歳ほど年上なのに言葉と文化に対する造詣には感銘していたものであった。
最近、『バカにつける薬』からの一部が再編されて掲載されていた。
「文化庁調査発表。“日本語の乱れ”の張本人はオールドメディアではないか?「必ずや名を正さんか」【呉智英】」
今月、文化庁が「国語に関する世論調査」の結果を公表。テレビ、新聞の報道は相変わらずである。その調査結果をなぞりながら、辞書に載っていない新語や、意味の取り違いをあげつらい、活字離れとも関連づけて現代人が“日本語の乱れ”にあると言いたいようだ。しかし、呉智英氏が30年以上前に著書『言葉につける薬』(ベスト新書)で指摘した日本語の乱れは、今に始まったことではない。氏が鋭く批判したのは、社会全体、とりわけ言論を担うべき大手新聞までもが陥っている言葉の本質的な混乱だった。 ■不良少年の言葉は乱れていない? 日本語が乱れている。 ほとんど毎日のように、あらゆるところでそう語られている。新聞の投書欄で、雑誌のエッセーで、隣人や同僚との世間話で、学校や職場の訓辞で、あるいは面白おかしく、あるいは深刻そうに、日本語の乱れが話題になる。そして、その原因はおおむね若い者の活字離れに求められ、一流の新聞・雑誌、教養書の正しい日本語に学ぶべきだといった結論でしめくくられる。 これは本当だろうか。 日本語が乱れている。確かに、私もそう思う。しかし、それは口語表現の、とりわけ俗語・卑語が乱暴であることとは関係がない。俗語・卑語は乱暴であるからこそ俗語・卑語なのであって、俗語・卑語が上品であったらそれこそ話にならない。スケバンの少女が「バカヤロー、てめぇの金玉たたきつぶすぞ」と叫んだって、スケバンなのだから当然である。ここには少しの日本語の乱れもない。文法的にも合っている。 私は“理解ある教育者”よろしく、スケバンや不良少年の味方をしているわけではない。学校や社会から落ちこぼれた彼らが俗語・卑語しか使わなくても何の不思議もない、と言っているだけである。俗語・卑語とは、そういう言葉なのだ。だが、もちろん、彼らが乱れた日本語を使うこともある。 以前、不良少年たちを好意的に描いたマンガで、こんなシーンを見たことがある。主人公たちのグループが別のグループと抗争になる。木刀がうなり、怒声が飛び交う。 「こンのヤロー」。俗語だからこれは問題ない。 「ダチのかたきだ」。卑語だからこれも問題ない。 「このサンピン!」。ん、サンピン? 三両一人扶持さんりょういちにんぶちが現代の高校生に何の関係があるのか。まさか、相手が真剣ではなく木刀を構えたので、お前のような三両一人扶持さんりょういちにんぶちの貧乏な下級武士は木刀しか買えないのか、と嘲罵ちょうばしたわけではなかろう。おそらく、この作者も、作者がモデルにした不良少年たちも、テレビの時代劇で知った「サンピン」を「バカヤロー」の高級表現だと思い、得意になって使ったのだ。 恥ずかしい奴らだと、私は思った。ここにあるのは活字離れではない。中途半端な活字憧憬しょうけいである。斎藤月岑さいとうげっしんの『武江年表ぶこうねんぴょう』ではなく、テレビのつまらぬ時代劇でさえ自分たちより高級だと思う教養願望である。不良少年の風上にも置けない連中だ。このままではろくな不良にはならぬ。とっととガリ勉して優等生にでもなっちまえ。そう私は思った。 もとより、日本語が乱れているのは、不良少年たちだけのことではない。彼らとは対極の立場にいるはずの新聞・雑誌の執筆者たちもそうである。 ■全国紙の深刻な言葉の乱れ 一九九〇年十二月二十七日付朝日新聞(以下、日付は大阪本社版による)の社説は、年末らしく、行く年を回顧し来る年に期待する“格調高い”文章であった。国際化時代の日本を論じ、日本人の外国人観を問いなおそうとするその社説は、アジア系在日外国人に対する偏見やデマを非難して、次のように言う。 「〈偏見やデマを受け容れる人は〉事実を確かめる努力以前に、自分だけが正しい、ときめ込んでしまう。顧かえりみて他を言う姿勢とは、ほど遠い」 そうだ、私も自戒しなければならぬ。事実を確かめる努力を怠おこたり、自分だけが正しいときめ込むことは、私にもありがちである。しかし、「顧かえりみて他を言う」姿勢に学ぼうとは決して思わない。そういう言いのがれはすまいと普段から心掛けているからである。年が明けた一九九一年一月六日の社説末尾に、次のような訂正記事が出た。 「十二月二十七日付社説の中で『顧かえりみて他を言う』とあるのは『自らを反省したうえで他者にものを言う』の誤りでした。訂正します。『顧かえりみて他を言う』(出典は『孟子』)とは、答えに窮したとき別なことを言ってごまかす、という意味です」 さすが、新聞社の顔、社説欄だけあっていさぎよい。「顧かえりみて他を言う」ことなく、誤りを認めて訂正記事を出したのだから。 しかし、ワシントン少年がいくら立派だといっても、初めから桜の樹を切っていなければ、もっと立派だったはずである。まして少年ならぬ論説委員氏は、いさぎよさ以前に、桜の樹を切らないように十分注意すべきだった。 論説委員クラスでそうなのだから、並の記者の書く誤用は指摘すればきりがない。今度は産経新聞からも一例挙げておこうか。一九九二年十二月三日付夕刊の書評欄の記事である。 アルコール依存症治療に取り組む精神科医にインタビューした橋本明子記者は、こう書く。 「労働力の低下や事故、医療費など飲酒がらみの経済的ロスは、年間六兆六千億円、酒税の三倍にものぼるというのだ。もはや他人事、とおっとり刀で構えていられない」 橋本明子記者は、アルコール依存症が経済的にも深刻な問題になっているけれど、医療関係者はゆっくり昼寝でもしていろ、と言いたいのだろうか。なんだかわけがわからない。 「おっとり刀」と「おっとり構える」とでは意味が逆になることぐらい、桜の樹を切りたがる悪戯いたずらざかりのガキだって知っている。それを、大新聞の記者、しかも書評欄担当記者が誤用する。その上、校閲部を素通りしてしまう。 ところで、産経新聞を含む大新聞では、記者の使うワープロには“自主規制回路”が組み込まれているという。差別語と烙印らくいんされた言葉は、いくらキーを叩いても出て来ない。「片手落ち」も「盲縞めくらじま」も「貧民窟ひんみんくつ」も「士農工商」も「土人」も、出力不可能である。校閲を効率よくするためだ。かくて、中学生並みの誤用誤文がまかり通る一方で、自動検閲装置が人間の思考力を奪ってゆく。 私の言う日本語の乱れとは、このことである。 私はあまりにも誇大な話をしているのだろうか。自分の力量を省みれば、そうかもしれない。しかし、仮にも思想に関わり、言葉を金に換えて生活している以上、思想と言葉に関心と矜持きょうじを抱くのはむしろ責務だろう。『ヨハネ福音書』の冒頭の有名な一節「初めに言葉ありき」の「言葉」が、原ギリシャ語で「ロゴス」であることは偶然ではない。言葉と論理、言葉と思想が深くつながっていることを明示しているのだ。 ■必ずや名を正さんか 『論語』子路しろ篇に、こんな話がある。 戦国期も近い春秋末期の衛えいの国は、政争が続き、社会秩序も大きく乱れていた。孔子の高弟の子路が「先生が衛に招かれて改革を委ねられたら、まず何をなさいますか」と尋ねた。不穏分子の排除が第一だとか、政争の仲裁をまず行なうとかの答えが返って来ると予想していた子路に、孔子はこう答える。 「必ずや名なを正さんか」 「名な」というのは「言葉」である。ただ、それは個々の「単語」ではなく、「論理としての言葉」である。『ヨハネ福音書』の「言葉」に近いと思えばよい。もっとも、後世、例えば日本で「真名まな(正式な文字。漢字)」「仮名かな(仮に使う文字。平仮名・片仮名)」という使い方をされるように、「名な」は「文字」という意味にも広がる。 しかし、もともとは一つ一つの事物や現象を分類して名づけ、秩序ある体系に組み立てる論理のことである。ここから「名分めいぶん」という熟語も生まれる。今では、本音ほんねに対する建て前という意味で「(大義)名分」が使われるけれど、本来は現実界を正しく秩序づけて認識する論理・規範の体系という意味だ。 さて、混乱する衛の国にまず必要なのは「名な」であると答えた孔子は、一見迂遠うえんな「正名せいめい(名を正す)」が何故重要なのか、説明を加える。 「『名な』が正しくなければ言論も順当でなく、言論が順当でなければ諸事はうまくゆかず、諸事がうまくゆかなければ文化も豊かにならず、文化が豊かでなければ法律も適切でなく、法律が適切でなければ民衆の日常生活にも支障が生じるのだ」 |
9人の自民党総裁選出馬者らの言葉をきいていると、つくづく中身のない言葉の羅列であり。国民の心には決して響かないだろう、とオジサンは思う。