新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

なぜ、新聞テレビが総務省接待疑惑を叩けないのか?!

2021年02月20日 11時05分03秒 | マスメディア

最初に東京五輪を招致して失敗した都知事だった石原慎太郎も森喜朗と同様、その差別的発言が幾度も物議をかもしたが、2人が今回の五輪招致で夢見たのは1964年の東京五輪の高度成長であった。
 
新幹線が通り高速道路が整備されて、東京に戦後の面影がなくなり国際社会への復帰を遂げた瞬間を思い描き、あの夢を再びと奔走していた。
 
だが、今回の五輪では56年前とは大きくことなり、もはやコンクリートのインフラではなく、人類の成長が求められてたことに感づいた多くの国民がいたのだが、残念ながら64年の五輪に引きずられた国民もまだ生き残っていたということを失言王の森問題で明らかになった。
 
世界の平和や差別のない社会など長い五輪の歴史の中で五輪憲章は理想の題目ではなく、その実現に近づくところまで世界は迫っていたにもかかわらず、東京五輪組織委員会はそれをいまだ建前として扱ってしまた。
 
唯一、政治家であるという経験値と、前会長・森喜朗の薫陶を受けていることで橋本聖子ならなんとかしのいでもらえるのではないかという甘えと菅義偉官邸の「橋本ならくみしやすい」という打算の結果人事はすげ替えられたのだが、相変わらずの密室での人事という不透明性は依然として残り、世界にも発信してしまったようである。
 
「コロナがどうであろうと五輪開催だ!」と言っていた男が去っても、菅義偉からすれば、「ワクチンさえ国民に行きわたれば安心してみんなが五輪を歓迎してくれる」という魂胆であった。
 
しかし国産ワクチン開発は世界から大きく遅れており他国頼りの弊害が露になっている。
 
菅政権がワクチン接種でも大失態! 対応の注射器用意せず1瓶6回採取が5回に 韓国は昨年末に注射器の量産体制に入っていたのに」という記事によれば、2月9日の衆院予算委員会で田村憲久厚労相はこう答弁していた。
 
「12月に確認すると、どうもですね、その6回というのは、その6回取れる特殊な筒といいますか、そういうのがあるんですね、シリンジが。それを使うと6回取れるという話でございまして。いま、それをですね、各医療機器メーカーから確保すべく集めております。ただ、もちろん、普通、日本で使われているものですと、5回しか取れないわけですので、すぐに接種、全員分のですね、シリンジは確保できないということで、医療機器メーカーに増産もお願いいたしております」
「(自治体に配布した手引きでは)いままで6回と書いてあったんですけど、5回というかたちでですね、変えさせていただいて、体制を整えていただくということをお願いさせていただきたいと思います」
 
その後、「日本、韓国に注射器の購入要請 ワクチン接種用の特殊タイプ」ということになったのだが、あろうことか、こんな事態になっていた。
 
ワクチンでも後手の菅政権が『接種用特殊注射器8000万本を韓国に購入要請』のニュースに“命より嫌韓が大事”なネトウヨが激怒
 
〈自分への接種がまわってこなくても良いので韓国からは購入しないでください。〉
〈韓国から買わなくて良い。韓国から買うぐらいなら俺は待つ。韓国なんぞ頼りたくない。〉
〈接種する時にワクチンメーカーと注射器メーカーを聞いてから接種するかどうかを決めた方がいいと思います〉
〈今の時期に何故韓国に注射器の購入要請をするのか、政府の頭は正常か?韓国に要請しなくても他の国で対応出来るはずである。〉〈韓国の注射器はいやだ。〉
〈やめとけ何仕込まれるかわかったもんじゃない〉
〈ただでさえワクチン打ちたくないのに、これなら絶対打たんわ〉
〈韓国に頼るなんて日本の大恥〉   
嫌韓意識がここまでくればこんな連中につける薬はないが、ワクチンを打たずに感染すれば結局は医療従事者の負担を増やすという想像力が完全に欠落している。
  
しかし欠落していることには引けをとらないのが総務省の高級官僚で、倫理観も記憶力も劣化していたようである。

 
『記憶にない』→『一部は事実』→『発言あった』 更迭の総務省幹部、小出しの接待説明 
 

             【東京新聞より】
◆国会答弁の信ぴょう性揺らぐ
 「BS、CS、(東北新社の子会社が手がける)スターチャンネル等に関する発言はあったかもしれないが、よく覚えていない」
 総務省の原邦彰官房長は19日の衆院予算委員会の冒頭、省内の調査に対する秋本氏の回答を読み上げた。この後、秋本氏本人が予算委で「今となっては、発言があったのだろうと受け止めている」と答弁。首相長男が国家公務員倫理規程上、接待や金銭の提供を受けることを禁じた利害関係者に当たるとも認めた。
 問題の発覚当初の総務省は「調査中」を理由に説明を避ける場面が目立った。秋本氏は衛星放送などの話題について、調査に「記憶にない」と回答。17日の衆院予算委でも「記憶はない」と明言した。
 週刊文春(電子版)が17日、会食時の会話を録音したとする音声を公表すると、秋本氏は18日、衛星放送事業の新規参入に積極的な自民党の小林史明元総務政務官をやり玉に挙げた部分のみ事実と認めた。だが、事業関連の話題は「記憶はない」と答えた。
 事実関係を少しずつ認める「小出し」の説明に野党は反発。19日の衆院予算総務委で、立憲民主党の後藤祐一氏は「記憶にないというのはウソだった」と批判。省内の調査に関し「(秋本氏が)記憶にないとの答弁で(国会審議に)行くことに、違和感を覚えなかったのか」と武田良太総務相に迫った。
◆「行政がゆがめられたことはない」
 秋本氏の姿勢転換で、武田氏が「本事案により、放送行政がゆがめられたということは全くない」と断じた国会答弁の信ぴょう性も揺らいでいる。
 野党側は19日、衆院議院運営委の理事会で「誤った答弁だ」と追及。共産党の本村伸子氏は衆院総務委で、首相答弁に合わせるように財務省が公文書を改ざんした森友学園問題を引き合いに「総務相が『ゆがめられたことは全くない』と言ったことで、それに合わせるように(結果ありきの)調査になるのではという疑念がある」と指摘した。
 衆院予算委では立民の山岡達丸氏が「首相の子息がいるから『忖度そんたく調査』が行われたのでは」と手心を加えた可能性に触れた。
◆野党「第三者で調査を」
 野党側は第三者による調査の必要性を主張し始めた。信頼性が揺らいでいるだけでなく、東北新社側への便宜供与があったのかという核心部分を素通りしたまま、調査が終わる可能性もあるからだ。
 省内の調査は、人事院の国家公務員倫理審査会の助言を受けながら進めており、審査会の担当者は19日の衆院総務委で「行政権限をゆがめることは、倫理法令の適用とは違う」と説明。力点は接待の有無にあり、会食時の会話の内容は直接的な調査の対象にならないとの考えを示した。
 これに対し、野党側は「職務怠慢と言わざるを得ない」「国民が納得できるよう(調査の)体制を抜本的に組み替えていくべきだ」と強調した。

 
今回の事件は週刊文春の記事がなければ闇に葬られていた内容であり、また不思議なことに露見されてもメディアはそれ以上の調査・報道をしていないという事実がある。
 
フリージャーナリストの田中龍作がその理由を書いていた。
 
新聞テレビが総務省接待疑惑を叩けない理由
スガ首相の長男による総務省幹部接待疑惑はほぼ完全に詰んだ。長男正剛氏が許認可をめぐって役人に働きかける音声まで出てきたからだ。
 公務員倫理規定違反なんてものじゃない。検察がまともであれば、贈収賄で捜査に乗り出せる。
 にもかかわらずテレビ局の報道はあまりに大人しい。日頃、有名人のスキャンダルであれば、ピー音を入れたりして賑やかに報じるのだが。
 テレビ局が総務省を叩けない最大の理由は、結果として、電波の使用料を超格安にしてくれているからだ。
 総務省は地上波の新規参入を阻んでくれている。有難い保護者なのである。当然、見返りはあるが。
 新規参入を許せば電波はオークションとなる。大蔵(現・財務)官僚出身の高橋洋一氏は、オークションとなれば、電波使用料は2千億~3千億は下らない、と見る。
 テレビ局は100分の1に近い数十分の1の値段で電波を使用しているのだ。総務省による規制のおかげで暴利が貪れるのである。
テレビ局の暴利をさらに貪る新聞社
 新聞はとりあえず接待疑惑のアウトラインをおさえているが、「国会答弁ベース」「文春報道ベース」に留まっている。独自取材で報道するのが恐いのだろう。
 新聞社もテレビ局同様、総務省による規制に守られているからだ。
 新聞社によるテレビ局の所有はクロスオーナーシップと呼ばれる。
 欧米の場合クロスオーナーシップは法律で禁じられている。情報の独占になるからだ。先進国でクロスオーナーシップが認められているのは日本だけだ。
 テレビ局が貪る暴利をさらに貪るのが新聞社である。
 日本最大の記者クラブが総務省にあり、記者さんたちは、電波がオークションにかけられないよう、クロスオーナーシップが禁じられないよう、懸命に見張っているのである。
 新聞テレビが、スガ首相の長男による総務省幹部接待疑惑を追及できるわけがないのだ。それを最もよく知っているのは、元総務大臣と総務官僚だ。
 「オークション掛けましょうか?」の一言で、新聞社、テレビ局の幹部は震えあがるだろう。

 
どうやら「日本の常識」は「世界の非常識」ということが、一般には聞きなれない「クロスオーナーシップ」という言葉で明確になった。
 
2015年に上杉隆が書いた記事を紹介しておく。
 
日本のメディア最大のタブー。欧米で制限・禁止されたシステムとは 
現在、日本の大手新聞と民放キー局は、読売新聞は日本テレビ系、朝日新聞はテレビ朝日系といった具合に系列化されているのが普通だ。
おそらく日本で育ったみなさんはこのことに違和感はないだろう。
ところが、日本では常識と思っているこの制度は、欧米の多くの国ではいまや非常識ともいうべきもので、制限、もしくは禁止されているのが現実なのだ。
たとえば、ドイツでは、支配的な地位を占める企業(新聞社)の、視聴シェアが平均25%以上あるキー局への資本参加は不可能となっている。州ごとに多様なメディアが存在するのはこのためだ。
さらに、大都市周辺のメディア(たとえば新聞)では、30%以上のテレビ局への資本参加については例外なく禁じられている。
ドイツの厳しい制限の背景には、メディア資本の独占集中が進むと、言論空間が画一化し、社会の独裁化が起きる。そして、その先にあるのは「戦争」ということを、ナチなどの過去の教訓から痛いほど学んでいることがあるのだ。
これに対して、日本の場合には記者クラブという閉鎖的なシステムが加わる。戦前も存在した記者クラブは、大本営発表とあいまって、さらなる言論の一元化を招いたことは説明をまたないだろう。

 
国内にこんなメディアが跋扈している限りは日本人は菅義偉政権による「大本営発表」によって真実から目を塞がれ続けるのであろう、とオジサンは思う。     
   

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