もう10数年前になるが、いじめによる小中学生の自殺が相次ぎ、文部科学大臣あてに、いじめ自殺を予告する手紙が届いたことで、文部科学省と日本中のほとんどすべての主要メディアが、いじめ根絶キャンペーンを張ったことがあった。
当時の朝日新聞は、小中学生に影響のある有名人を紙面に登場させ、いじめ体験とその克服法を彼らに語らせ、「いじめで死なないで」と訴えさせていたが・・・・・・。
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言うまでもなく、いじめは悪であり自殺に至らせるような悪質かつ陰湿ないじめは犯罪行為である。
しかしながら、社会が一丸になって、いじめ対策をこうじればこうじれば、いじめを根絶できるとする、メディアのキャンペーンは理にかなったものではなかった。
いじめは、人間社会のどこにでも普遍的に存在する現象であり、小中学校だけの存在する現象ではない。
会社社会にも、地域社会にも、老人ホームにも存在する現象である。
社会の最小単位である家族社会にだって存在する。
小中学校からいじめを根絶しようなどという行為は、社会から犯罪を一掃しようという行為と同じく、実現不可能な愚かな行為である。
社会から犯罪を一掃することなどできるはずもない。仮にできたとしても、そんな社会は完全な「警察国家」に成り下がってしまうだけである。
すべての社会に共通する、いじめの構造にはある共通項があるとされ、閉鎖された社会でこそ、いじめの頻度が高まり、いじめが悪質化、陰湿化することである。
いじめは、軍隊や刑務所、かつての学校の体育界系で頻発化し、悪質化、陰湿化した。
これらの社会に共通するのは、閉鎖性の極めて強い社会だということである。
小中学校でいじめが頻発し、悪質かつ陰湿化している理由には、小中学生が学校に閉じ込められている現実がある。
学校しか彼らが所属できる社会がないからである。
学校しか、彼らの所属する社会がないならば、学校内の序列が彼らの「価値」のすべてになってしまう。
彼らが学校以外の社会に所属しているならば、彼らが学校内でいかに疎外されていようと、他に選択する道がある。
文部科学省や日本のほとんどすべての主要メディアは、いじめ根絶キャンペーンをはるのではなく、こう「宣言」すべきである。
いじめは、社会に普遍的に存在する現象である。だから、いじめを根絶することはできない。しかし、いじめの頻度を減らし、自殺に至らせるような悪質かつ陰湿ないじめを抑えることは可能である。
そのためには、小中学校を外との社会とかかわりをもつ、開放系の社会に変えることである。
もっと具体的に言えば、校門を閉めるのではなく、校門を開放して他の社会の人間を構内に引き込むことであり、児童生徒を校門の外の社会に放り出すことである。
学校は文部科学省の決めた学習指導要領の範囲の勉強をするところであり、それ以外の分野であるスポーツや文化活動は学校以外の社会でやればいいのである。
学校内で疎外されたって、学校以外にもいろいろな道がある。かつてのフォーク少年も、ロック少年もみんなそうだった。学校なんて、児童生徒が所属する複数の社会にひとつにすぎない。
そう考えれば、いじめを跳ね返せることはできないにしても、自殺などという極めて非生産的な行為に価値を見いだすことは減るはずである。
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じつは、上記の文章は13年前に書いたものである。
驚くべきことに事態はまったく改善されていないようである。
むしろ、学校内での外部侵入者による事件を防ぐためには、「校門を開放して他の社会の人間を構内に引き込むこと」どころか、セキュリティをより強化して閉鎖性を強めており、さらには学校側が「いじめ」の実態を隠ぺいする傾向も強くなっている。
さらには、いじめの被害者のケアと共に加害者側の教育的な配慮や人権を重んじる風潮から、加害意識が薄れてしまい、そんな未成年たちがそのまま成長したら、どんな大人になったのだろうか?
安倍政権以降、教育基本法が改悪され、学校が校長をトップに階層構造となり管理体制が強化されてきている。
教員は通常の業務以外の報告書作成作業や部活担当が増え、サービス残業が横行し「ブラック企業」並みにの職場環境となった。
そのため教員志望者が減少し、必然的に教員試験の競争倍率が低下したことにより、悪質な教師がのさばってきたその典型が最近明るみに出てきたのが、信じ難い神戸の小学校での特定の教員たちによる集団若手教員いじめである。
神戸市立東須磨小学校で発覚した集団いじめは、「教諭いじめに影響は…独自の人事異動『神戸方式』」という記事によると、文科省も聞いたことがないという、勤務校と異動先の校長同士が協議して異動案を決める「神戸方式」と呼ばれる独自の人事異動が根底にあるという。
同方式は1960年代、様々な地域事情を抱えた学校に応じた人材が確保できる方法として始まったといわれ、教諭や校長の意向が強く働き、本人が希望すれば最長9年の在籍が可能で、長期化して人間関係が硬直化する弊害も指摘される。
成人同士の陰湿ないじめはもはや傷害事件である。
「前校長『お世話になっているやろ』暴力被害、相談できず」
被害教員は傷害事件として加害教員たちを告訴しており、詳細は今後の捜査の進展を待たねばならないが、少なくとも加害者たちは教員失格者であり、ヒョットすると子どもの頃、いじめを繰り返しても特に制裁を受けなかったことにより、ある種の「いじめの成功体験」が染みついているのかも知れない。
今後の再発防止のためにも、「いたずらが度が過ぎた」といった程度では済まされず刑事事件としての厳重な罰則と教員資格はく奪という処分が必要であろう、とオジサンは思う。