新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

「堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び 東京オリンピックを返上せむ」ことができるか菅義偉

2021年04月30日 11時36分51秒 | 菅義偉

今まで在京大手マスメディアは表立って「五輪中止」とは言えない事情が、「東京2020オリンピックオフィシャルパートナー」であるからと言われていた。
 
しかしそのオフィシャルパートナーの一員でもある朝日新聞が「社説」でこんなことを言っていた。
 
(社説)五輪とコロナ 冷静な目で現実見る時

 「あなたのエールが東京2020大会の力になります」。東京五輪・パラリンピック組織委員会のホームページはそう呼びかける。だがエールの送りようがないのが現実ではないか。「開催は決まっている。問題はどう開催するかだ」。そんな言い分はもはや通らない。冷静な目で現実に向き合う時だ。


明確に「五輪は中止」とは書けないが、「東京2,020大会にエールの送りようがない」ので「冷静な目で現実に向き合う時」だということは、暗にもう無理なことはするな、と言っている。
 
その向き合う現実にはこんなこともある。


すでに軽く1000人を超えた東京都の感染者数なのだが、実態はその数倍の無症状の感染者が多数存在していることを示している。
 
巷でささやかれている「東京都は故意に検査数を絞っている」という噂は決して否定はできない。
  
 
開催都市の東京都の職員ですら、「『五輪見届けたいが…』 都庁職員からも中止求める声」が出ているという。

肝心の日本のトップの菅義偉は、「五輪開催」が唯一のわが身の生き残り作戦らしく、もはや誰の進言も箴言も諫言も耳にはいらないらしい。
 
独断目立つ『菅一存』政権、政官にゆがみ」 

    
もはやこうなると、敗戦前の、「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将」とダブッってくるのは必至であろう。
 
雨宮処凛が核心を突いたタイトルでこう書いていた。
 
恐怖のインパール五輪〜家が火事なのに「祭りがしたい!」と駄々をこねる成人男性が支配する国~の巻」 

第4波。とうとう4都府県に三度目の緊急事態宣言が出た。対象は東京、大阪、京都、兵庫。
 大阪では連日の感染者が1000人を超え続け、重症病床使用率がとうとう100%を超えた。
 東京でも感染者は増え続け、その多くが変異株と言われている。
 そんな3度目の緊急事態宣言を受けて、いたるところで大混乱が起きている。
 何しろ発令されたのが4月23日。始まったのが25日。宣言期間はゴールデンウィークとまるかぶりだ。大型連休は、多くの業種にとって「この一年間の損失を取り戻す稼ぎ時」のはずだった。それがなんと、酒を出す店には休業要請がなされ、それ以外の店は午後8時まで。イベントなどは原則無観客で、百貨店、テーマパークなどにも休業要請がなされた。
 「今まで頑張ってきたけど、今回で完全に心が折れた……」
 そんな言葉を飲食店の人たちから耳にする。それだけではない。ゴールデンウィークに企画されていたライヴやイベントはどうなるのだろう。多くのライヴハウスや劇場、そしてスタッフが確保され、観客の中にはホテルや飛行機、新幹線のチケットを取っている人もいるだろう。それが突然の無観客。数日前に言われても、いきなり配信に切り替えるのは至難の技だ。それだけではない。チケットの払い戻しや振替公演の設定もしなければならない。そんな「お金にならない後始末」があらゆるところで発生している。結局、アーティストやイベントを支える業種の人々が、莫大な損害を抱えることになるのだろうか?  そう思うと、「本当に勘弁してくれ」と叫びたくなる。文化、芸術に関わる人たちはどうしてここまで軽んじられるのか。「不要不急でない」と言ったところで、それで生活している人たちにとっては大問題なのに。
 そんな中、小池百合子都知事は午後8時以降の「消灯」も命じている。店のネオンやイルミネーションなどを消せというのだ。
 これを受け、「灯火管制か?」という声もあちこちから上がっている。灯火管制。敵の空襲などを逃れるために電気を消すこと。日本でも戦時中にやっていたことだが、私は1990年代末の北朝鮮で経験したことがある。あの時も午後8時だった。その時間になると人々が一斉に電気を消して街が真っ暗になるのだ。なぜそのようなことをするかと聞くと、「アメリカの人工衛星に我々の団結力を見せつけるためさ!」という返事が返ってきたが、当時の北朝鮮は慢性的な電力不足。灯火管制などせずとも、「一斉に電気が消える」=停電が1日に何度も起きていた。「なんの意味が?」。当時はそう思ったのだが、今、私は北朝鮮の灯火管制を笑えない。なぜなら今のこの国の状況こそ、「しょっちゅう停電してるのに気合で灯火管制して何かやってる感を出していた」あの頃の北朝鮮と大差ないように思えるからだ。
 そんな「午後8時以降、消灯」が人々にどんな作用をもたらすかといえば、それは「相互監視」に他ならない。
 「あの店は8時以降に灯りをつけていた。非国民だ」というような「灯火管制警察」は、すでにあちこちに現れているのではないだろうか。
 そんなふうにして、いろいろなことを取り締まり、多くの業種の人々を振り回しまくっている一方、日本のワクチン接種率は先進国で最下位という「どうした?」的な状況だ。世界でもっともワクチン接種が進むイスラエルでは、4月なかばの時点で屋外でのマスク着用は必要ないと政府が宣言。「コロナ以前の生活」を取り戻しつつあるのに、そしてそれ以外の国、例えば台湾では1日の感染者数は数人で、ニュージーランドではほぼ終息していて日常を取り戻しているというのに、この国では中途半端な対応をダラダラダラダラ続けていることでついに第4波が押し寄せ、そして人々は経済的にも追い詰められている。
 私も属する「新型コロナ災害緊急アクション」に寄せられるSOSはこの1ヶ月ほど内容が格段に深刻になり、その数も増えている。「5日間、何も食べていない」という声もあれば、野宿の人も多く、また自殺に直接言及する人もいる。都内を歩いていても、ホームレス状態と思われる人々の姿は増え、一方で多くの飲食店が潰れている。
 それなのに、オリンピックは開催するというのだから、空いた口が塞がらない。この状況を戦争にたとえる人は多いが、やはり頭に浮かぶのは「インパール作戦」だ。
 インパール作戦。太平洋戦争で、もっとも無謀と言われる作戦のこと。具体的には「気合い一発」みたいな感じで10万人の兵士をインド北西部の都市インパールに向かわせ(その間に幅600メートルの川を渡ったり、ジャングルみたいな山を越えたりする)、その後も食料などを補給せずに2万人以上を餓死・病死させたというメチャクチャな作戦である。
 その作戦の責任者が、牟田口司令官。
 2017年、私はこの連載で「精神論系パワハラオッサンに殺されないために〜インパール作戦と現代~」という原稿を書いているのだが、2017年に放送された「NHKスペシャル 戦慄の記録 インパール」と1993年に放映された「ドキュメント太平洋戦争 責任なき戦場」を参考にしつつ、振り返りたい。
 ふたつの番組とも、インパール作戦について、最初は反対意見が多かったことを指摘しつつ、「なぜ、インパール作戦は強行されたのか」を追っていくのだが、そこに浮かび上がるのがこの牟田口司令官の脈略のない強引さである。
 食料などの補給ができないからやめた方がいいという者がいれば、「卑怯者! 大和魂がないのか!」と怒鳴りつけ、「日本人はもともと草食だからジャングルの野草を食べる研究をすればいい」などと言い出し、現地で牛や羊を1万頭以上調達し、荷物運びと食料にするという「ジンギスカン作戦」を思いつき、4月29日の「天長節」(天皇誕生日)までにはインパールを攻略するのだ、と勝手に意気込み、1944年3月に10万人の兵士をインパールに向かわせたのだ。
が、食料はすぐに底を尽き、牛は600メートル幅の川を渡る際に半分が溺れ死に、生き残った牛も崖などから谷底に落ちて途中で全滅。牟田口司令官が「攻略目標」の日とした天皇誕生日の頃には兵士は飢え始め、現場から食料の補給を求める声が届いても「飲まず食わず、弾がなくても戦うのが皇軍。それなのに泣き言を言うとは」などとキレて放置。その間にも兵士は弱り果て、次々と飢えやマラリア、赤痢、そして手榴弾による自決などで命を落とし、インパールに続く道は「白骨街道」と呼ばれるほどになる。
 そんな状況に耐えきれずにある師団は師団長の独断で撤退(戦時中、初めてのことだったらしい)。その後、他ふたつの師団長も解任されるのだが、まだ作戦は中止されずに続くのだ。
 結局、死者を膨大に生み出しただけのインパール作戦は7月にやっと中止されるのだが、その後、牟田口司令官はトンデモないことを言っている。彼自身、4月終わり頃には作戦の失敗がわかっていたというのだ。しかし、どうしても「やめる」と言えなかった。自分がゴリ押しして始めた作戦。それを「途中でやめる」だなんて、「男の沽券」に関わるとでも思ったのだろうか。そのことについて、牟田口司令官は「顔色で察してほしかった」と甘え腐ったことを抜かしている。「忖度しろ」ってことか? 4月の時点で中止を決めてさえいれば、救われた命はどれほどあっただろう。
 さて、何かに似ていないだろうか。コロナ禍でゴリ押しされようとしている東京オリンピックである。やめた方がいいとわかっているのに、誰もやめると言い出せない。決断できない。世論調査でも8割の人が中止、再延期を求めているのに。だからこそ今、「やめる」という決断をすることこそがリーダーのすべきことなのに、その決断ができない。緊急事態宣言でいろんなことを制限しながら「オリンピックはやります」ではなんの説得力もないのに。まさに狂気の沙汰、インパール五輪と言いたくなってくる。一言でいうと、もうついていけない。
 飲食店もアーティストも、「もう疲れた」と言っている。私も疲れてきて、最近はニュースを見るのも嫌になってきた。


そして敗戦を迎えた日本はどうなったかは言うまでもなく、1950年8月15日には玉音放送が全国に流れた。
 

 原盤の玉音放送を初公開 終戦の日前に 宮内庁
 
こんなことにならないために、澤藤統一郎の憲法日記では、菅義偉に「堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び 東京オリンピックを返上せむ」ことを進めていた。
 

予、深く世界の大勢と我国の現状とに鑑み、非常の措置を以て政局を挽回せむと欲し、ここに温順なる汝ら選挙民に告ぐ。
 予は、東京都知事ならびに東京五輪組織委員会の同意を得て、予の政府担当大臣をして、国際オリンピック委員会に対し、東京五輪開催を返上する旨通告せしめたり。
 そもそも我国と我国民の安寧を図り、万邦万民と共栄共存せんとするは、内閣総理大臣たる予の神聖なる責務とするところ。予の前任者安倍晋三が「フクシマをアンダーコントロール」と大嘘を吐いてまで東京五輪を招致したる所以もまた、必ずしも利権への均霑を目的とするのみにあらず。
 政治の要諦は、人民にパンのみならずサーカスをも提供すべきにあるところ、オリンピックこそは、現代最大のサーカスにして、最高の経済効果をもつイベントであり、それ故にその成功は最強の政権支持浮揚策となる。
 かかる見地から、保守政治体制と財界の総力を挙げての東京五輪準備に邁進してきたところ、予期せぬ新型コロナ蔓延の事態に遭遇。これまで、既に1年有余のコロナとの交戦を経て、医療従事者の勇戦、官僚の精励、更に一億庶民各々最善を尽せる協力あるも、戦況の劣勢必すしも好転せず。
 世界の大勢もまた我に利あらず。しかのみならず、新に幾種類もに変異する新型コロナウィルスは跳梁やむことなく、感染者の増大と重篤化は防止困難な深刻な事態に至る。
 これに対応すべき医療の体制は脆弱にして、もし東京五輪の実施にこだわるとせば、さらに無辜の罹患者・重症者・病死者を輩出し惨害の及ぶ所、真に測るべからさるに至らん。今や、東京五輪がコロナ対策妨害者として認識されつつあり、ついには、オリンピックに対する怨嗟の声が、国民全体の政権批判の声に転化することは火を見るより明らかとなりぬ。
 とすれば、座して政権批判世論の勃興を見るよりは、ここに敢えて予自ら東京五輪中止を宣言して、政権の総力をコロナ対策に集中すること以外に、危殆に瀕している政権浮揚の策はない。
 予は、これまで東京五輪準備に邁進された諸氏に感謝の意を表する。また、オリンピック出場を目指していた選手諸君に想いを致せば、五臓が千切れる思いでもある。惟うに今後我国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。汝ら人民の無念も、予よくこれを知る。然れども、政権の安泰と、保守政治の安定継続のためには、堪へ難きを堪へ忍び難きを忍び、東京オリンピックを返上すること以外にはなく、これをもって万世の為に自民党政治の展望を見出さんとするものである。
 汝ら人民、宜しく予の意を体して、東京五輪はコロリと忘れてコロナ対策に専念せよ。
 ギョメイ ギョジ(御名御璽)


 
一刻も早く、このような宣言をすれば菅義偉の政治生命は「もう少し」延びるかもしれない、とオジサンは思う。      
 

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