政党とは、「政治において政策や主張に共通点のある者同士が集まって、意見の集約と統一された政策の形成を図り、政策の実現に向けての活動として、政権を担当もしくは目標とし、議会の運営の基本単位になるなどを行う組織または団体のことを指す。(Wikipediaより)」とある。
「政策や主張に共通点のある者同士」で 「政策の実現に向けての活動」することを政治活動といってもいいだろう。
もっとも、党に属しているいい年の大人が、皆な全員同じ考えを持つということはありえないし、一定の思想信条の自由度があってもおかしくはない。
それでも、こんな記事を読むと、この連中は何をよりどころにして政治家(?)になったのかと思ってしまう。
「細野氏、鷲尾氏…自民が旧民主系取り込み 野党『人材流出避けられず』見方も」
【毎日新聞より】
これらの連中は、結局は自分の選挙での当選、即ち「政治家という職業」のことしか念頭になかったのだろう。
それでは、同じ政党に属している現職の議員が、党の方針とは異なる行動を起こした場合は、どのように見ればいいのか。
「国民議員が再稼働要望」
朝日新聞朝刊記事で、
— 伍代杉太郎 (@godaisugitarou) 2019年3月20日
19日、経産大臣に会って「原発再稼働の推進」を求めたという
国民民主党の衆参議員5名とは、誰々なんだよ? 名前を出せよ。https://t.co/41KrZppepG
「国民民主党の衆参議員5名とは、誰々なんだよ? 名前を出せよ」との注文には、こんな答えがあった。
浅野さとし氏(衆院、国民、比例北関東ブロック(茨城5区))のfbに「柳田みのる議員、小林正夫議員、浜野よしふみ議員、岸本周平代議士」とある。立地で再稼働に反対する住民に対してケンカ売ってる。https://t.co/SShi8uJfW4https://t.co/YTCWVsJiYF
— こころの花 (@koko6no87) 2019年3月20日
浅野哲のFacebookはこちら。
その5人組はどんな出自の国会議員なのか?
簡単に調べてみると、「さもありなん」と納得するような連中である。
●柳田 稔
2010年11月14日、「法務大臣とは良いですね。二つ覚えときゃ良いんですから。 個別の事案についてはお答えを差し控えますと、後は法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つなんです。まあ、何回使ったことか」
電力総連の支持を受ける、中国地方の国会議員や地方議員らで構成される「未来の環境・エネルギー政策を考える会」会長
●小林正夫
全国電力関連産業労働組合総連合の組織内候補の1人であり[9]、2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故以降、原発存続に向けて国会議員への陳情を行っていた電力総連の政治団体「電力総連政治活動委員会」から、計2650万円の献金を受けていた。
●浜野喜史
元全国電力関連産業労働組合総連合会長代理
●岸本周平
元大蔵官僚で、2004年4月、大蔵省接待汚職事件に端を発した「ノーパンしゃぶしゃぶ接待」では、自らもMOF担から接待を受けていた事件の余波で、理財局国庫課長を最後に財務省を退官。トヨタ自動車に入社したという。
●浅野哲
「原子力規制委員会の審査に合格した原子力発電所は運転を再開すべきだ」
「将来も原子力発電は電力源のひとつとして保つべきだ」
野党とは名ばかりで、むしろ原発関連政策に関しては、完全に与党なのである。
当然ながら、「自由党との合併構想をめぐる国民民主党の両院懇は来週以降に」となってしまったわけだが、この2つの党が合併したところで合わせた支持率が1%にも満たない程度なので、与党の脅威にはならない。
現役の政党人ですら、こんな体たらくなのだが、一般人の中でも芸能人とかタレントと言われる人たちの「政治的発言」については昨今は喧しい。
「指原莉乃がウーマン村本を名指しで『政治を語りたがるタレント』批判! 権力批判だけを政治的という詐術」という記事の中では、注目すべき部分があった。
ノンポリの政治性を端的に示した良い記事。ノンポリは、権力者容認、権力者側についているだけの、日和見主義者。--------指原莉乃がウーマン村本を名指しで「政治を語りたがるタレント」批判! 権力批判だけを政治的という詐術 https://t.co/6UJIon5Rrb @litera_webさんから
— drkfortest (@drkfortest) 2019年3月20日
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ようするに、いまの芸能界やテレビ、そしてネット世論では、権力批判や反対の声だけが「政治的発言」扱いされているのだ。
しかも、深刻なのは、そうした権力批判への攻撃がネトウヨや安倍応援団だけでなく、今回の指原のように、「中立」「ノンポリ」を自認している人たちの間から出てきていることだ。
今年1月、想田和弘監督が、糸井重里の原発にまつわる言説を批判する文脈で、「ノンポリ」の問題点についてツイートをしている。
〈この見えにくいけど存在する「無色透明の政治性」が、実に厄介なのだと思う。それは早野氏と組んだ糸井重里氏にも共通する。彼は自らの高度な政治性を、ノンポリ的トーンや一般的に「政治的」と言われる言説を徹底的に避けることで覆い隠す名人である。だから彼に対する批判は党派的に見えてしまう。〉
〈大多数の日本人は「ノンポリ」であることを公平で客観的であることの証拠のようにぼんやりと誤解しているので、政治的立場を鮮明にするだけでそのメッセージの伝播力は削がれてしまう。広告のプロである糸井氏が「無色透明の政治性」の広告的効用を熟知し使いこなせるのも、考えてみれば当然である。〉
〈実際には、「ノンポリ」とは高度に政治的な立場である。例えば「政府が推進する原発再稼働に賛成か反対か」と問われたときに、ノンポリを自認する人は「賛成でも反対でもない」などと答えるかもしれない。だがそれは実は政府方針の「容認(黙認)」を意味する。つまり再稼働に加担している。〉
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少々真面目な表現で言えば、政治というと如何にも特殊なようだが、政治を議会による立法作業、政治家を代議士と呼べば、自ずから、国民納税者から徴税した公金資金の使い道の優先順位を立法を介して決定し、行政機構が会計担当として立法理念や原則に忠実な歳出事務を行う仕組みであると理解できるのである。
言ってみれば、政治とは国民から徴税した資金であらゆる政策を担う国家の、国権の最高機関である国会に納税者の代表が集い、福祉政策を中心とした、心身共に豊かな国民によるより良い国家の在り方を模索する作業である。
政策を作る立法作業を政治と呼び、納税者からの委任を受けて立法作業に参加する者を政治家と呼ぶのであり、政治とは本来それ以上でも以下でも無いはずである。
ところが現実には、国会を立法機関として機能させる意思の無い内閣と事務方が結託して政策案を作ってしまい、その結果、彼らが勝手気ままに国民から預かった公金を采配しているのであり、恐らく政治と称して国民を政治から遠ざける思考回路は、納税者から預かった膨大な額の公金を料亭で根回しした通りに歳出したいと願う与党、財界、官界がタッグを組んだ護送船団が造り上げた一種のポピュリズム思考であろうと思う。
与党財界に近年は学に司法にマスコミまでもが加わり、結果的に寄らば大樹の陰、長いものには巻かれろ、場の空気を読んで常に大勢に付け、ということが国民全体の処世術とならざるを得ない窒息状態がある。
そんな中で、前記事中の指原莉乃も場の空気を読み大勢に付く以外に生きる術が無く、与党財界の、いわゆる巨悪が、もの言う納税者を牽制するために使用している、「政治的な国民」という中傷を真に受けている浅はかで哀れであるタレントなのであろう、とオジサンは思う。