新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

死んだ加害者でもその罪は許すべきではない

2023年05月18日 12時00分40秒 | マスメディア

余りにも荒唐無稽な身勝手な暴論には、いまさらとやかく言いたくはないので、関連ツイートだけにしておく、この問題。
 


 
それにしても、なんで維新の会にはこんな規格外れのポンコツ議員が多いのか、とどこかで言ったら、こんな答えが返ってきた。
「こんな連中だから維新から立候補できたんだ」
 
そういえば、今は亡き立川談志がこんなことを言っていたことを思い出した。
 
「酒は人間をダメにするものではない。人間は本来ダメなもので、それを分からせてくれるものが酒だ」
 
上記の「」を「維新」に置き換えて読めば至極納得。   
 
「荒唐無稽」な変態オヤジが死んだのでそのの被害者たちが声を上げ始めたという「ジャニーズスキャンダル」
 
サラリーマン向け夕刊紙では、これはスピン報道ではとメディア批判を展開している。
 
防衛財源法のデタラメはてんで報じず 今頃ジャニーズがニュースを席巻
 

 

確かにジャニーズ事務所に最大の忖度と恐れを抱いていたのはテレビメディアだけではないはずである。
 
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士の河合薫が自戒の念からこんな記事で問いかけていた。 
 
 
同じ穴のムジナ。TV局だけにジャニーズ性加害問題を押し付けたい無責任な人々」 
  

・・・前略・・・
この件について「テレビ局はこの問題を知りながらも触れなかった。それが被害を拡大した」といった批判を、識者やジャーナリストを名乗る人たちが繰り広げていたことには、少々違和感を覚えました。
確かにここ数十年、テレビ番組は、ジャニーズや吉本などの大手芸能事務所のタレントばかり。芸能番組から報道番組まで、NHKやEテレから民放まで、どこもかしこも“タレント”だらけです。なのに触れなかったといえば、確かに「触れなかった」。
しかしながら、性被害に向きあってこなかったのは、社会であり、「私」たちでもある。まるで「私は関係ございません。まったく、テレビ局って」という批判は、ちょっとばかり都合良すぎるのではないか、と。社会が、「私」が、被害者の声に真摯に向き合わない限り「変わらない」…。そう思えてなりません。
ジャニー氏からの性被害を声を上げたのは、元フォーリーブスのメンバーです。1988年に出版した自伝で自身が受けた被害を綴り、その後は週刊誌などでも度々報じられてきました。1999年に文春が大きく取り上げた際には、ジャニーズ事務所が「名誉毀損にあたる」として訴え裁判に。結果は、すでにさまざまなメディアが書いているとおり、2003年5月に東京高裁が、「その重要な部分について真実」「真実でない部分であっても相当性がある」として、性加害を認定。ジャニーズ側はこれを不服として上告しますが、2004年に棄却されました。
なのに「社会」はこの問題に関心を示さなかった。
1999年といえば、バラエティ番組「SMAP×SMAP」が20%超の視聴率を記録し、嵐がデビューするなど、ジャニーズ旋風が吹き荒れた時期です。2003年といえば、『世界に一つだけの花』がシングルで発売され、2005年の紅白歌合戦では、出場歌手全員で大合唱しています。
ジャニーズ事務所に所属するタレントに“スポットライト”が当たっているの陰で、法廷で「誰にも知られたくない、言いたくない」話を紡いでいる
■大きな社会問題となった「保毛尾田保毛男」
私も例外ではありません。こういう裁判があったことさえ、知りませんでした。いや、知ろうとさえしなかった。反省しているし、恥ずかしいです。
性被害の問題から「私」が抜け落ちているのは、テレビ業界だけの問題じゃないのです。社会の、「私」の問題でもあり、それに「私」が気づかない限り、被害はなくなりません。半径3メートル世界にも人知れず、苦しんでる人がいるかもしれないのです。
そもそも今回の事態のきっかけは、いや、きっかけ“も”、海外発でした。3月にBBCが喜多川氏の性的虐待を取り上げた1時間のドキュメンタリー番組を放映したのです。なぜ、BBCは海の向こうの性的虐待を取りあげたのか?「社会の関心テーマ」だったからです。
時にテレビは世論を作り出す“装置”になりますが、大抵は「社会が求めてること」「社会の関心の高い問題」を取り上げるメディアです。むろん「社会の人が知らないでも、知るべきこと」を取り上げることもあります。それでもそこから「社会の目」が消えることはありません。社会のまなざしがテレビを変えていくのです。
6年前の2017年10月、フジテレビで放送された「とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年記念SP」の番組内コーナーで、とんねるずの石橋貴明さん扮するゲイのキャラクター「保毛尾田保毛男(ほもおだほもお)」が登場し、侮蔑語である「ホモ」を連発。ゲイを笑い者にしたネタを連発しました。
これは大きな社会問題になった。テレビ番組に、社会が「ノー」の声をあげたからです。見ていた人が「不愉快」だった。だから問題になった。以来、テレビからLGBT問題を茶化す動きはなくなりました。それまでテレビで頻繁に使われていた“おかま”という言葉も消えました。
つまるところ、問題は性的虐待だけではない。ほんの数年前まで、日本社会は、性被害はもとより、セクハラ、パワハラを許容してきた。それは当事者意識のなさであり、自分とは違う世界の出来事という無責任さが、被害を生む。その現実に「私」はどう向き合うか?
LGBT法案もパワハラ法案も、最後まで「禁止」の2文字が入らなかった。これも政治だけの問題じゃない。社会の問題でもあるのではないでしょうか。
「知らない」ということ、無知であること、「知ろう」としないこと、無知を認めないこと。それがいかに刃となるか。そのことに1人でも多くの人が気づいて欲しいと心から思います。


 
この問題については、あのお騒がせ男の辛坊治郎が自身の有料メルマガでこんなこを暴露をしていた。  

「辛坊治郎氏が暴露、ジャニーズ事務所「性加害」のウラ。ジャニー喜多川氏の淫行を「知らなかった」わけがない理由 」(リンク無し)
 

◆ジャニーズ性加害問題、国内報道なぜ後手後手に?

先日来、業界関係者でない複数の知人から、「何で、イギリスのBBC放送がドキュメンタリーで伝えて、日本でも被害者の実名記者会見まで開かれたのに、ジャニーズの先代トップの男子児童に対する性的虐待問題を日本のマスコミは扱わないのだ?」という質問を受けました。
勿論、「テレビ局などが番組作りで世話になっているジャニーズ事務所に忖度して扱わない」という事実はあるでしょう。でもね、問題はそれだけじゃないんです。
私は、このあたりの事情は一般の人の間でも共有されていると思っていたんですが、先日飲食の席でこの問題を説明したら、「そういうことなんですね!」と驚かれて、逆に私が驚きました。
もしかすると、私が「世間の常識」と考えていることが、必ずしも「世間の常識」ではない可能性に気が付きましたので、今回は、この問題を解説しておきます。
◆故ジャニー喜多川氏の性加害を「知らなかった」は嘘つき
まず、テレビ業界人として、「ジャニーズの先代社長が、いわゆる『ショタコン』と呼ばれる、若年男性に対して性的嗜好を持つ人物だったのだろう」というのは常識です。
この問題について発言する業界人の中には、「今回の報道で初めて知った」的な事を口にする人がいますが、私の感覚ではそんな人は「単なる嘘つき」です。
だって、銀座にはもうずいぶん前から、「売れずにジャニーズを退社した元タレントさんが集団で働くおかまバー」があって、そこでは、先代トップの性的虐待の様子が、夜な夜な赤裸々に語られたりしています。
業界にいて、この話を聞いた事がない人はまずいないでしょう。
ですから、昔、週刊誌が、当該人物が存命中にこの問題を書いた時も、今回イギリスのメディアが大々的に取り上げた際にも、正直な業界人の感想は、「そんな事知ってるよ」なんですね。
◆現役の有名タレントにスキャンダルが波及する可能性
こう書くと、「知ってて、何で告発しなかったんだ?」となりますが、これが今回皆さんに説明する話です。
簡単に結論を言うと、現在活躍中の有名タレントの中に、元事務所トップの寵愛を受けてデビューし、その結果売れている人が現役で多数いる可能性です。
この皆さんは、現在の「Mee Too」運動的視点に立てば、間違いなく「性犯罪の被害者」でしょう。しかし、性犯罪と言うのは元々「親告罪」と言って、被害者が被害を認識して告訴しない限り罪に問えない犯罪でした。
例えばAさんがBさんに対して「性的犯罪を犯している」とCさんが思っても、この問題を告訴できるのはBさんだけで、Cさんには告発の権利は、近年法律が改正されるまでなかったのです。
これが殺人や窃盗なら違います。被害者が告訴しなくても、第三者が「犯罪があった」と告発したら警察は捜査してAを逮捕することができます。これに対して近年法律が改正されるまで長らく、性犯罪は詐欺罪などと同様に、強盗や殺人と違って「親告罪」と言って、被害者の訴えが必須な犯罪だったんです。
その理由は、詐欺などが典型ですが、例えば「恋愛成就に効くペンダント」を高価で買ったような場合、買った人が被害を認識しない限り犯罪は成立しないのです。買った人が「このペンダントにはこの値段がふさわしい」と納得している限り詐欺は成立しません。性犯罪の場合は、この事情に加えて、被害者に被害意識がある場合でも、性犯罪の被害者であることが表面化するのを恐れる被害者の気持ちを斟酌して、「被害者の訴えが無い限り犯罪として捜査しない」という原則が長年維持されてきたのです。
ただ、この後者の原則は、近年の世界的な性犯罪に対する認識の変化を受けて、「性被害は恥ではないので、積極的に被害を告発すべき」となって、変わりつつあります。日本で性犯罪が近年親告罪でなくなったのはこの世界的な流れを受けての事です。
ジャニーズ問題を告発した昔の週刊誌報道は単なる「商売」が動機ですが、今回のBBCの報道の背景には、「性犯罪も他の犯罪同様、直接の被害者の告発が無くても積極的に問題視すべき」という世界的な意識の変化があるのです。
◆性犯罪、枕営業、暴力団──芸能事務所とテレビ業界の闇
話を元に戻しましょう。「なぜ、日本のテレビ局などはジャニーズの先代トップの性犯罪を積極的に報じないか?」の答えですが、「現在活躍中の有名タレントの中に、ジャニーズの先代トップの性的犯罪の被害者だった可能性のある人物が何人もいるが、その本人が『自分が被害者である』と名乗りを上げていないのに、『あの人は被害者だ』という話を広げるのは当人に迷惑ではないか?」という気持ちがあるからです。
性犯罪の被害者が、自分が被害に遭った事を公表していないのに、「あの人は性犯罪の被害者かもしれない」と他者が報じる事は避けるべきだ」と考える訳ですね。
さらに、ここからはかなり日本的な発想ですが、日本では昔から「枕営業」という汚い言葉があります。
一般にこの言葉は、女性が、権力等のある男性との性的関係を利用して経済的、あるいは社会的地位向上を目指す行為を意味します。
日本の社会の中には「枕営業で成功を掴んだ人物が、成功した後で成功のテコに使った人物を告発するのはフェアじゃない」という意識が根強くあります。ジャニーズ事務所で出世したタレントさんの中には── 
 
 
日本では「性的虐待」は主に男が年齢を問わず女性に与える犯罪であった。
 
今回の件を女性の立場からこの人が論じていた。
 
ジャニーズ事務所が性被害問題で“ずれた”謝罪 子供たちの「同意がなかった」事実こそ強く受け止めるべき 北原みのり
 

沈黙を貫いてきたジャニーズ事務所の謝罪と見解を、社長が公表した。ひと月で1万6千筆集まったファンからの署名は大きかったはずだ。それでも発表されたものを読む限り、「これで終わり」というわけにはいかないだろうな……と、モヤモヤが深まってしまう。
「(ジャニー喜多川氏が亡くなっているので)『事実』と認める、認めないと一言で言い切ることは容易ではない」だなんて、それを言っちゃおしまいよ感が深まるし(そもそも、ジャニー氏が存命だったら怖くて声をあげられなかったという被害者もいる)、カウンセラーら専門家の力を借りて被害者と向き合っていくとは言うが、加害者側から提供されるカウンセリングを受けたい被害者っているのだろうか。もっとシンプルにすればいいのに。
 性被害者が求めるのは、突き詰めれば二つのことだ。それは世界の性被害者たちの告発が物語っている。一つ、加害側が事実を認めること、二つ、謝罪をすること。本当にこの二つだけだ。もちろん事実を認め謝罪をすれば、当然お金の話になっていくのが大人の世界だけれど、それは副次的なことである。
 今回の会見、事実を認めていないのに社長が頭を深々と下げるという、ずれた謝罪だったとしか言いようがない。なによりファンが呼びかけた署名にあった「第三者機関を通して事実を明らかにしてほしい」という要望については、第三者にヒアリングされたくない当事者がいる、被害者に負担をかける……という理由で第三者機関を入れた事実の解明については否定した。話したくない人の口を無理やり開かすような事実解明をしなければいいだけの話なのに……とフツーに思います。
 とはいえ、この問題が改めて複雑で、そして多くのファンが沈黙し、まだ大きなうねりのような社会問題になっていないのは、「事実が明らかになって傷つくのは被害者だ」という誤った認識と、被害者が文字通り分断されているからだろう。
 被害者も一様ではない。自分を被害者とは思わず「あれはジャニー氏との親密な思い出」という調子で語る人もいる。被害を強く訴えても、一方で「ジャニー氏は恩人だった」と言う人もいる。人生が中断させられた悔しさに泣き、苦しみ続ける被害者もいる。また、これまでの被害の告発を考えれば、被害者の中にはスターになった人たちもいるはずだが、性被害者に対する偏見がある社会で、著名人が性被害を語るのは大変な決意が必要なことだろう。
 被害者が分断されればされるほど、加害者の罪は問われなくなる。これはジェンダー問題でも同じだ。女性が圧倒的に不利な社会で女性同士は競わされる。ある者は沈黙し、ある者は怒る。その怒りの矛先もバラバラだ。女性差別するな、という一言ですら連帯できない女たちのほうが圧倒的多数なのかもしれない。弱い者たちは常に分断されるのだ。
 だからこそ、フェミニズムは被害者が語りやすい空気をつくってきた。その一つが#MeTooだ。このジャニーズの事件は、日本社会が本当に性被害に向き合えるかどうかが問われている。1980年代から告発されてきたのに、社会で無視してきた子供への性加害。被害者が分断されていることに便乗し、私たちは光の部分だけを楽しんできた。その背後で、何十年もの間、被害者が次々に生まれてしまったというのに。私はやはり、前代未聞の規模の性被害の実態を明らかにすべきだと思う。被害者の名前が必要なのではない。加害がどのように継続されてきたのか、その背景にあったものを一芸能事務所の問題だけでなく、社会として捉えるために。
 刑法の性犯罪規定が改正されようとしている。性被害当事者の念願だった「不同意性交罪」に変更されるかもしれない可能性が高まっている。
 今の刑法では、「同意がなかった」ことが認められても、加害者が「同意があったと勘違いした」から無罪、というケースがあった。抵抗できないほどの状況に被害者が追い込まれていたことを、被害者が立証しなければならなかった。それが今回の法改正では、これまでの「強制性交罪」と「準強制性交罪」が統合されて、「不同意性交罪」という名に改正される可能性が高まっている。どれだけ抵抗したか、またはどれだけ抵抗できなかったかではなく、「私は同意していない」ことにより重きが置かれる流れが生まれたのだ。
 例えば先日、週刊誌でプロ野球の山川穂高選手の性暴行容疑が報じられた。膣を激しく損傷し、被害数日後に警察に訴えた女性に対して、山川氏は「同意があった」と言っているが、膣を激しく損傷する同意はどのように取れるものなのだろうか。加害者寄りにも思われる刑法から、今後は性被害の実態に沿った刑法改正が強く求められていくだろう。
 被害者が事実を語ることそのものに苦痛が伴う事実が性暴力を複雑にしている。その難しさを理解しながら、社会が、性被害を語る人たちの声に耳を傾け、そしてまずは信じる、という態度が必要なのだろう。
 ジャニー喜多川氏の被害者は子供たちだった。圧倒的な力関係の中で、声をあげられなかった子供たちだった。そこに「同意がなかった」事実を、ジャニーズ事務所も、私たちも強く受けとめなければいけない。


 
「圧倒的な力関係の中で、声をあげられなかった子供たち」へのあきらかな「性犯罪であり、今となっては遅すぎるかもしれないが、「加害者死亡で書類送検」という法的手続きをするべきでわないだろうか、とオジサンは思う。 

 

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