新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

河野太郎総裁になれば菅義偉が生き返る

2021年09月07日 11時36分38秒 | 総裁選

日本国語大辞典によれば「出馬」には以下の4つの意味が載っている。
 
① 馬を出すこと。
② 馬に乗って出かけること。特に戦場に出向くこと。出陣。
③ 重みのある人物がある場所に出向いたり、事に臨んだりすること。
④ 選挙に立候補すること。
 
この数日間でメディアに登場する「出馬」は当然④の意味である。
 
決して、③の意味ではない。
 
自民党の極めて閉鎖的な権力争いを各メディアは、あたかも出走前の「駄馬」をパドックで品定めしているかのようである。

 
 
この駄馬群から1頭を選ぶ自民党の連中には、残念ながら政治理念や国家観などとは関係なくとにもかくにも衆議院選の顔探しと、自ら買った馬券という「投票」により、勝ち馬に乗ることしか考えていないという浅ましさ。
 
国民から負託されている国会議員にもかかわらず、2年余りのコロナ禍で疲弊している中小の多くの飲食業者や関連する業者、そして「無策」というコロナ対策により生じた医療崩壊により、「自宅死」した国民の存在など眼中にないような振る舞いには怒りを通り越してあきれてしまう。
 
そしてこんな時期になると必ず登場する「官邸情報通」と称する「政局評論家」も目障りで疎ましい。
 
それにしても、20世紀のころの自民党は、大きな派閥の領袖(オーナー・会長)が総理大臣候補として切磋琢磨して、派閥を挙げて応援していたものである。
 
そんな領袖も21世紀にはいり徐々に姿を消し、ひと昔には「チンピラ」レベルの輩が各派閥を継いでいる。
 
指定暴力団が法律により次々と解散され消えていき、生き残りをかけた小物連中が組を引き継いでいるようでもある。
 
そのため、自分の派閥内をまとめあげる威光も威厳も失せてしまっている。
 
高市氏も出馬意向も細田派には慎重論も…総裁選は派閥一本化難航で混戦に?」  
       
主流派」麻生・安倍氏、派閥結束に苦慮…河野・高市氏への異論くすぶる
 
「馬券」を買うことができない国民からすれば、あたかも「高みの見物」なのかもしれないが、油断するとトンデモない輩がこの国の最高権力者になりかねない。
 
こんな時期になると強力な「政治ブロガー」たちの発信が盛んになる。
 
例えば、多くの国民人気を集める「出走馬」に対してはかなり手厳しい批判を浴びせていた。
 
『河野太郎が最悪』である理由」(kojitakenの日記)    
   
河野太郎が名乗りを上げる前には自民党総裁選のことなど書きたくもなかった。だが、河野が出てきた以上書かざるを得ない。その理由をこれからご説明する。
 まず、今の日本にとって最大の脅威は何かというと、やはり新型コロナウイルス感染症だろう。また、今の日本の政界でこの国に住む人々を脅かす政界の脅威は、私見では下記の3つだ。
 第1が新自由主義勢力の脅威。菅義偉がこれに属し、菅のブレーンには竹中平蔵がいる。河野太郎もこの勢力に属する。
 第2が極右の脅威。その親玉が安倍晋三だ。
 第3は第1、第2の両方と被るが、自民党の中でもごく少数による寡頭政治の脅威。ほんの少し前までは二階俊博もその一人だったが、二階はついに安倍晋三と麻生太郎によって失脚寸前にまで追い込まれた。2012年から2020年まで続いた悪夢の安倍政権は首相・安倍、官房長官・菅、自民党幹事長・二階のトライアングルによって壟断され、この寡頭政治が日本の政治をズタズタにするとともに、世界に占める日本の位置づけを大きく下げた。だから自民党政治自体を可及的速やかに終わらせなければならないというのが私の立場だ。・・・中略・・・
 何より河野太郎を特に警戒すべき最大の理由は、ネットの「リベラル」勢力の中でも河野への忌避感が比較的に薄く、世間一般においてはテレビ朝日やTBSも大いに好意的な河野に対する好感度がそれなりにあることだ。
 衆院選を直前に控えた自民党議員たち、ことに当選回数の浅い「安倍チルドレン」とかいう連中にとっては、自らが選挙に勝てるかどうかが一番大事だ。だから、いくら自分たちを当選に導いてくれた安倍晋三が推そうが、おいそれと高市早苗なんかは担げないのである。こんなことは当たり前ではないか。・・・中略・・・
 河野太郎にどのくらい地方票の集票力があるのかは知らないが、石破の票が乗っかると大きい。あるいは、その前に流れていた二階派は石破支援へと動いていたという情報を考え合わせると、二階は河野を当選させる方向に舵を切ったのではないかとも思わせる。
 そうなると、何が何でも自分が当選したい自民党の衆院議員たちは、たとえ安倍晋三らボスたちが最初の投票では高市早苗、決選投票では岸田文雄という思惑を持っていたとしても、それには従わずに河野太郎へと一気になびく可能性が高いのではないか。
 私が念頭に置いているのは、あの不人気を極めた森喜朗のあと、橋本龍太郎が再登板する可能性が高いだろうとの大方の予想を裏切って、小泉純一郎が総裁選に当選した2001年春のことだ。「文春砲」にパワハラが叩かれるなど、一定程度には悪名が浸透している河野では、さすがに小泉純一郎と同じように大ブームを巻き起こして国政選挙(2001年参院選)で圧勝するところまではいかないかもしれないが、衆院選で自民党が普通の勝利を収めるくらいの計算は立ちそうだ。
 何より重要なのは、テレビ朝日やTBSが甘い顔をする河野太郎の正体は「高リスク者とエッセンシャルワーカー飛ばしてワクチン使って大企業と癒着」する、極悪のネオリベ政治家であることだ。これが問題の核心だ。
 それでなくてもGoToだの東京五輪だのと言った菅義偉のネオリベコロナ対応によって感染が大きく広がり、そのしわ寄せを食いまくっているのに、この上まだ菅・竹中路線を継承する河野太郎政権なんかが出現するかもしれないと思うと、たまらなく暗い気持ちになる。
 だから私は「河野太郎だけはやめてくれ」と強く願う次第。

 
次に、昔からオジサンがたびたび引用しているこの人の政局分析の一部を紹介する。
 
因果応報/民意に引きずり降ろされた菅義偉 – 国谷さんをNHKに戻そう」(世に倦む日日
 
もし、河野太郎が新総裁に就いたなら、安倍・菅レジームは基本的にそのまま継続される動きになる。麻生太郎が失脚するだけで、自民党内の派閥の構図と形勢が変わるだけである。竹中平蔵の地位はそのままで、また、菅義偉のコロナ対策の要諦であったワクチン一本足打法の集団免疫路線も同じままだろう。なぜなら、河野太郎と菅義偉はネオリベの同志だからであり、神奈川ネオリベ原理主義の同閥だからである。菅義偉が河野太郎と小泉進次郎を買ってかわいがったのは、単に自民党世襲のサラブレッドという理由からだけではなく、この二人が猛毒のネオリベだからであり、自分と同じく、竹中平蔵の政策系統を強力に引き継いでくれる後継者だと見込んでいるからだ。菅義偉は倒されて一敗地に塗れたけれど、まだ完全に無力化されたわけではない。ここで河野新政権が誕生すると、菅義偉は自民党の副総裁に就任する新展開となる。
 河野太郎が新総裁になると想定したとき、麻生派は割れ、細田派も地殻変動が起き、新しい総裁派閥の河野派が成立することになる。3回生以下の若手議員が移動して集合する。小泉進次郎も幹部として入る。おそらく、そこに、派閥最高顧問として菅義偉が君臨することになるのだ。喩えれば、嘗ての経世会の金丸信みたいなポジションとプレステージで、政府内では無役でも絶大な権力を持つ領袖になるだろう。河野太郎は菅義偉に引き立てられて出世した。9年間の安倍・菅レジームの中で抜擢され台頭した政治家である。所属派閥のボスの麻生太郎とはむしろ折り合いが悪く、麻生太郎は警戒して常に飼い殺しの状態に置こうと画策してきた。派閥を持たない菅義偉が、自身の後継の本命として頼りにしていたのが河野太郎で、ワクチン担当に据えたのも、それで手柄を上げさせ、マスコミと世間からの評判を与えるのが狙いだった。河野太郎が総裁に座れば、菅義偉の政治生命と地位は安泰で、副総裁として従来同様の実権を振るうことになる。内閣人事局の決定が菅義偉の意向で差配される。
この問題は重要で、菅退陣の後のマスコミ報道では、唯一、4日のTBSの報道特集が関連する問題に触れていて、片山善博が簡潔に断罪する場面があった。的を射た報道だった。9年間の安倍・菅レジームの核をなす実体とは、まずは霞ヶ関の官僚の人事権である。官僚を絶対支配することによって、安倍晋三と菅義偉は権力を恣(ほしいまま)にすることができ、国権の最高機関の国会を無化した。裁判所も天皇も、国家の統治機構の一切を私物化し、ほとんど北朝鮮と同類の独裁ヘゲモニー体制を確立し持続させた。私は何度もその認識を直言してきたが、安倍・菅レジームの権力の独裁と私物化の程度は、中国以上に度を超えたグロテスクな実相がある。習近平でもここまで極端に、国務院と報道機関を自己の私欲と放恣で統制できない。表面上および形式上、日本は中国にない民主主義があるように見え、中国より高度な民主主義が実在し機能しているように映るけれど、実態は中国以上に独裁者の権力が万能な国に変わっていた。だから、9年間、日本は何もかもどんどん劣化し腐敗したのだ。新聞テレビは言うまでもなく、官僚も、教育も、企業も。さらには反体制の左翼まで。何もかもどこまでも杜撰で粗野で無知で野蛮になった。
内閣人事局、官邸の官僚支配のツールである人事権。これが総裁選の争点にならないといけない。新総裁は、内閣法を再改正して7年前の原状に復さないといけない。これが重要なポイントである。詳しくは別稿で論じよう。もう一つ、マスコミ支配。ここを安倍・菅レジームの以前に戻さないといけない。この点に若干触れたのは、5日のサンデーモーニングの浜田敬子だった。菅義偉と安倍晋三が9年近く言い続けてきたところの、(1)個別の問題には回答を差し控える、(2)仮定の質問には答えられない、(3)それは特に問題には当たらない、(4)その件は政府として諒とする、等々。これらの回答拒否の応答方法、説明責任の否定と抹殺の政治様式を、そのまま今後も存続させるのか、ここで断ち切るのかという問題だ。第四の権力であり、先行三権を監視する使命と任務を持つはずのマスコミが、こうした逸脱を見逃して容認してきたために、悪影響は司法に及んだ。検察が与党議員や官僚の犯罪を見逃し、捜査を怠業し、立件を不作為するという暴挙に及んできた。安倍・菅のマスコミ支配も、根幹は人事であり、社の上層部を押さえ、要所に自分たちのパペットを置き、自分たちの都合のよいアナウンスとプロパガンダを撒いてきたということに尽きる。

 
いくら「解散権」と「自民党の人事権」が発揮できなかったからと言って、簡単に「総裁選不出馬」と言っているのは、その裏には何かかがあると思っていた人も多かったようである。
 
「ここで河野新政権が誕生すると、菅義偉は自民党の副総裁に就任する新展開となる」という一見大胆な見立てなのだが、菅義偉もこのまま何もしなければ自分自身の総選挙も危うくなる。
 
そうなれば河野太郎を「選挙の顔」にして、「自民党の副総裁に就任」すれば一気に自民党を「占拠」してしまうのではないだろうか、とオジサンは思う。   

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