子どもの頃、部屋に貼ってあった世界地図は、日本列島だけでなく朝鮮半島や台湾、南樺太も赤く塗られていました。私ヌルボ、戦後生まれですが、当時わが家には終戦前の地図がそのまま残っていたのです。中国の部分は「中華民国」と書かれていて、北京と南京が首都を示す赤丸になっていた記憶があります。
今の若い人たちにとって、中華人民共和国が戦後(1949年10月1日)に成立したことは常識でもなさそうです。
中国の国名同様に、ヌルボの世代なら子どもの頃から知っていた38度線という言葉も、今は中高生にとって学校で教わって初めて知る言葉のようです。(∴かなり多くの不勉強な中高生は知らない。大学生も?)
で、今回の記事は38度線と軍事境界線についての基本点、まずと現状の把握から・・・。
小学生の頃だったか、地図帳によって朝鮮半島の中央部、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国を分ける線が直線のものとギザギザのものと2種類あることに気づきました。
調べてみると、直線の方はもちろん北緯38度線で、終戦直後南北の境界線となったライン。ギザギザの線は1953年朝鮮戦争の休戦で設定された休戦ライン、すなわち軍事境界線です。
ところが、現在でも韓国では軍事境界線のことを<38선(38線.サムパルソン)>とふつうによんでいるし、板門店ツアーの日本人観光客も「38度線の北を眺めると・・・」等とブログに記している例もたくさんあります。ちょっとややこしいですね。
少し正確に38度線と軍事境界線あたりの地図を見てみましょう。

①平壌 ②元山(ウォンサン) ③延坪島(ヨンピョンド) ④開城(ケソン) ⑤板門店 ⑥愛妓峰(エギボン) ⑦鉄原(チョルウォン)
⑧花津浦(ファジンポ) ⑨束草(ソクチョ) ⑩雪岳山(ソラクサン) ⑪江陵(カンヌン) ⑫春川(チュンチョン) ⑬ソウル
さて、見てわかることは、まず江原道方面。
⑨束草と⑪江陵の間に38度線が通っているんですね。
ほんの3日前(12月22日)(「北朝鮮向けの)電飾灯が7年ぶりに点灯された」という場所が⑥愛妓峰。金浦市内です。⑦鉄原は朝鮮戦争の激戦地として有名。
束草の北の⑧花津浦は、日本の統治時代から有力人物の別荘地として利用され、「秋の童話」の撮影地としても有名な日本海に面した景勝地です。少し南に、終戦後は海岸を一目で見下ろせる絶壁の上に 金日成の夏の別荘が建てられ、現在は観光ポイントになっています。金日成が使っていた生活用品などが展示されており、別荘に上がる階段には金正日の幼い頃の写真もあるそうです。徒歩10分ほどの所には李承晩元大統領の別荘と資料館もあります。
ここから北方、軍事境界線近くには高城統一展望台があります。今年行った人の旅行記は→コチラ。
⑨束草や⑩雪岳山が朝鮮戦争後に韓国の領域に入ったのと逆に、韓国から北朝鮮の領域となった代表的な都市が④開城です。
開城といえば、近年は工業団地関係のニュースがしばしば伝えられていますが、高麗時代の都で、歴史・文化の伝統のある町です。1991年私ヌルボも開城に1泊し、市内の善竹橋や郊外の朴淵瀑布&観音寺、そして板門店を観光してきました。(開城は朝鮮人参でも知られ、それから韓国の代表的作家の一人朴婉緒(パク・ワンソ)も開城近郊の出身です。
で、ヌルボが地図を見て気づいたのは、④開城が⑤板門店の北ではなく、ほぼ西方に位置するということ。板門店ツアーで行く南北の境界の建物(の中のマイクのコード)はほぼ南北、正確には南西/北東を分けています。つまり、北朝鮮側の建物(板門閣)の方向が北東なんですね。ですから「あの向こうが開城か~」と思ったのは全然方向違いだったわけです。北朝鮮だから北の方、となんとなく単純に考えていました。
グーグルマップで開城~板門店周辺を見てみればすぐわかりますね。↓

ここで話は最初に戻るのですが、38度線という言葉は知っていても、分断の経緯を知らない人も多くなっているようです。
また、この38度線設定の経緯や分断の責任等についてネット上を見てみると、最近(前から?)日本でも韓国でもさまざまな言説が飛びかっています。その中には「あれれ? 違うんじゃないの?」というものも1つ2つではないようなので、ヌルボもいろいろ探った上で書いてみることにしたというわけです。
今回の記事は、その本論に入るための長~い前説のようなものといえなくもない・・・です。(ということで次回に続く。が、いつになることか・・・。)
→ 38度線と軍事境界線について(2) 誰が祖国を分けてしまったの?
今の若い人たちにとって、中華人民共和国が戦後(1949年10月1日)に成立したことは常識でもなさそうです。
中国の国名同様に、ヌルボの世代なら子どもの頃から知っていた38度線という言葉も、今は中高生にとって学校で教わって初めて知る言葉のようです。(∴かなり多くの不勉強な中高生は知らない。大学生も?)
で、今回の記事は38度線と軍事境界線についての基本点、まずと現状の把握から・・・。
小学生の頃だったか、地図帳によって朝鮮半島の中央部、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国を分ける線が直線のものとギザギザのものと2種類あることに気づきました。
調べてみると、直線の方はもちろん北緯38度線で、終戦直後南北の境界線となったライン。ギザギザの線は1953年朝鮮戦争の休戦で設定された休戦ライン、すなわち軍事境界線です。
ところが、現在でも韓国では軍事境界線のことを<38선(38線.サムパルソン)>とふつうによんでいるし、板門店ツアーの日本人観光客も「38度線の北を眺めると・・・」等とブログに記している例もたくさんあります。ちょっとややこしいですね。
少し正確に38度線と軍事境界線あたりの地図を見てみましょう。

①平壌 ②元山(ウォンサン) ③延坪島(ヨンピョンド) ④開城(ケソン) ⑤板門店 ⑥愛妓峰(エギボン) ⑦鉄原(チョルウォン)
⑧花津浦(ファジンポ) ⑨束草(ソクチョ) ⑩雪岳山(ソラクサン) ⑪江陵(カンヌン) ⑫春川(チュンチョン) ⑬ソウル
さて、見てわかることは、まず江原道方面。
⑨束草と⑪江陵の間に38度線が通っているんですね。
ほんの3日前(12月22日)(「北朝鮮向けの)電飾灯が7年ぶりに点灯された」という場所が⑥愛妓峰。金浦市内です。⑦鉄原は朝鮮戦争の激戦地として有名。
束草の北の⑧花津浦は、日本の統治時代から有力人物の別荘地として利用され、「秋の童話」の撮影地としても有名な日本海に面した景勝地です。少し南に、終戦後は海岸を一目で見下ろせる絶壁の上に 金日成の夏の別荘が建てられ、現在は観光ポイントになっています。金日成が使っていた生活用品などが展示されており、別荘に上がる階段には金正日の幼い頃の写真もあるそうです。徒歩10分ほどの所には李承晩元大統領の別荘と資料館もあります。
ここから北方、軍事境界線近くには高城統一展望台があります。今年行った人の旅行記は→コチラ。
⑨束草や⑩雪岳山が朝鮮戦争後に韓国の領域に入ったのと逆に、韓国から北朝鮮の領域となった代表的な都市が④開城です。
開城といえば、近年は工業団地関係のニュースがしばしば伝えられていますが、高麗時代の都で、歴史・文化の伝統のある町です。1991年私ヌルボも開城に1泊し、市内の善竹橋や郊外の朴淵瀑布&観音寺、そして板門店を観光してきました。(開城は朝鮮人参でも知られ、それから韓国の代表的作家の一人朴婉緒(パク・ワンソ)も開城近郊の出身です。
で、ヌルボが地図を見て気づいたのは、④開城が⑤板門店の北ではなく、ほぼ西方に位置するということ。板門店ツアーで行く南北の境界の建物(の中のマイクのコード)はほぼ南北、正確には南西/北東を分けています。つまり、北朝鮮側の建物(板門閣)の方向が北東なんですね。ですから「あの向こうが開城か~」と思ったのは全然方向違いだったわけです。北朝鮮だから北の方、となんとなく単純に考えていました。
グーグルマップで開城~板門店周辺を見てみればすぐわかりますね。↓

ここで話は最初に戻るのですが、38度線という言葉は知っていても、分断の経緯を知らない人も多くなっているようです。
また、この38度線設定の経緯や分断の責任等についてネット上を見てみると、最近(前から?)日本でも韓国でもさまざまな言説が飛びかっています。その中には「あれれ? 違うんじゃないの?」というものも1つ2つではないようなので、ヌルボもいろいろ探った上で書いてみることにしたというわけです。
今回の記事は、その本論に入るための長~い前説のようなものといえなくもない・・・です。(ということで次回に続く。が、いつになることか・・・。)
→ 38度線と軍事境界線について(2) 誰が祖国を分けてしまったの?