本来ならこの時期になると、と言わず、老いも若きも心の奥底にいつも持っていて欲しい反戦への思いです。
いつまでも、過去の一部の人間が起こした戦争への謝罪を求められる戦後日本に、日本国民もまた被害者だった、と思ってくれる外国の方々もおられます。
古代から人間の歴史は戦争の歴史と言っても過言ではないでしょう。身の回りの集団のため、民族のためのみ繁栄を考えていた時代が、70年前まで日本にもありました。
戦後、反戦教育を受けてこなかった。ただ集団、道徳を敵視する教育だった。
戦地から帰還した父の、一度だけぽろっとこぼした言葉を覚えているものの、語りたくなかったのでしょう。今、父がいたとしたら、私はもっと召集の事、軍隊の事、戦地での事、戦争への思いを聞きたかった。
痛い痛い代償を払っての今の平和があることを、今の若者にもっと教えるべきです。武力をもぎ取られ、その代り守ってやろうと言うアメリカの安保条約の傘の下ではありますが。
今はもっと武力を与えるから、協力しろと。
死んで初めて悲惨な記憶と決別できる人が今もいる。
そんなこと、絶対経験したくない。