愛する犬と暮らす

この子たちに出逢えてよかった。

先進国のつもりなら……

2009-07-13 20:25:08 | 日記
 このところ、休みの日でもわんこたちのための遠出がめっきり減った。先月、思い立って山中湖まで行ったのが珍しいくらいである。

 以前はわりと頻繁に辻堂海岸をはじめ湘南あたりへクルマで出かけたり、遠出をしないまでも、少し足を伸ばした地域にある公園を訪れていたものだった。わんこたちばかりでなく、飼い主のわれわれがそれだけ年齢を重ねて腰が重くなったからかもしれない。せいぜいクルマで30分ほどの相模原の公園や隣接する横浜の公園などにかぎられてしまった。
 
 規模こそ比較にならないが、この季節、どちらも芝が青々としていて散歩にはもってこいである。横浜のはずれにある公園は、おいしくてリーズナブルなケーキのお店に近いし、スーパーマーケットが隣にあってファーストフードの店のテラスで休むこともできるので人間にもわんこにもありがたい。
 
 店内へのわんこ同伴OKのカフェもだいぶ見かけるようになったが、やっぱりかぎられている。一方、日本にも最近はテラス席のあるカフェが増えて、たいていわんこと一緒に憩うことができる。

 ただ、テラス席は喫煙者の利用も多い。写真のようなこじゃれたカフェのテラス席ではさすがにタバコの吸殻が床に散乱している光景は目にしないが、スーパーに隣接するファーストフードの店などたちまち客の民度が落ちるのか、呆れるほど悲惨な状態になっていることがある。

 ぼくも数年前までタバコをすっていたのでタバコのみを非難できないが、こういうマナー違反を目の当たりにすると、公共の場での全面禁煙を声高に主張したくなる。
 
 もっとも、どんなこじゃれたお店のテラス席であっても、喫煙者はわがもの顔でタバコをすっていて、吐出煙、副流煙の行方などまったく無頓着なのは共通している。自分もかつては同様の傍若無人ぶり煙害をまきちらし、世間さまに迷惑をかけていたのだと改めてわかる。
 
 受動喫煙はわんこたちにとって人間に何倍も苦痛らしい。かつて、ぼくがタバコをすうとシェラなど辛そうに下を向いていた。何度も禁煙に失敗したヘビースモーカーのぼくがタバコをスッパリとやめることができた理由のひとつはわんこたちのためでもあった。
 
 むろん、わんこのために公共の場での喫煙は排除すべきだと言っても説得力に欠けるけど、子供のため、非喫煙者のためにやっぱり不特定多数の人間が憩う場所での喫煙は断固禁止にすべきである。それが21世紀における先進国の基本的な条件である。
 カフェのテラスで安全に憩うことができないような国が先進国のつもりになるのはなんともおこがましい。

大風の朝の散歩

2009-07-10 12:41:49 | 日記
 今朝は強風の中を散歩に出かけた。風があるのでぼくのほうは暑さを感じないが、近所をひとまわりして家に帰り着くとわんこたちは思いのほか喘いでいる。
 人間は風であまり暑さを感じないけど、わんこたちにはそこそこ暑かったらしい。昨夜の蒸し暑さに耐えかねて、明け方、家人がリビングルームのエアコンをつけて寝たくらいだ。外はたいした暑さじゃないと錯覚したのは風のせいだった。

 われわれは皮膚から蒸発する風が気化熱を奪っていくので風で涼しさを感じることができるけど、汗をかかないわんこたちは人間のようには風で涼しさを感じることができない。
 これからの季節、このあたりの違いをいつも認識していてやらないと、わんこたちに辛い思いをさせてしまいかねない。心して気をつけてやりたい。
 
 
 このところ、外へ出るとやたら草を食べていたシェラだったが、今日はまったくその気配がない。昨日、草を食べた直後、久しぶりに胃液を吐いたからだろう。
 草を食べようとしない分、あちこちにおいを嗅ごうとする。実にしつこい。ほかの犬の痕跡を収集しているわけだ。
 
 公園の片隅で、このブログ用にケータイで写真を撮った。シェラもムギもケータイやカメラを向けられるのが苦手らしい。どうしても目を逸らそうとする。
 一度、せがれがケータイのストロボを焚いて撮影して以来、ムギはケータイを向けられると怖がるようになった。たしかに、わんこにとっては迷惑な話である。

現在(いま)という大切な日々

2009-07-09 18:10:26 | 日記
 1995年3月、生後まだ3か月ほどのシェラ(雑種♀)と出逢った。捨てられ、近所のペット病院に保護されていた。丸々と太った真っ黒な毛並みの仔犬だった。
 お世辞にも器量よしとは呼べないが、愛嬌のある顔である。出逢いは運命と決めて迷わずわが家につれて帰った。

 4年後、やはり生後3か月のムギ(Wコーギー♀)がわが家の娘に加わる。ダックスフントの仔犬を見に行ったらいなくなっていて、軽い気持ちで抱いたコーギーがやたらぼくの顔を舐めるので離せなくなり、気がついたら買っていた。

 シェラとは14年、ムギが加わって10年  
 彼女たちがくれた日々のなんと楽しかったことか。
 しかし、時間は確実に、無慈悲に過ぎていく。ふたりともすでに老犬の年齢に達している。ぼくたち夫婦も60代のなかばを迎えた。シェラとムギがぼくたちの最初にして最後の飼い犬になるだろう。

 そう遠くないかもしれない別れの日のために、残された日々の思い出を綴っていきたい。