Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 かきつばた文 大台鉢

2021年11月09日 14時38分47秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 かきつばた文 大台鉢」の紹介です。

 なお、この「染付 かきつばた文 大台鉢」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文を、次に再度紹介することをもちまして、この「染付 かきつばた文 大台鉢」の紹介に代えさせていただきます。

 

 

==========================================

         <古伊万里への誘い>

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*古伊万里ギャラリー180  伊万里染付かきつばた文大台鉢     (平成25年4月1日登載)

 

表面

 

 

金継ぎ補修部分の拡大

 

 

側面

高台が高くなっているので、皿というよりは台鉢であろう
かなりの歪みがみられる

 

 

底面

 

 

高台内部分の拡大

「銘」は何と書いてあるのか不明。従って、「銘」の天地、左右は逆かもしれない(-_-;)

 

 

 下方に波頭のようなものを描いている。水辺を表しているのであろう。

 それ以外は、かきつばたのみを、豪快に、大きな鉢一面に描いている。

 そして、それ以外の余白を、ひたすらに亀甲紋様で埋め尽くしている。ただひたすらに、、、、、。気の遠くなるような作業である。

 この台鉢を見た瞬間、尾形光琳の国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」を連想した。

 なんという豪快さ!
 なんという力強さ!
 なんという優雅さ!
 なんという洗練さ!
 ・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・

 表現する言葉が尽きない。

 ブチ割れていることなど、全く忘れてしまった!
 補修の跡など、文様に見えてくる。アバタもえくぼというやつだろう(^O^)

 ところで、この鉢鉢、歪みもひどいし、高台内には窯疵もあるしで、「生掛け」なのかな、と思わせる。

 しかし、よく見ると、墨ハジキの技法が施されていることがわかる。(↓)

 

 

 ということは、一度は素焼きをしているということである。
 素焼きをしているのか、生掛けなのかの判断は、なかなかに難しい。

 墨ハジキの場合、鍋島などでは、既に素焼きをしたボデーに墨ハジキを施し、その後、更に素焼きをして墨を飛ばし、しかる後に上薬を掛けて本焼きをするが、この台鉢の場合は、素焼きをしていないボデーに墨ハジキを施し、その後、素焼きをして墨を飛ばし、最後に、上薬を掛けて本焼きしているのであろう。
 そのため、一見、生掛けなのかな~と思わせるものと思われる。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径:39.5cm  底径:22.5cm  高さ:9.8cm

 

 

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

*古伊万里バカ日誌110  古伊万里との対話(かきつばた文の大台鉢)(平成25年4月1日登載)(平成25年3月筆)   

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  台 鉢 (伊万里染付かきつばた文大台鉢)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・ 

 主人は、いつもは押入れの中から引っ張り出してきて対話をはじめるのであるが、今回は、先々月に骨董市から買ってきたばかりで、まだ押入れ内に仕舞わないで床の間に飾っておいた大台鉢を床の間から持ち出し、あぐらをかいだ両足の上に乗せ、親しく対話をはじめた。

 


 

台鉢: どうして、また、急に、私に順番が廻ってきたんですか。
 この家に来た順に登場させているんでしょう。

主人: そうしてるんだけどね、原則的には・・・・・。その原則によれば、まだ若干の在庫があるので、お前の登場はもう少し遅くなるわけだが・・・・・。でもね、たまには例外もあるんだ。その辺は私の胸先三寸で、自由自在さ。
 それはともかく、この3月1日(金)~3月24日(日)まで、横浜の「そごう美術館」で「『図変り』大皿の世界 伊万里 染付の美」という展覧会が開催され、それに伴い、公益社団法人日本陶磁協会発行の月刊誌「陶説」の3月号(第720号)に、「伊万里大皿コレクションの魅力を聞く」というタイトルで、その大皿のコレクションをした瀬川竹生氏と学習院大学教授の荒川正明氏との対談が載っているんだ。また、その展覧会の図録を兼ねて、世界文化社から「伊万里 染付の美」という本も出版されているんだ。
 私は、その展覧会を見ていないし、その「伊万里 染付の美」という本もまだ読んではいないので、言う資格はないかもしれないんだけれども、今、伊万里の大皿がちょいと注目されているのではないかと思うんだよね。そこで、流行の最先端を行くつもりで、我が家でも伊万里の大皿をとりあげてみようと思い、お前に登場してもらったわけだ。

台鉢: ご主人も伊万里の大皿をコレクションしているんですか?

主人: いや、我が家には大皿は少ないな。

台鉢: どうして少ないんですか。

主人: まず、第一の理由は、高くて買う気になれなかったことだよ。
 先述の「伊万里大皿コレクションの魅力を聞く」という対談の中で、瀬川氏も次のように言ってるんだ。

「・・・・・価格的なことを言えばやはりバブル頃からその後しばらくの間がピークでしたね。今は骨董品がバブル期と比較すると全般的にかなり値を下げています。当時の価格に恨みも言いたくなります。その頃は高価なお皿を前にして、もしこの大皿を買わなければあれが買えるこれが買える、で何度も蒐集にブレーキがかかったものです。とにかくバブルの頃は優品も出回った分、価格も跳ねとんでいて、何であんな高い値で買ったんだと我ながら立腹と失笑です。今ではネットで運が良ければ安価で手に入るけど、新モノの氾濫には要注意ですね。」

 もっとも、これは江戸後期の大皿についてのことだけどね。

 伊万里の場合、大皿・大鉢は、初期伊万里以来、古九谷様式でも海外輸出用でも作られてはいたが、なぜか、18世紀になると、特に内需向けの大皿・大鉢は、ぴたりとその消息を絶ってしまったんだ。そして、19世紀の天保年間(1830~44)に突如として再来してくるんだよね。その天保年間以降の大皿でさえ高かったわけだから、それ以前の大皿など推して知るべしで、桁違いに高かったから、私などのコレクションの対象外だった。

 そんなわけで、我が家に大皿・大鉢は少ないんだが、もう一つ、我が家に大皿・大鉢が少ない理由は、その保管場所に困るからだよ。
 収蔵庫とか蔵とかがあるなら話は別だが、我が家には「押入れ」しかないからね。大皿など、箱に入れて保管しようものなら、10枚も集めたら、一つの「押入れ」の半分も占領されてしまうじゃないの。 

 高くて買う気になれなかったのと保管場所に困るという理由から、これ幸いと、買ってこなかったわけだよ。

台鉢: どうして、今回、私を買う気になったんですか。

主人: 瀬川氏も言っているように、最近、大皿は安くなってきているからね。それに、お前はブチ割れなので特に安くなっていた。それで、その安さとお前の絵付けの見事さに打たれ、ついつい保管場所のことも忘れて買ってしまったんだ(><)

台鉢: 私のどんな所に引かれたんですか。

主人: 普通、我々が市場で目にするものは、江戸後期の大皿なんだけど、江戸後期の大皿は、文様が構築的で、技巧的なものが多いんだ。そして、そこに漂う、あふれんばかりの気迫と健康的な大衆性にはただただたじろぐほどなんだね。しかしながら、そこには、ちょっとばかり、気高い芸術的な香りというものには欠けるきらいがあるんだよね・・・・・。

 その点、お前はどうだ! 何の文様の構築性も技巧性もない。ただただ、正確には「かきつばた」なのか「あやめ」なのかは知らないが、それのみを皿一面に写実的に描いている。一瞬、尾形光琳の国宝「燕子花(かきつばた)図屏風」を連想させるんじゃないの! 芸術的な香りふんぷんだね。

 大きさと迫力だけで、下手で芸術性に欠けると言われる江戸後期の大皿ではあるが、伊万里の大皿がちょいと注目されるようになってきた昨今、その中にあっても、お前のように、芸術性の高いものも存在するんだよ、ということを紹介したかったんだよ。
 伊万里は実にいろんなものを作っているね。汲めども尽きぬ・・・・・というやつだ。ますます伊万里が好きになるね(*^_^*)

 

 


 

追 記(平成25年4月5日)

 その後、上記の「伊万里 染付の美」(監修:荒川正明 世界文化社 2013年3月5日発行))という本も読まずに江戸後期の大皿のことを書いていたのでは、大皿コレクターの瀬川竹生氏に対して失礼であることに気付き、この「伊万里 染付の美」という本を取り寄せて読んでみました。

 そうしましたら、本の「帯」に「愛好家さえも見ることのなかった伝説的な大皿の世界へようこそ!」と書いてありますように、瀬川氏のコレクション大皿の中には、私がこれまでに見たこともないようなものも多く含まれていることに気付きました(@_@;)

 瀬川氏は、「伊万里 染付の美」の冒頭部分の「誘う大皿―染付・美の再発見」の中で、

 「・・・・・「伊万里は元禄享保まで」というのが美術史家や骨董商の通念であり、江戸後期モノは下手(げて)で鑑賞に値しない、と軽く見る傾向があった。私も永い間、それを鵜呑みにしていた。伊万里に関する参考書も18世紀初頭までのものは数多くあるが、それ以降の本は激減する。確かに江戸後期の有田皿山は大量生産に沸き、必然的に品質も低下していく。それは伊万里製品を、生産初期から幕末まで時代を追って見れば一目瞭然である。では目の前にあるこの洒落た大皿は?の疑問が残る。けっして粗雑な出来ではない。こうしてこの手の大皿についての探究心が私の中に芽生えた。・・・・・・・・・ (P.4)」

と書いております。

 私が、これまで、大皿のコレクションをしなかったのは、高くて買う気にならなかったことと保管場所に困るからだと上では記しましたが、やはり、正直のところ、瀬川氏同様、『「伊万里は元禄享保まで」というのが美術史家や骨董商の通念であり、江戸後期モノは下手(げて)で鑑賞に値しない、と軽く見る傾向があった。私も永い間、それを鵜呑みにしていた。』こともその理由であったことは否めません(><)

 ところが、瀬川氏は、それを乗り越え、大皿のコレクションに立ち向かったんですね!

 そして、見事に、江戸後期の大皿の集大成をなされたんですね!

 その中には、私が上でアップしたようなものも、「執念の技」と分類して紹介されています。

 「伊万里 染付の美」を読んで、江戸後期の大皿の中には、芸術性豊かなものも多く存在することを知らされました(~_~;)

 

 

「帯」を付けた状態

 

 

「帯」をはずした状態

 

 

==========================================