Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染錦 筍掘り図 中鉢

2021年11月25日 19時34分47秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 筍掘り図 中鉢」の紹介です。

 ところで、この「染錦 筍掘り図 中鉢」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文を再度次に掲載することをもちまして、この「染錦 筍掘り図 中鉢」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー239  伊万里染錦筍掘り図中鉢        (平成30年4月1日登載)      

 

表面

 

 

見込部分の拡大画像
筍掘りの文様の部分にも金彩が使用されているが、今では、ほとんど剥落している。

 

 

裏面(梅の枝が描かれた部分)

 

 

裏面(牡丹(?)が描かれた部分)

 

 

裏面(菊が描かれた部分)

 

 

高台内の「銘」部分の拡大画像
銘款 : 二重方形内に「冨」

 

 

 当初、見込みの文様は、中国の『二十四孝』の一人の「孟宗」の伝記を題材にした「雪中筍掘り図」なのかな~と思ったが、この鉢の見込みの筍掘りの場面図からは、厳しい冬景色を感じないので、冬ではなく、今頃の、筍掘りを表現したものなのかな~と思っている(^^;)

 それはともかく、この鉢は、相当に使用されていたようで、色絵部分にも相当な使用擦れがあり、色絵のかなりの部分に剥げ落ちがみられる。
 また、見込みの筍掘りの文様にも金彩が使われていたようであるが、それも、ほとんど剥げ落ちている。

 現在の状態でも、絢爛豪華という感じがするが、作られた当初は、更に絢爛豪華だったのであろう。むしろ、ケバケバシイほどに。

 裏面にも、梅枝文、牡丹(?)文、菊文を描き、決して手抜きはしていないところを見ると、そこそこ高級な器だったのだろう。

 高台内の銘款は、二重方形内に「冨」と書かれている。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代末期

サ イ ズ : 口径;15.6cm 高さ;4.8cm 底径;8.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌167  古伊万里との対話(筍掘り図の中鉢)(平成30年4月1日登載)(平成30年3月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  孟 宗 (伊万里染錦筍掘り図中鉢)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 今年は、例年よりも桜の開花が早いようで、今は満開である。
 そこで、主人は、この時節に合った古伊万里と対話をしたくなったようで、それ相応の古伊万里を押入れから引っ張り出してきた対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: 今は桜が満開なんだ。そこで、本当は、満開の桜に合わせて、満開の桜を描いた古伊万里と対話をしたいところではあるが、それでは月並みで面白くもないので、ここは、趣向を変え、花より団子ということで、今頃の食べ物に関係する古伊万里であるお前に登場してもらったんだ。(真実は、満開の桜を描いた古伊万里を、もう、所持していないからではないの、との影の声あり)

孟宗: あの~、どうして、私は、この時節の食べ物と関係があるんですか? 

主人: お前の見込みには、蓑笠を着た人が筍を掘っているところが描かれているだろう。筍は今が旬だからね。だからだよ・・・・・。

孟宗: でも、筍を掘っている図では、「雪中筍掘り図」というのが有名なように、蓑笠を着た人が筍を掘っている場面は、だいたい、冬場と相場が決まっているんではないですか。

主人: そうね。中国の『二十四孝』の中の孟宗を題材とした「雪中筍掘り図」というのは有名だからね。蓑笠を着用し、筍掘り用の鍬を持ち、雪の中から生えてきた筍を掘っている孟宗の様子を描いた図は有名だものね。
 中国古来の代表的な孝子二十四人の伝記と詩とを記した教訓書である『二十四孝』は、日本にも伝来し、御伽草子や寺子屋の教材にも取り上げられていて有名だね。その二十四人のうちでは孟宗が特に有名かな。そんな関係で、古伊万里にも、よく、孟宗を題材とした「雪中筍掘り図」は登場するわけだ。
 だが、「雪中筍掘り図」には、「雪中・・・・・」とあるように、普通、その図の中に雪輪文が描かれていたり、竹の上に雪が積もっていたりするんだが、お前にはそれが無いんだよね。強いて言えば、お前の場合、竹の上に雪が積もっているようにも見えなくもないけれど、それはどうかなと思うんだよ。竹の上に雪を積もらせたのではなく、雲を描いたんじゃないかと思うんだ。
 のんびりと鳥が1羽飛んでいるところを描いたりしていて、とても厳しい雪景色を描いたとは思えないんだよね。
 孟宗の「雪中筍掘り図」というものが、あまりにも普遍的になってしまって、雪中での筍掘りの場面を表すだけでなく、季節に関係なく、一般的な筍掘りの場面の表現にも使われるようになったのではないかと思っているんだ。私の独断と偏見ではあるがね・・・・・。

孟宗: そうですか。そう言われれば、そのように見えなくもないですね・・・・・。

主人: ところで、私はタケノコが好きなものだから、「花より団子」の連想から、お前を登場させたわけだけれど、まだ今年はタケノコを食べてはいないが、これからどんどん出てくるので楽しみだよ。 

孟宗: この辺で採れたタケノコは売ってないと聞いているんですけど、ご主人はどのようにして手に入れているんですか?

主人: そうなんだ。2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生し、その際、東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こしたわけだけれど、その時放出された放射能の影響がまだ残っていて、この辺では、タケノコは出荷禁止になっていたんだ。でも、最近になって、やっと、その影響が薄まったようで、出荷できるようになったらしいんだ。
 もっとも、これまでも、放射能の影響は受けているとはいっても、外観上からは全く異状は感じられないので、近所の農家からいただいたものを食べたりしてはいたがね(笑)。
 また、スーパーなどから買ってきて食べてもいたよ。ただ、スーパーなどで売っているものは、この辺のものではないし、掘ってから時間も経っているので、新鮮味には欠けるものね。
 タケノコは鮮度が命だからね。今年からは、近くのJA直売所などから、朝掘りの新鮮なタケノコを手に入れることが出来ると思うと嬉しいよ(^-^;

孟宗: タケノコは美味しいですし、随分と身近な存在になっていますよね。

主人: そだネ~~(北海道ナマリ)(笑)。
 タケノコは、日本人にとっては随分と身近な存在だよね。日本語の中にも、いくつかのタケノコに関する「ことわざ」とか「比喩表現」があるくらいだものね。
 例えば、

<雨後のタケノコ>
 雨が降った後はタケノコが生えやすいことから、何かをきっかけとして、ある物事が続々と発生すること。

<タケノコ生活>
 タケノコの皮を1枚ずつ剥ぐように、身の回りの衣類や家財などを少しずつ売って食いつないで生活していくこと。

<タケノコ医者>
 タケノコはやがて竹になり藪になっていくことから、技術が下手で未熟な藪医者にも至らない医師のこと。

などがあるよね。
 お前にあやかって、我が家の古伊万里コレクションも、「雨後のタケノコ」のように続々と増大することを願いたいね。しかも、古伊万里の名品で我が家が埋もれるほどにね(笑)。

 

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 なお、この「染錦 筍掘り図 中鉢」を、上に記しましたように、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介したわけですが、その際、或る方から、

「最近の研究によりますと、この手の物は、愛媛県の御荘焼(みしょうやき)と言われるようです。その決め手は、窯の経営者であった富岡喜内の苗字からとった「富」の窯印であるとのことです。」

とのアドバイスをいただいたところです。

 しかし、「近現代肥前陶磁銘款集」(佐賀県立九州陶磁文化館 平成18(2006)年発行)によりますと、有田にも「冨」銘のものは存在しますので、やはり、この「染錦 筍掘り図 中鉢」の生産地は肥前・有田であって、製作年代は江戸時代末期ではないかと思っているところです。

 

 

「近現代肥前陶磁銘款集」のP.61から抜粋

 

 上の抜粋から、天保5年に瀬戸口冨右衛門によって創業された「瀬戸口冨右衛門」窯では、「冨」の銘を使用していたことが分かるからです。