Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

墓参

2023年09月24日 21時34分28秒 | 墓参・法事・葬儀

 今日は、墓参に行ってきました。

 例によって、ぐるっと一回りしてきたわけですが、今日は、趣向を変えて、逆回りで行ってきました。

 何時もは、「妻の実家の墓→妻の実家→常磐共有墓地→私の実家の墓」のコースで行っているのですが、今日は、ほぼその逆回りのコースの「私の実家の墓→常磐共有墓地→妻の実家の墓→妻の実家」の順で行って来たわけです。それに、今日は、マンネリを避けるため、私の実家の墓参りの後、正宗寺にある水戸黄門で有名な「助さん」の墓にも行ってきました。

 先ずは、朝、私の実家のあるお寺に向かいます。

 変わり映えしませんが、下の写真は、私の実家の墓のあるお寺の写真です。

 

本堂に向かう石段

 

 

本堂に向かう石段の右側の光景(その1)

今年の彼岸花は、まだ満開ではありませんでした。

 

 

本堂に向かう石段の右側の光景(その2)

今年の彼岸花は、まだ満開ではありませんでした。

 

 

本堂に向かう石段の頂上付近

 

 

 このお寺にある私の実家の墓参を済ませ、次いで、同じ市内にある正宗寺に向かいます。

 そのお寺には、水戸黄門で有名な「助さん」のお墓がありますので、そこをお参りしようと思ったからです。

 私の実家の墓のあるお寺からはかなり離れていますし、ここのところ正宗寺には暫く行ってなかったものですから、道順不案内となりましたが、カーナビを使ってなんとか到着しました。しかも、正宗寺に行く直前の橋が老朽化し、現在付け替え工事中のため、その橋を渡って正宗寺に行くことが出来ず、ぐるっと遠回りをしなければならなかったものですから、ちょっと苦戦しました。

 下の写真は、少々苦戦の末に辿り着いた正宗寺の写真です。

 

正宗寺の山門

 

 

山門の右側にある説明板

 

 

山門の右側にある説明板の拡大

最後の方に、「テレビ番組・水戸黄門の「助さん」のモデルとされる

佐々宗淳の墓がある。」と書かれています。

 

 

 山門を潜って真っ直ぐ進みますと本堂に至ります。

 

本堂

 

 

本堂の扁額

 

 本堂の左側の道を裏山の方に辿って登って行くと墓地があるようです。

 100mほど進んで行きますと、小さな案内表示板がありました。

 

 

「佐佐介三郎(助さん)墓」の案内表示板

随分とお粗末です(~_~;)

 

 この右側の手入れの悪い荒れた道を上って30mほど行った左側に佐佐介三郎さん、こと「助さん」のお墓がありました。

 

 

佐佐介三郎さん、こと「助さん」のお墓

 

 

佐佐介三郎さん、こと「助さん」のお墓の左手前に建てられていた案内表示板

 

 

佐佐介三郎さん、こと「助さん」のお墓の一番奥に建てられた墓碑

 

 

佐佐介三郎さん、こと「助さん」の墓石(その1)

 

 

佐佐介三郎さん、こと「助さん」の墓石(その2)

 

 

 佐佐介三郎さん、こと「助さん」の墓をお参りした後、一路20kmほど南下し、水戸市内にある常磐共有墓地へと向かいます。

 そこには、妻の母方のご先祖様のお墓と妻の叔父叔母のお墓がありますので、そこをお参りしました。

 なお、そこには、水戸黄門で有名な「格さん」のお墓もありますので、ついでに、お参りしてきました。

 

 

格さんの墓の案内表示板

 

 

格さんの墓の全景

 

 

格さんの墓の全景の左手前の金属製の柱の拡大写真

 

 

案内説明板(その1)

 

 

案内説明板(その2)

 

 

格さんの墓石

 

 

 その後、妻の実家のお墓に行ってお参りをし、次いで、妻の実家に寄り、仏前にもお参りをしたのち、しばし雑談を交わして帰宅しました。


最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
遅生さんへ (Dr.K)
2023-10-01 10:40:02
帯状疱疹らしいです。
月曜日に柚子の木の剪定をし、夜、風呂に入る際に、内ももに大きな腫れのあることに気付きました。
もっとも、それほどの痛みも痒みもなかったものですから、剪定の際の虫刺されくらいに思っていました。
ところが、なかなか治らないので、金曜日に皮膚科に行きましたら、あちこちに腫れが増えていて、帯状疱疹と診断されたわけです(~_~;)
塗り薬と飲み薬を処方されて治療していますが、腫れ部分が余計に増え、痛みも出てきました(~_~;)
余計に酷くなったようですが、原因がはっきりして、安心にはなりました。
真面目に治療を続けます。

古伊万里購入を増やせば、ストレスも減り、免疫力も高まり、治癒も早まるのでしょうけれど、現実には、その方法も難しいようです(~_~;)
それで、真面目に医者の言うことを聞いて、治療に専念します(笑)。

ご心配ありがとうございました(^_^)
返信する
Dr.Kさんへ(弐) (遅生)
2023-09-30 16:04:00
帯状疱疹ですか。
早期に治療すれば全く大丈夫です。今は特効薬があるので、数日で直ります。
年をとるとどうしても免疫力が低下するので、帯状疱疹などやっかいな病気が出やすくなりますね。
好きな物に囲まれてストレスを減らすのが、免疫力を増強する秘訣だと言い聞かせています(公言すると反発を招くので、黙考(^^;)
返信する
遅生さんへ (Dr.K)
2023-09-30 09:43:46
生れながらの浅学非才、水戸学の「ミ」も知らずに育っております。
多分、このまま、酔生夢死の生涯となることでしょう、、、(~_~;)
そんなことで、今回は、ミーハーな墓参コースを模索してみました(^_^)

伊万里も、ただ単に、「好き!」というだけで始めたのですが、だんだんとそれに学問が絡んできて、今や、「伊万里学」の様相を呈してきましたね。
そうなりますと、もう、だんだんとついていけなくなってきました(><)
痩せ馬の先駆けだったわけですね(~_~;)

今回も、何時ものように、ぐるりと墓参ができましたので、まだ元気なんだな~と思っていたのですが、4~5日前から体の一部に異変を感じるようになり、昨日、皮膚科に行ったところ、帯状疱疹の診断がなされました(><)
やはり、だんだんと体力が落ちているようです。
何事も、伊万里のコレクションも含め、もっとセイブしながら過ごしていきたいと思っております。
返信する
Dr.Kさんへ (遅生)
2023-09-30 08:52:14
毎年のことながら、壮大な墓参り、ご苦労様です。
今年はついに、助さん、格さんの墓も登場しましたね。
いずれも立派です。水戸学の伝統を感じさせます。
それに、Drの実家の墓のあるお寺も負けず劣らず立派です。伊万里学のルーツはここにあったのですね(^.^)
これだけの場所をまわるだけの気力、体力、信仰心に感服します。
伊万里コレクション、これからも充実の一途と確信しました(^.^)
返信する
padaさんへ (Dr.K)
2023-09-27 13:54:29
助さん、格さんとも、そのモデルとなった人物は存在していたようです。
水戸黄門漫遊記はドラマの話ですが、実際は、随分と違ったのでしょうね。
特に、水戸黄門の水戸光圀は、ほとんど、出歩くことはなかったと思います。
それにしても、全員、ドラマのような目的のためには出歩ってはいないだろうと思います。
うまくドラマ化しましたよね。

padaさんは、鹿島に何度か行ったことがありますか。
昔は、鹿島は、茨城県内でも陸の孤島のようなところで、行くのが大変でした(~_~;)
今では簡単に行けますが、その頃行った時の大変さは、今では懐かしい思い出です(^-^*)
返信する
Unknown (pada)
2023-09-27 09:45:00
成程~助さん格さんは実在の人物でしたね。
机の上とは言え~全国放浪したとには違いがありません。そう言えば鹿島には何度か行ったことがあります。
潮来でおりて乗り換えていました。
のどかなJRでしたが、東京より直行バスが出来てから面白くなくなりました。
返信する
suisenさんへ (Dr.K)
2023-09-25 18:11:19
昨春、本県に来られましたか。鹿島神宮に行かれたのですね。
又来県され、水戸もご訪問ください(^_^)

助さんの墓は、当ブログでは初めて紹介いたしました。助さんの墓は、かなり不便な所にありますので、なかなか訪れるのが難しいんです(~_~;)

助さんも、格さんも、そのモデルとなった人物は存在したわけですが、実際には、ドラマに出てくるような人物とはかなりかけ離れていたようですね。
実際には、両人とも学者だったんですね。
返信する
Unknown (1948219suisen)
2023-09-25 15:46:10
こうして拝見させていただくと助さんや格さんが実在の人物だったということがよくわかります。茨城県は昨年春、鹿嶋神宮に行きましたが、水戸にも一度行ってみたいと思います。ご紹介ありがとうございました。
返信する
クリンさんへ (Dr.K)
2023-09-25 09:13:32
時々、格さんのお墓の紹介はしていましたが、今回は、助さんのお墓の紹介もしてみました。
現状は、格さんのお墓は、水戸市内の規模の大きな共有墓地の中にありますし、少々観光地化もされていますので、手入れが行き届いていますが、助さんのお墓は、田舎の禅寺にありますから、かなり荒れていますね。

助さん、格さんともに、これはドラマの世界の人物で、実際は、両人とも学者だったようですね。
両人とも、大日本史編纂の事業にたずさわったのでしょうけれど、どちらかというと、助さんのほうが、史料を集めるために全国を歩き回っていたのかもしれませんね。
このような、全国を歩き回っていたことをモデルとして水戸黄門漫遊記が作られたのかもしれませんね。
返信する
Unknown (クリン)
2023-09-24 23:37:52
すばらしい!!助さん格さんのお墓にまで✨✨✨さすが茨城県です!!
そうですか・・助さんの方が先に亡くなっているのですね。「撰文は格さんこと・・」とありました💡
助格両氏のお墓が同じくらいのスケールでよかったです🐻
格さんは大日本史にもずいぶんたずさわったんですね!💎
返信する

コメントを投稿