今回は、「瑠璃縁 染付 山水文 小皿」の紹介です。
見込面
口縁には瑠璃釉を施し、口縁から少し内側に入った所から1段浅く削り取って丸い平らな平面を作り、その平面いっぱいに山水文を描いています。まるで、丸い額縁に入った絵のようです。
柳の枝など、極めて伸びやかでよどみがありません。かなり手慣れていないとこうは描けないだろうと思います。
横から見れば(↓)、ご覧のように、造形にはかなりの歪みがみられ、平らな所に置くとガタツキもみられます。
側面 |
現代なら、不良品として廃棄されるところでしょうけれども、当時は、磁器は貴重品、この程度の歪みは無視され、立派な商品として流通したのでしょう。また、コレクターとは不思議な人種で、むしろ、このような歪みをこそ好むものでもあります(^^ゞ
高台内には(↓)、二重圏線の中に福の字が書かれています。普通、四角い圏線の中に福の字が書かれ、角福と呼ばれていますが、これは丸福ということになるのでしょうか、、。
底面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;14.4cm 底径;8.8cm
なお、この「瑠璃縁 染付 山水文 小皿」につきましては、その入手の経緯などにつきまして、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介しているところです。
次に、その紹介文を参考までに転載しておきますので、興味のある方はどうぞ見てやってください(^_^)
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里バカ日誌98 古伊万里との対話(瑠璃縁染付山水文の小皿)(平成24年2月1日登載)(平成24年1月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
瑠 璃 (伊万里瑠璃縁染付山水文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、例によって、押入れ帳をペラペラとめくっていて、ちょっと気になるものに目が留まった。
それは、以前、既に、このホームページ上には登場済みのものなのだが、幸い、まだ対話はしていないものである。そこで、押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
このことは、主人の所の未発表の所蔵品が少なくなってきたことを示すものであり、「古伊万里との対話」の対象となる古伊万里が枯渇してきたことを証明するものであって、近い将来、この「古伊万里との対話」のコーナーが終息するであろうことを予感させるものである。
主人: 暫くぶりだね。
瑠璃: そうですね。約8年ぶりですね。
主人: 暫く見ないうちにお前は随分と変わったね。
瑠璃: ええっ? 私は変わってないですよ! 私達やきものは、たかだか8年位では何の変化もしないですよ! 千年ぐらい経ってくれば表面が銀化したりして変わって見えるかもしれませんけど!
主人: そうだよね。お前達は、たったの8年位では何も変わるわけないよね(-_-;)
ということは、私の見る眼が変わったということだね・・・・・。
瑠璃: どんな風に変わって見えたんですか?
主人: 買った当座は、もっと焼が甘く、生掛け風で肌はシットリとし、全体的に渋いイメージを抱いていたんだけどね~。以来、ず~っとそう思っていたんだ。
ところが、今、暫くぶりに見てビックリだ。焼は上がりが良くて硬く、指で弾くとキンキンと金属的な音を立て、生掛け風なシットリとした肌合いなどは感じられずで、渋いというよりは、むしろ明るく奇麗な感じさえ受けるね。奇麗サビというやつかな。
瑠璃: どうしてそんなにイメージが変わっちゃったんですか?
主人: うん、そうだね。お前のようなものは、昔は「古九谷」と言われてきた。もう少し詳かく分類すると、「色」を使ってはいないので、「色絵古九谷」ではなく、「藍」だけを使っているから「藍古九谷」と言われてきたな。
「古九谷」は文字どおり、九谷焼の古いものであって石川県の「九谷」で焼かれたものと思われていた。ところが、その後の研究の結果、そのほとんどは佐賀県の「有田」で焼かれていたことが分かってきたので、最近では、伊万里焼の「古九谷様式」と分類されるようになったんだ。
「古九谷」は伊万里「古九谷様式」と分類されるようになったわけだけれども、昔から、なにせ「古九谷」は、数は少ないは、珍しいは、優品揃いだわ(もっとも、優品だから「古九谷」に分類されたんだろうけど・・・・・)で、日本の磁器の最高峰の一つに数えられていた。とてもとても古伊万里なんか足元にも及ばなかった。一種のカリスマ性を有していたね。「古九谷」を古伊万里の仲間になどしないでくれ、古伊万里と一緒になどしないでくれとね、、、、、。
「古九谷」は古陶磁好きの間では神格化さえされていて、憧れの的だった。出身地が変更になって伊万里「古九谷様式」になろうとも、その地位にはいささかの揺るぎもなかった。そして、いつのまにか、「古九谷=優品・名品=絵のような描写=シットリとした渋い色調=等々・・・」、ありとあらゆる褒め言葉で満ち満ちたようなイメージを確立させていた。
だから、お前を観て、「あっ、これは古九谷だ、伊万里古九谷様式だ!」と思った瞬間、これまでの「古九谷」(=伊万里「古九谷様式」)について一般的に語られているイメージが瞬時に私の頭の中にインプットされ、固定されてしまったんだね。もっとも、私の頭の中には、既に、「古九谷=○○××」というような、一つの、美化され、規格化され、普遍化され、パターン化されたイメージが形作られてしまっていたからなんだろうね。
それで、お前を見た瞬間、お前は、既に私の頭の中に形成されてしまっているイメージと類似なものなんだと認識してしまったんだ。一つの現物を目にした時、物そのものが有する客観的な特性を正く把握して認識するのではなく、既成の美の尺度というフィルターを通して、言い換えれば、色眼鏡を通して認識してしまったんだね。
ところが、その後、世に「古九谷」と言われる物を多く見聞きするようになるに従い、私がこれまでに「古九谷」に抱いていたイメージには、現物が有する客観的な姿とはだいぶ齟齬するものがあるように思えてきた。「古九谷」にはいろんなパターンがあることが分かってきた。「古九谷」を一つのパターンでくくることは困難であることがわかってきたわけだ。そうなると、「古九谷」を絶対的に美化された一つのイメージで認識しなくなってきたわけだよ。
そういうふうに、認識作用が変化したからなのか、色眼鏡で見なくなった結果なのか、今、お前を見た時、私が、以前、お前に抱いたイメージとはかなり違って見えたわけだよ。
瑠璃: はい、わかりました。それで、先程、「暫く見ないうちに、お前は随分と変わったね。」と言われたんですね。
主人: うん、そうだね。変わったのは私の方だったね。
ところで、世に「古九谷」と言われるものは数多く存在することがわかるようになってきて、また、「古九谷」と言われるものにはいろんなタイプのものがあることもわかってくると、全体を一つの「古九谷様式」という枠でくくることは困難ではないかと思えるようになってきたよ。「古九谷様式」という枠でくくれるのは、色絵「古九谷様式」のうちでも更に限定された一群だけではないのかな。とりわけ、お前のように「藍古九谷」と言われるものは、殊更に、「伊万里古九谷様式」と分類しなくとも、単に「伊万里」と分類すればいいのではないのかな。
瑠璃: 新しい研究テーマですね。
主人: 新しい研究テーマというよりは、私が最近不勉強でわからなかっただけで、もう既に論じはじめられているようだね。
戸栗美術館の学芸員の方がそのように言っているし、先日(平成24年1月28日)、「古九谷講演会」というものに参加してきたが、その時の講師の方も同じようなことを言っていたね。
東京国立博物館なんか、「伊万里」が産業として作られたものであるのに対して、「鍋島」は献上品として作られたものだから「伊万里」と「鍋島」は全く別物だと見るからなのかどうかは知らないが、「伊万里」と「鍋島」とを峻別しているようだけれども、それはともかく、「伊万里」で「○○様式」と様式を表示するのは「柿右衛門様式」だけだね。今まで「柿右衛門」と言われていたものの一部のものは「伊万里(柿右衛門様式)」と表示されているが、「古九谷」と言われていたものの一部のものは、例えば「伊万里(古九谷五彩手)」と表示されていて「古九谷様式」とは書かれていないんだ。それ以外はすべて「伊万里」の表示だけだからね。
瑠璃: 研究は進んでいるんですね。
主人: そうだね。研究は日進月歩だ。私も、遅れないように勉強しなければね。
ところで、お前の入手に当たっては、ちょっとした思い出があるんだ。
瑠璃: どんな思い出ですか?
主人: うん。私の古伊万里蒐集の中で、一番遠い場所からの蒐集なんだ。
瑠璃: どこですか。
主人: 徳島県なんだよ。
以前、当ホームページの「古伊万里日々雑感」平成15年10月26日の条の「徳島の思い出」という所でも書いたことがあるんだが、徳島の「茎田美術商」さんから買ってきたんだ。
平成15年10月17日~21日までの間の四泊五日の予定で徳島に行くことになり、めったに徳島なんかまでは行けないので、行くからには、是非、茎田美術商さんにも立寄りたいと思い、そのような行程の計画を立案した。そして、ついでに、茎田美術商さんのホームページを覗き、今何が売られているのかを調べてみたら、鍋島青磁七寸皿が売りに出ていることを知ったんだ。私は、何故か、青磁が好きになれないので、青磁のコレクションは少ないのだが、コレクターの端くれとしては、鍋島青磁の皿1枚くらいは所蔵すべきであろうと思い、是非、立寄った際に残っていたら買って帰ろうと決意して出かけて行った。
幸い、鍋島青磁七寸皿はまだ売れ残っていて、無事連れ帰ることが出来た。それで、所期の目的は達成したので、もう帰ろうかなと思っていたら、茎田美術商さんが、「最近このようなものを仕入れたんですけど。」と言って見せてくれたのがお前だった。
私は、「あれっ、これは「古九谷」だ。しかも、これまでに見たこともない珍しいものだな。」と思い、即刻購入することにし、鍋島青磁七寸皿とともに連れ帰ってきたわけだ。
瑠璃: わざわざ遠い徳島の方から連れ帰るのは大変でしたね。お疲れ様でした。
主人: まっ、お前の方は小さいのでそれ程でもなかったが、鍋島青磁の方は七寸あるので重いし、箱まで入れると結構な大きさにもなったので大変だった。
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丸福、いわれてみれば、これも初見(^.^)
まさかとは思いますが、雁の下、水辺に横たわっているのは、楊枝を咥えたアシカ?
それと、裏の縁に、薄く点々と見えるのは装飾でしょうか。
古美術商さんも、遠方からの熱心なコレクターの所へ嫁入りさすことができて、きっと満足だったでしょう(^.^)
雁の下に見えるのは、私は、釣りをしている人物とばかりに思っていましたが、確かに、「楊枝を咥えたアシカ」に見えますね(^_^)
「裏の縁に、薄く点々と見えるのは」、写真では傷の補修痕のようにも見えますが、どうも、これは、絵付をする際に、呉須が筆から垂れ落ちた跡のようです。案外、ぞんざいなところがあるようです(~_~;)