群馬に真田氏の足跡を尋ねて

2010-08-28 04:52:05 | 趣味・野良仕事

(写真)真田氏の岩櫃城がある岩櫃山です。

(写真)遠くに見えるのは復元された沼田城のシンボル本丸鐘楼です。

(写真)真田信幸の奥方、小松殿のお墓を訪れました。

(写真)名胡桃城は利根川の西の河岸段丘上にありました。

27日は東御市郷土史研究会の研修旅行でした。「上州の山城を巡る」と題して、真田氏が上州経営の拠点とした岩櫃城(いわびつ)、沼田城(ぬまた)、名胡桃城(なぐるみ)の3つの城を訪ねるというものです。当日は中央公民館に集合。総勢約50名。中屋敷郷土史研究会からは3名の参加でした。

最初に岩櫃城を目指しましたが工事のため林道が通行止めで城跡まで行くことができませんでした。しかし岩櫃山の峨峨たる山容を見るだけで要害であることが十分察せられます。

次に向かったのは沼田城です。沼田城は利根川の河岸段丘上にありますがほとんど破壊されており、当時をしのばせるものはわずかに残った石垣や空堀跡だけでした。現在は公園として整備されていました。

沼田城のあと真田氏の菩提寺正覚寺にある真田信幸の妻小松殿のお墓を訪れました。小松殿は徳川家康の腹心、本多忠勝の娘。関が原の戦いの際、昌幸と信幸がそれぞれ豊臣と徳川に別れることになったとき、沼田城を訪れた昌幸の入城を拒んだ女丈夫として知られています。

名胡桃城は利根川の西の河岸段丘上にあり遠くに沼田城を望むことができます。東は利根川、北と南は急峻な沢、西には三国街道が走っており小さいながらなかなかの要害の地です。

それにしても上田から沼田までは山また山です。当時米がとれたのは岩櫃や沼田周辺だけだったのでしょう。武田家中にあって村上や上杉に行く手を阻まれている真田氏にとっては、唯一の希望は上州沼田でした。だから北条から沼田割譲を求められた際、がんとして応じなかったわけも理解できます。しかし上田と沼田の間は車でも2時間かかりました。当時はすべて歩きです。二つの拠点を維持するためには大変な苦労があったことが察せられます。

帰りは高速だったため予定より1時間も早く到着しました。幹事の方々、そして軽妙な語り口でご説明いただいた石川先生、ありがとうございました。

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