加山到のハマッ子雑貨飯店

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい雰囲気が伝われば嬉しいなっと。08年11月6日開店!

切ない日々。

2020-03-21 | 心静かに

コロナウイルスに関するニュースがテレビやネットで流れ始めて2か月になりますか・・・。

我が家の庭にはドクダミの花が咲き誇り、昨年咲いたチューリップが今年もまた花が開きそうです。でもね。こうやって春めいた出来事があっても、今の世の中を見ると切なくなりますよね。

 

拙ブログでも何度かアップしましたが、私は役者活動の傍ら、高齢者施設でも働いています。

ただでさえインフルエンザ防止に努めているのに・・・コロナ。コロナ、コロナ、コロナ。 よどんだ空気の中や狭い場所への立ち入りと濃厚接触への警戒、一斉休校、在宅勤務の推奨そして不要不急の外出自粛。そんな息詰まる社会環境の中でも、私たち介護スタッフを必要としている高齢者がいる以上、業務につかなければなりません。それも笑顔と共にです。

もし自分が感染の媒体になってしまったら・・・と思うと、介護スタッフとしては気が気ではありません。一方で、役者としてどうしてもこなさなければならない撮影現場や打ち合わせに赴くのも、「勇気」が必要です。

また、このブログを書いている時点で、「ぜひ見に来てください!」と舞台やライブのお誘いが10件近く来ています。それぞれ悩み苦しんだ末に上演をすると決めた人たちからの、熱き悲痛な叫びともいえるお誘いです。同じ志を持つものとして応援を兼ねて会場に足を運びたい。でも、不特定多数の人が100人規模で集まる小さな会場に赴くには、いまひとつその「勇気」が出ない。

つい先ほど、舞台出演のオファーが来ました。連絡をくれた作・演出家とは一度手合わせをしたいとかねてから思っていました。でも・・・自分たちが使うまで誰が使っていたかわからない、それも決して広くはない稽古場で、長時間にわたり共演者とは声を出し合って汗を流し、時にはつばも飛び交う丁々発止の稽古への参加に、どうしても「勇気」が出ない。丁重にお断りしました。

こんな世の中であっても、苦悩しながらも必死に作品作りしている人たちや多くの仲間たち。協力できずにごめんなさい。手を差し伸べることが出来ずにごめんなさい。

世の中が落ち着いたら、以前のように役者としてのモノ作りにも、仲間としての観劇にも再び熱き思いを寄せます。

空気が澄んでいるのか、近所から見えた真っ白な富士山。早くスカッとした毎日を送れるようにしたいですね。

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中曽根元首相逝去

2019-11-30 | 心静かに

101歳でしたか。お疲れさまでした。まずはごゆっくりお休みください。

「加山、お前も行ってこい!」

「え?」

「行って、スタッフの飯の世話とトイレの場所をわかっておけ。」

私が全日空に入社して半年後、係長に呼び出されて言われた言葉です。この時の出張というのが「中曽根総理大臣訪中特別便」でした。それまで政府要人が外遊する際には日本航空を利用していたのですが、この時に初めて全日空を利用、会社としては社史に残る大プロジェクトでした。そこに末端スタッフとして私も参加することになりました。

ちなみに係長の言葉の意味は、「北京のホテルでの食事の時に、ANAスタッフは中国語を話せないから、お前が通訳しろ。」「トイレの場所を始めとして、スタッフ用通路、貴賓室、税関・・・現地空港でのロケーションを把握しろ。」という事でした。つまり、中国語ができるとはいえ入社して半年の新人、空港の仕事などまだまだ半人前ゆえに現地ではひたすら先輩の指示通りに動けという事なんですよね。

 加山撮影

1986年の11月。秋晴れの北京の空に自社の機体が見えた時、先輩たちは国際線としての運行、その悲願の瞬間に涙腺が緩んだようです。私は私で、社員としてもちろん嬉しかったのですが、前年に他界した父(北京大使館勤務)が、政府要人が訪中してくると必ず出迎え作業をしていたので、同じような仕事をしていると万感の思いになりました。

タラップから降りてきた中曽根総理を中国の要人が迎え入れ、用意された車で市内へと移動します。我々スタッフは一行の手荷物取り卸しやフライトクルーの誘導など担当に分かれて作業を始めるのですが、私は代理通関を行う先輩に同行、政府関係者より預かった一行のパスポートを携えて別室で待ち受けている中国の入国審査官に提出。審査官はパスポートに入国証明の判を押すわけです。

その時にね・・・審査官2人と私たち2人は、総理のパスポートをお互いに回しながら見るわけですよ。「お~~~~!」とか言いながら。こんな機会はなかなかありませんからね。つまり、総理のパスポートには私の指紋がついているのです(自慢です・・・笑)。

(北京から東京へ向かう帰国便の特別仕様の搭乗券)

全日空スタッフとしての誇りを感じさせて下さり、私にとって第2の故郷である中国で父に少しだけ近づいたという自負を持たせてくださった中曽根総理。感謝です。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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八千草さん逝去

2019-10-28 | 心静かに

30年前に私が出演したドラマにも重要な役で出ておられて、その撮影現場でお目にかかったとき、とても可愛らしい方だなと思わず見つめてしまいました。

俺たちの旅 俺たちの朝 茜さんのお弁当……いつもテレビの向こうから見守ってくれているお母さんでした。
安らかに。

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電車事故の跡

2019-09-19 | 心静かに

9月頭に発生した横浜は神奈川新町駅踏切での京急線と13トントラックの衝突事故。

その現場に行ってみました。

踏切脇には花が供えられていました。死亡したトラック運転手の知人が供えたのかな。

そのトラックが曲がろうとして引っかけて斜めになった標識もまだそのまま。

 

亡くなった方、被害に遭われた方にお悔やみとお見舞いを申し上げると共に、二度と事故が起こらないよう願っています。

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台風15号

2019-09-09 | 心静かに

いやはや………大変でした。

深夜にかすかですが家が揺れ続け、雨音も暴風の音も激しい激しい激しい。

部屋の一部に雨水がしみていました。

庭は荒れ放題です。雨が止んだら掃除しなければ……。

 

皆さんは大丈夫ですか?

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74年

2019-08-15 | 心静かに

74年経ちました。

忘れちゃいけない。忘れていたら思い出そう。

戦争遺跡として、今でも近所に残る防空壕跡(コンクリートで半円形に埋められており、中には入れません)。
暑いさなかに、暗くて狭い洞穴に、何十人もの人達と怯えつつ息を潜めながら過ごすなんて、絶対にしたくない。

2019年8月15日

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やっぱり巨星落つ……だね

2019-07-31 | 心静かに

もう7月も最後ですか。早いねぇ(笑)。長い梅雨も明けて夏本番ですな。

 

今月の大きな話題としては、やっぱりジャニー喜多川氏の逝去かな。なんだかんだ言っても日本の芸能界に歌って踊れる男子アイドルを誕生させて、そのジャンルを定着させた功績は大きいよね。人気者が1人出たからといって、同一のプロダクションからその次またその次に人気が出るとは限らないのが一般的なのに、ジャニーズはそんな人気者が50年出続けている訳だからね。もちろん様々な画策があっただろうし、テレビ局を始めとした多くのマスコミ企業がその人気にあやかっていた事もあるけど。

僕が高校の時、よっちゃんこと野村義男がバンドデビューするにあたり、メンバー募集がされてね。ドラムを始めていた僕は履歴書書いて写真撮って(笑)。でもさ、黒板の前で撮った僕の顔はニキビだらけだし、ちょっとピントがずれていたので応募するのをやめたんだよね。

20年ぐらい前だったかな。マッチが雑誌のインタビューで「30代でも40代でもやるきがあるならジャニーズにチャレンジすればいいのにね」と言った内容を話していて、それを読んで“行ってみようかな”なんて気持が動いたり。すでにプロダクションに入っていたからそれで終わったけどね。

 

ジャニーズに入っていたら、この祭壇の周りに立てられた歴代ジャニーズのパネルに僕の名前もあったかも?

そんな夢を見させてくれたね、ジャニー氏は。

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「里帰り」?

2019-06-14 | 心静かに

最近お世話になっている介護施設。

私が担当してるフロアは、かつて一般の患者が入院するフロアでした。後年、そこもグループホーム仕様に改装したのですが、一般病棟時代には晩年の母親が何度か入院したことがあります。

そうなんです、母親が入院し、私や家族が何度も見舞いに通ったフロアに私は今勤務しているわけです。もちろん、母親が入っていた病室に、現在は認知症高齢者が居住していますが、時折「あ、お袋がここにいたんだな」なんてふっと思うことがあります。

この職場で私が使用しているマグカップ。母親がこのフロアに入院していた時に使用していたものです。

「加山」の文字は母親が書いたものです。

病気と闘いながらも常に前向きであった母親。今日は誕生日です

 

 

 

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北尾も旅立つ

2019-04-03 | 心静かに
先月末のショーケン他界に続き、星明子、怪物くん、パーマン5号、サイボーグ001などの声を当てていた白石冬美さんも旅立ちました。「えー!?あのアニメもこのキャラも白石冬美だったの~!?」と白黒時代のアニメを思い起こしました。
その頃からご活躍されていたんですね。今頃はどんなキャラクターの声をされているんでしょうか。



そして北尾光司。元横綱・双羽黒。
結構好きだったんです。ドーンとそびえたつその姿にカッコいい!とさえ思ったほどです。
当時の相撲界では“花のサンパチ組”ともてはやされた面々がいました。小錦(後に大関/現タレントKONISHIKI)、保志(のちに横綱北勝海/現八角理事長)、寺尾(現錣山親方)、孝乃富士(のちにプロレスラー安田忠夫)、そして双羽黒。私と同い年と言うこともあり、みんな気になる存在でした。



双羽黒は優勝経験がないまま横綱になった異例の力士。それほど実力があったにもかかわらず、親方ともめ事を起こして所属部屋を脱走。その後スポーツ冒険家という肩書でのタレント活動を経て、新日本プロレスからデビュー。なかなか迫力のある出で立ちでしたが、やっぱりトラブルを起こして離脱。他団体のリングに上がるものの自らフェードアウト・・・。



そんな中で彼が役者として(たぶん一度だけでしょうが)舞台に立つのを、私は見に行っているんです。
劇団夜想会主催公演「将門」(1989年)。デカい背丈と力を駆使して、共演の若手を放り投げていた記憶があります。



トラブル続きの人生。それも自身の甘えて育ったゆえのわがままが原因と言われていますが、相撲界でもプロレス界でも印象に残るほどの人物が歩んだ道は決して運だけではなかったはずです。
安らかに。
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また一人

2019-03-14 | 心静かに
高校時代の仲間がまた一人、闘病の末に亡くなった。まだ55才だよ。いくら病魔に見舞われたと言っても55才だよ。

一昨年、昨年、そして今回。
みんな、逝くのが早すぎるだろ。第二の人生、第三の人生、まだまだやりたいことがあったはずだよな。

逝っちゃったから仕方がないけど。
ゆっくりしろよな……ってことぐらいしか言えないじゃないか。


残っている俺たちを空の上から見守っていてくれよな。
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