父の残していた物の中に薄いペラペラの領収書がありました。50年近く前の中国の”懐かしさを覚える”領収書です
1枚目と2枚目の間にカーボン紙を入れて、1枚目に必要事項を記入すると2枚目に複写され、その2枚目をピリピリピリ・・・と手で切り取ってこちらに渡してくれる。そんな、ちょっとした作業が面白かった記憶があります。
「上海市徐滙区行政事業単位(機関という意味)統一収据(領収書)」 ピンクの紙が可愛らしい
「79届(二)班 加山至 76年下学期雑代費 五拾元正」と記入され、赤い押印には”上海市滬光中学革命委員会”、星★の下には”後勤組”(後方勤務=事務方という意味)と記されていますね。 他の2枚には「76年上学期学雑費」「77年上学期学費」とも記入されていますが、表現は違えどひっくるめて言えば、学費及び諸経費ってことですね。79届というのは「1979年卒業(1979年に卒業する)」という意味で、入学した時点から「私は79届だ」という言い方をしていました 学費は半年で50元だったのかぁ。1元140円ぐらいだったから7000円。もちろんこの金額は「外国人値段」であり、かなりの高値ですね。
こちらは弟(小学校)の領収書で、半年で30元。
学費は、直接学校に支払うのではなく、私たち外国人を管轄している機関に支払っていたと思います。そこで手数料などを差し引いた金額が学校側に収められていたはずです。プライベートで雇っていたコック(家庭によっては運転手やお手伝いさんも)への給与も、しかるべき機関に支払ってから、本人に渡っていました。
1977年2月25日付で父が「上海市外国機構人員服務処」に支払った諸経費。
職工 陳○○ 1977年2月分工資 220元(コックさんへの給料220元/このうち本人に渡るのは60~70元程度)
教師 徐○○ 教学費15元(中国語の家庭教師。確か母が習っていた)
修理轎車輪胎6.21元(車のタイヤ修理)
代購雑技票代辨費0.35元(雑技のチケット購入代行費)
簡単に買い物をする以外にかかる費用はすべて、私たちを管轄する機関に払うというシステムでしたね