加山到のハマッ子雑貨飯店

おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい雰囲気が伝われば嬉しいなっと。08年11月6日開店!

立て続けに生姜焼き。

2024-07-30 | 生姜焼き&中華

前回の投稿に続いて、また豚肉の生姜焼き(笑)

東京は原宿駅/明治神宮前駅からちょい歩いて見つけた「とんかつ まるや」

「とんかつ屋の生姜焼きに間違いはない」というのが持論でして・・・あ、豚肉の生姜焼きを出していないとんかつ屋ももちろんありますが、今まで大概の店ではお目にかかることができています。しかもいずれも美味い

で、こちら「まるや」の生姜焼き いや、もうね。王道すぎるほどの王道。生姜ダレもご飯に合う合う~~~ バクバクガシガシ、味噌汁ごくごく、千切りキャベツシャキシャキ・・・あっという間に「ごちそうさまでした~

また、行く。絶対に行くーーーー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新橋の豚肉の生姜焼き

2024-07-27 | 生姜焼き&中華

過日。所用で赴いた東京は新橋。「生姜焼きの店はないかなぁ」とスマホでググりながら見つけたのが「肉蔵でーぶ」 昼はランチ定食があるようですが、伺った時はすでに居酒屋タイム。定食類はありませんでしたが、メニューにあった豚肉の生姜焼きを注文しました・・・

 

単品で生姜焼きを注文。やっぱりご飯が食べたくてこちらも単品注文。

いやいやいや・・・参りました 食べやすく小さく切られ、厚みさえ感じる肉片が20切以上がこんもりと まずは炭火で焼いたであろう香りと焦げ目が、目と鼻と腹を刺激してきました すりおろした生姜がたっぷりと入った醤油ダレが、あ~~おいしいですぅぅぅぅ ご飯が進みすぎますぅぅぅぅ・・・と、実は肉を食べていくと下から見えてきたのはマヨネーズがかかった千切りキャベツ。個人的には肉とキャベツを別にしてほしいのですけどね

ランチの値段がいくらかはわかりませんが、この居酒屋タイムでは単品で1860円 それに白飯、ソフトドリンクを頼んで、お通しが付いちゃって・・・3000円越え(大汗) むぅ~(苦笑)

店名からわかるかと思いますが、オーナーは元野球選手のデーブ大久保さんのようですね

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「愛と誠」原画展

2024-07-26 | 温故知“旧”

連載開始50周年記念「愛と誠の世界展」@世田谷区豪徳寺”旧尾崎テオドラ邸”に行ってきましたぁ~

趣のある洋館「尾崎テオドラ邸」。こちらも調べると楽しそうですなぁ。むふふ

 

北京に住んでいた頃、我が家には日本から月に一回、私には小学館の「小学〇年生」、弟には講談社の「たのしい幼稚園」が届けられていました。他のご家庭には「科学と学習」「冒険王」「中一時代」「月刊マーガレット」などが記憶にありますが、「少年マガジン」を定期購読している友人がいました。そこで出会ったのが『愛と誠』 回し読みをして、食い入るように読み、そしてケンカの強い不良の誠にカッコ良さを感じたわけです

帰国後に単行本をそろえ始め、今でも手元にあります。全16巻のうち初版が10冊ほどありますね。結構ボロボロですが・・・

 

 

邸内には、50年前の原画が展示されていました(撮影不可のため写真はありません)。雑誌や単行本の漫画でもわかっていましたが、それはそれはきめ細やかに描かれた筆跡に見入ってしまいました。「これが劇画なのか!」と子供の頃に感じたことを思い出しました。

久しぶりに「愛と誠」の世界につかってしまいました 久しぶりに全巻読破するかな。映画(DVD)も見てみるか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昭和の残像。

2024-07-25 | ヨコハマ

横浜駅西口にある一角。

更地になっているこの三角地帯には、数か月前までファストフード/ハンバーガー店がありました。店内も割と広く結構お客さんも入っていてにぎわっていました。

ハンバーガー店の前は長らくゲームセンターでした。90年代後半に始まった「UFOキャッチャー」ブームの時には、子供や青春を謳歌している若者たちが多く出入りしていましたっけ。その後もプリクラが多く置かれ、女子高生のたまり場にもなっていたと記憶しています

この「永和横浜西口ビル」自体が取り壊されたという事は老朽化が原因なのでしょうね。デ~ンと構えていただけに・・・寂しいなぁ。

そして見えたのが・・・すぐ脇にある「狸小路」/飲んべえ横丁にひしめき合って立っている小さな飲食店の裏側。

いや、もう、ザ・昭和!ですよね。煤けた排煙管、継ぎ足した壁板、開くのか開かないのかわからない裏口扉。戦後、屋台が集まっていたこの辺りが、昭和30年代の区画整理で飲食店が集まる一角になったとか。 かくいう私も社会人になってからこちらにある焼鳥店や居酒屋で楽しんでいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

店名のデザインの包み紙

2024-07-24 | ヨコハマ

地元ヨコハマは桜木町駅の向かいにある古い商業ビル「ぴおシティ」 開業して55年以上の建物で、地上階は残念ながらテナントが半減しているようで閑散としていますが、地下の飲食街は新旧問わずの飲食店でにぎわっています。立ち飲みの居酒屋が数軒あるのですが、いずれも昼からオープン。しかも平日であるにもかかわらず「入れるかな?」とキョロキョロしてしまうほど

その一角にある老舗和菓子店の「もみじ」 私は赤飯、愛妻は和菓子を購入。包んでくれた包み紙のデザインは店名が由来のもみじです。

素敵です。もともと和菓子店の包み紙って、なんか風情があって、紙の感触も匂いも、なんか・・・なんか好きなんです。簡易包装が常となり、ビニール袋が有料になったこのご時世。昔と変わらず、木製の引き出しから取り出して手際よく品物を包んでくれる。そんな一連の流れが好きです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めまして~

2024-07-23 | 日々是充実

ATMでお会いしました~

表を見て、裏を見て、下から見て、上から見て(笑)・・・いろんな施しがされているんだなぁ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「太陽!」放送開始52年

2024-07-22 | 太陽!

2日遅れになってしまいましたが、7月21日は「太陽日ほえろ!」放送開始記念日です・・・ん?そんな記念日あったか?いや、でもいいのだ。あって然りなのだ。それほど国民的番組であり、様々なトピックスでドラマ史上に名を馳せた作品ですからね。マカロニ刑事が登場してから52年経ったんですねぇ

 

ここのところ、我が家のレコードプレーヤーでぐるぐる回っているのは、ラガー刑事登場の頃のアルバム「太陽にほえろ!81」(右は「ラガー刑事のテーマ」のシングル盤)です。80年頃に日本の音楽シーンで席巻し始めた”フュージョン”なるジャンル。ジャズにロックテイストを融合させ、私個人的には「疾走感がある音楽ジャンル」と捉えているのですが、その影響が多分に感じられるのがこの「’81」です。

それまでの井上堯之バンドでは、大野克夫氏のキーボード/ピアノの演奏は聞けるものの、どちらかというとホーンセクションを多用した”昔ながらの爽快感”が前面に出ていたように思えます。その後キーボードの性能が飛躍的に良くなり、ホーンの音はもちろん様々な音質を奏でられるシンセサイザーになりました。それを駆使した大野克夫氏=大野克夫バンドは、「太陽!」の世界観を、音楽面からもかなり広げたといっても過言ではないと思います。

 

さてさて。7年ほど前の拙ブログでもちょいと触れましたが、1979年にドラマ放送開始7周年を記念して発売された「総集編」と10周年記念の「’82」。「’81」を含めてこの3枚は、お分かりのようにジャケットが写真ではなく柳柊二氏によるイラストです。

なんで、「写真じゃないの~~~」とか「全員揃ったカッコいい写真がいいのに~」などと思ったのですが、これは1979年に石原裕次郎ボスが舌ガンを患い、治療中だったことが関係していると思われます(以前、太陽ファンの方から、そういった内容の助言を頂きました。幸い早期発見による術後であったため、撮影には参加していましたが言葉を発することは禁じられていたようで、ドラマの中でも部下の報告を受けてうなずいたり、視線を厳しくしたりやさしくしたり・・・と表情だけで演技をしていました。そんな状況を鑑みて、収録以外の仕事・・・つまり集合写真やスチール撮影などは控えられていたと考えられます。

また、一旦は完全復帰し、ドック刑事登場時の「’80」のアルバムでは全員集合写真でしたが、81年の大病による長期休業時期にリリースされたアルバムは、再び同じ柳氏によるイラストジャケになったといういきさつがあるようです。

写真を使用するのもいいのですが、「太陽にほえろ!」の長い歴史の中でこういった趣があるのも、今となっては貴重であり、楽しみを感じられますね

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルース・リー 51回目の命日

2024-07-20 | ドラゴン

1973年7月20日。ブルース・リーは旅立ちました。

翌1974年の7月20日。「ドラゴン怒りの鉄拳」が日本で公開されました。

公開時のパンフレットです。本来「怒りの鉄拳」は、「ドラゴン危機一発」に続くブルース主演第2弾なのですが、日本での公開は「燃えドラ」「危機一発」の次だったゆえに”第3弾”と記されています

 

前年の12月に「燃えドラ」が公開されて、半年ちょいの間に3本が公開されているわけですから、ブルースの人気がいかに熱く激しかったのかがわかりますね 私は当時日本にいなかったので、その熱狂的な雰囲気は知りません。テレビやラジオ、雑誌、新聞などのあらゆる媒体でブルースが取り上げられていたのでしょうね。

「怒りの鉄拳」公開直後あたりに発売された別冊ロードショーの裏表紙。”絶賛公開中!”の文字に偽りはないんだろうなぁ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近所の中華

2024-07-19 | 生姜焼き&中華

近所にある中華屋さん 老夫婦と息子さんがやっている小さな店。久しぶりに行ってきました

 

もう50年近くは営業しているんだろうなぁ。まさに昭和!落ち着ける場所でもあります。

 

持つ痛めて移植を・・・ありゃ、変換したらこんな感じになりました(爆笑)・・・「モツ炒め定食」を頼みました

モツのあのぷにぷに感がモヤシのシャキシャキとうまく絡まって、味もそれなりに濃いのでご飯が進むったらありゃしない~~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トントン紙相撲/七曲部屋もある!?

2024-07-14 | 温故知“旧”

大相撲 今日からまた始まりますね。どんな熱戦が繰り広げられるか、楽しみな2週間です

我が家には紙相撲があります。

北京に住んでいた50年ほど前、近所に住む日本人の友達が、日本での夏休みを終えて「おみやげだよ~」と買ってきてくれた「紙相撲セット」 当時、日本では「日本紙相撲協会」があり、様々なメディアで紹介され結構ブームになっていたんです。相撲が好きだった私はこのセットをえらく気に入りまして、セットに入っている力士や土俵を作って、トントン叩いて遊んでいました。その時に作った土俵が写真に写ってる物です。

 

その後は自分で力士を作って増やしていき、移り住んだ上海でも、日本人の友達を誘ってそれぞれ「部屋」を作り、自ら「〇〇親方」を名乗り、自分たちで作った力士を対戦させていました

昭和52年(1977年)には紙相撲人気にあやかって、週刊平凡誌上でも”週刊平凡杯争奪紙相撲選手権大会”が開催され、各都道府県代表がそれぞれのブロックで勝ち抜いて本選に登場。我々「上海チーム」も海外ブロック枠で参戦、予選を勝ち抜いたのが私の「鬼怒ヶ嶽部屋」の「黄河」でした。

残念ながら黄河は本選の一回戦で敗退しましたが、記念の楯を頂きました

このオレンジ色の廻しの力士が黄河です。結構足腰が強いんです。

日本に帰国後は一人で遊び・・・だって、日本では中学生の娯楽だって充実してるし、クラブ活動で忙しいし、青春真っ盛りの中坊は相撲に見向きもしないし・・・一人でトントンしていました。

「がきデカ」のこまわり君(笑) 廻しの色もカラフルです。

下は「七曲部屋」の力士たち

大藤堂(ボス/赤) 若野崎(長さん/黄) 石塚竜(ゴリさん/紺) 山村山(山さん/緑)

殿下島(殿下/紺) 盆田口(ボン/茶) 髭岩城(ロッキー/青)

手作りゆえに愛着もあります。力士たちの行く末はいかに・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする