50年前の今日。1972年9月29日。訪中した田中角栄総理と周恩来首相が共同声明に署名をし日本と中国の国交が回復。今日に至る戦後の歴史が始まったわけです。
私の父は外務省に勤めていた関係で、この国交回復のために家族を連れ、6月に北京に赴任しました。その当時の父や尽力された日中双方の方々の想いや苦労、喜びなどは計り知れません(父は外務省から一旦「日中覚書貿易事務所(代表・岡崎嘉平太)」に出向を命ぜられ赴任、国交回復後の北京大使館創設の際に外務省に復職)。
田中総理が訪中する時は、もちろん航空定期便が飛んでいませんでしたから、いわゆる訪中特別機として日本航空の飛行機が北京に降り立ったわけですが、その準備のために事前に必要な人員や機材が北京に到着しました。父が遺した日記によると「9月10日 日航貨物機など2機が到着」(翌日にはさらに1機)とあり、「地球局設営隊来訪」の文字も見えます。つまり戦後最大の重要イベントを中継するため、多くの通信関係スタッフが大量の機材を携えて来たのだと思います。 その時に父に連れられ、北京空港で撮った写真がこれです。イタル、9歳です(笑)。
特別機が下りて来るのを待つ中国側と日本側(写真中央から右側)の人たち。最右の2人が両親です。
到着した田中総理と周恩来首相が一人一人と握手。戦後の北京で、日本のトップが訪れた歴史的瞬間に立ち会えた両親は万感の思いだったと思います。
周恩来首相主催による歓迎レセプションで挨拶を述べる田中角栄首相(左)。両親も招かれて参列していました。
あれから50年。両国間には様々な問題が山積されています。ですが、私にとっては第2の故郷でもある中国です。平和で友好的な隣国であることを心より願っています。
そうそう上述の通り、特別機を含めて4機の日本航空機が戦後の北京に来たのですが、父の日記によると、その前日の9月9日に地球局設営スタッフ24名を乗せて到着したのが全日空でした。つまり日本航空より先に降り立っていたのです。短期間とは言え、全日空に就職していた私としては誇りにさえ思える史実です(日本航空と全日空が、どのタイミングでどの順番で北京に降り立つのか・・・にも歴史的背景があるようですね)