横浜在住の作家・鳥居民さんのお別れの会(@横浜ニューグランド・ホテル)に参列して来ました。
1月に他界された鳥居民さんは、横浜の開港期を描いた『横浜富貴楼・お倉』『横浜山手』、日中近現代史研究家としての側面を見せた『毛沢東五つの戦争』『「反日」で生き延びる中国』『毛沢東と周恩来』、シリーズ未完の大作となった『昭和二十年』の歴史作家(13巻まで刊行)として知られています。
「昭和二十年」では歴史的な資料ばかりを参考にしていただけでなく、市井の人々が書いたエッセイや、記録或いは企業史などにまで視野を広げるため、横浜市内の図書館に足しげく通われていたそうです。
そんな図書館通いの中で鳥居氏の目に留まったのが随筆の同人誌「馬車道」。
その中の「遠浅の海」と題されたエッセイは戦前の本牧海岸、本牧十二天について書かれた思い出文章だったのですが、鳥居氏はおもしろいと感じられたのか、その文章を書いた本人に読後の感想と共にお褒めの言葉を添えて連絡を取りました。
その相手が私の母でした。
母はいたく感激し、年賀状を始め時折手紙をしたためると同時に鳥居氏の著した作品のほとんどを購入しました。極度のドライアイを患っていた母はなかなか本を読むことができませんでしたが、「いつか鳥居先生の作品を読破する」と意気込んでいました。
母の他界後、鳥居氏は私宛に年賀状を送って下さるようになりました。大変ありがたいことです。今年もしっかりと頂きました。「本牧の事を考えると、お母さんの文章を思い出します」と書かれていました。
その数日後、氏は病気で他界されました。
今頃、母は尊敬する鳥居先生に会っているのかな。
1月に他界された鳥居民さんは、横浜の開港期を描いた『横浜富貴楼・お倉』『横浜山手』、日中近現代史研究家としての側面を見せた『毛沢東五つの戦争』『「反日」で生き延びる中国』『毛沢東と周恩来』、シリーズ未完の大作となった『昭和二十年』の歴史作家(13巻まで刊行)として知られています。
「昭和二十年」では歴史的な資料ばかりを参考にしていただけでなく、市井の人々が書いたエッセイや、記録或いは企業史などにまで視野を広げるため、横浜市内の図書館に足しげく通われていたそうです。
そんな図書館通いの中で鳥居氏の目に留まったのが随筆の同人誌「馬車道」。
その中の「遠浅の海」と題されたエッセイは戦前の本牧海岸、本牧十二天について書かれた思い出文章だったのですが、鳥居氏はおもしろいと感じられたのか、その文章を書いた本人に読後の感想と共にお褒めの言葉を添えて連絡を取りました。
その相手が私の母でした。
母はいたく感激し、年賀状を始め時折手紙をしたためると同時に鳥居氏の著した作品のほとんどを購入しました。極度のドライアイを患っていた母はなかなか本を読むことができませんでしたが、「いつか鳥居先生の作品を読破する」と意気込んでいました。
母の他界後、鳥居氏は私宛に年賀状を送って下さるようになりました。大変ありがたいことです。今年もしっかりと頂きました。「本牧の事を考えると、お母さんの文章を思い出します」と書かれていました。
その数日後、氏は病気で他界されました。
今頃、母は尊敬する鳥居先生に会っているのかな。