踏切の傍らで自転車を降り,ロマンスカーを見送る日々

2008年04月09日 | 歌っているのは?
 現在私ども家族が住まうこの盆地の町に他地域から来訪されるに際しての主要な交通ルートとしては,道路では国道246号,鉄道では小田急線があり,それらはいずれも盆地内をほぼ東西に横切っている。

 東側からのルートは,国道246号の場合は伊勢原方面から善波峠に至る長いダラダラ坂を上り,新善波トンネルを抜けると,その先の眼前には秦野盆地がパノラマ状に広がり,さらに遠方には手前に箱根連山を従えた富士山が秀麗な裾野を引いて実に立派に聳え立っている姿が望見される。また,小田急線の場合は,伊勢原から鶴巻,大根方面へと丘陵地の裾を走り,秦野隧道を抜けて金目川沿いに台地と丘陵のあいだを右にカーブしながら進むと,やがて車窓の右手には屏風のように連なる丹沢表尾根を背景とした盆地の街並みが広がる。どちらの景色も,あー,山のなかの盆地に来たんだなーという,いわば箱庭的景観を真近に実感して思わず心が和んでしまう。(わたしだけ?)

 いっぽう,西側から当地に入るルートは,国道246号,小田急線ともほぼ同じで,危険度の極めて高い活断層として知られる国府津・神縄断層の一部,松田山の狭搾部をすり抜けるように酒匂川水系の川音川,四十八瀬川に沿って北東方面にクネクネと上ってゆくと,いつのまにか盆地西端の渋沢の町へと着いてしまう。こちらの方は東側からの路程と違ってさしたる感動は生じないけれども,それでも,四十八瀬川沿いに緩やかにカーブする小田急電車の車窓から眺める四季折々の川辺の移ろいは目に優しく,とても心地よい。(わたしだけ?)

 クルマを原則として運転しない私としては,当地を通過する国道246号という道路ははっきりいってキライである。自転車の通行が頭ごなしに排除された,場所によっては歩行者の通行さえもが無慈悲にも排除された,極めて味気ない産業道路としての存在である。これを水系に例えれば,北方平原の人工放水路,近代的圃場の用排水路,揚水ダムの開渠導水路,あるいは単なる開放的なドブのごとき存在でしかない(いや,あくまでワタクシ的視点からの例えですが)。 ただし,地形的に見れば起伏に富んだ盆地内の辺縁部を横切っていることから,道路の動線自体は魅力的なルートを形成しているのであって,もしこの国道にクルマが全く走っておらなければ,そこは一転とても楽しげな「遊びフィールド」になるんじゃなかろうかと想像する。例えば,ある日のある時間帯,国道246号の善波峠から寄入口あたりまでの約10kmの区間においてクルマを強制的に完全シャットアウトしてしまい,《盆地横断10kmマラソン&10km自転車ロードレース》などが開催されたとしたら。。。。 なんて夢を見たりもする。 はいはい,手前勝手な妄想であることは重々承知しております。

 そんなわけで国道246号は大ッキライだが,もう一方の小田急線は好きだ。とくにロマンスカーが大好きです。ずっと昔,小田急線のことを「世界最悪の電車!」と罵倒していた本多勝一老人@アサヒシンブンを,幾分揶揄を込めてタシナメタことがあったけれども(1998/10/26参照),そのときにロマンスカーを擁護した我が思いは老人となった今でも変わらない。

 もっとも私自身,ロマンスカーはめったに乗らない(乗れない)けれども,この盆地の町のあちらこちらを自転車で走り回りっているときなど,小田急線沿線のいろんな場所の踏切で電車待ちをすることがしばしばある。駅のすぐ近くに位置するにもかかわらず妙にイナカっぽい雰囲気のある寿徳寺わきの踏切,今川町あたりに何箇所もある人と自転車しか渡れない小さな踏切,出雲大社近くの何だかホコリっぽい感じのする平べったい踏切,丘陵地のトンネル際にあって通過するクルマがいつも急いで渡っているような気がする才ヶ分の踏切などなど,踏切にもそれぞれにいろんな個性と趣があるのです。

 自転車に乗って踏切に近づいたときに運悪く(あるいは運良く?)電車の接近を知らせるカンカン音が鳴りはじめると,私は決して慌てて渡ったりはせず,踏切の最前列左端に止まってのんびりと電車を待つようにしている。そんなとき,上りでも下りでも構わないが,ロマンスカーがやってくるのに「当たる」と何だかとても嬉しい気分になる。思わず目を細めて過ぎゆく電車を優しい気持ちで見送ったりしてしまう。下り電車の場合,これから箱根方面の観光地へとワクワクするような思いを胸に抱きつつ出掛ける人々が乗っているのだろう。上り電車の場合,行楽地で過ごした数々の楽しい出来事を思い出土産としてチョッピリくたびれた様子で家路に向かう人々が乗っているのだろう。走り過ぎるロマンスカーを踏切の傍らで眺めていると,そんな乗客ひとりひとりの思いがこちらに伝わってくるようだ。恐らく車内の側からもそんな思いで流れゆく外の景色を眺めているのではないだろうか。


   踏み切り越し 手を振る君の
   隠れる姿探して
   通り過ぎるロマンスカーに
   叫んだ声は 風の中...



 村下孝蔵Murashita Kozoの絶唱ともいえる悲しくも切ないポエジーの断片である。踏切の脇でロマンスカーを見送る私は,ハズカシナガラ,この年になってもそんなイメージが未だ心の奥底から呼び起こされて,そして,その歌が春の淡い風景のなかで繰り返し響いているように錯覚する。たぶんこの歌は小田急線でも都内の世田谷区,あるいはせいぜい多摩川を渡った先の川崎市登戸,生田あたりの街中を走り過ぎてゆく情景が唄われているのだろう。当地のようなイナカを舞台とするのは少々無理があるかも知れない。それでもなお,春風のなかを軽快に走り過ぎゆくロマンスカーは,それを見送る人の心を揺り動かさずにはおかない。そして,今は亡き村下孝蔵の熱き思いがつかのま憑依するかのように,ワタクシもまた思わず目頭が熱くなってしまうのだ。

 それにしても,ったくもう。毎度毎度のセンチメンタル・ジャーニーであります。いわゆる「毅然とした老人」というヤツに,私はとてもなれそうにない。いつまでもセンチな,女々しい心を抱えながら,やがていつしか老いさらばえてゆくのだろう。そう,自転車散歩のおりなどに,町の何処かの店で大声を張りあげて若い店員の粗相を叱責しているオイコラ老人に出会ったりすると,あるいはまた,運動公園の周回道路で鬼のような形相をして歯を食いしばってジョギングしているツッパリ老人とすれ違ったりすると,ああ,ワタクシとはまったく別次元のああいった人生もあるのだなぁ,と,メソメソ老人は感慨ひとしおなのである。でもしかし,彼らにだって等しく青春時代はあったはずであり,ムラシタコーゾー的思いを抱いた時期も多分はあったはずなのだ。そして今でもロマンスカーに乗ることもあるだろう。そんなとき,心地よい上質のシートに座り,窓の外の移りゆく景色を眺めながら,ふと,遥か彼方に過ぎ去った青春とかいうものを思い出したりはしないのだろうか? ダロウカ?


   海にも山にもいつか
   並んでいこうね 手をつなぎ

   君の好きなロマンスカーは
   ふたりの日々を駆けぬけ
   夢がにじむ遠い夜空に
   名もない星が流れた...


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« タヌキだって陽だまりを散歩... | トップ | そして古書は廻る (たとい... »
最新の画像もっと見る

歌っているのは?」カテゴリの最新記事