人が物を作り出す時に、製作者の霊格が如実に現れる。東京五輪のマークで問題になった多摩美卒のパクリ野郎は、何を作っても気持ちの悪いものしか出来なかった。人が作ったものですら、魂が宿り、悪魔に支配された者は霊格の低い魂しか宿すことは出来ない。
だから、前回の読者の最初の板取りの気持ち悪さは、読者の霊格の低さを表しているのです。逆に言うと、この読者が完璧な物を生み出そうとすると、完璧は神の領域なので悪魔が邪魔してくる。悪魔が嫌がって邪魔するから、冥王星のように、いつまでも正解(太陽)から遠いところを彷徨(さまよ)うわけです (;一_一)
随分前に、SNSにつむぎさんという人がいて、一番簡単なスピーカーになかなか着手せず、作り始めたと思ったら、カッターで自分を傷つけてしまいました。それほどまでにして、悪魔は邪魔したいのです。自分を傷つけてでも神から逃げる。これを、つむぎ症候群と呼んでます。
板取りをしている読者のスピーカーも、おざなりで汚くて鑑賞に耐えなかった。だから、スピーカーを作ると言ってから何年も取り掛からない大阪の読者も、悪魔の支配下にあるわけです。このまだと永遠に作ることは出来ないでしょう (>_<")
本当に頭が悪かったらスマホもパソコンも無理。スピーカーを作ろうとすると悪魔が邪魔する。こういうときは思考もおかしくなるのです。知識やアドバイスをレンガのように積み上げることの出来る人は、揺るぎない知恵を獲得します。しかし、知識やアドバイスを上書きで消してしまう人は、下の図の右のように砂上の楼閣よりもひどい立ち位置にいるのです (;´Д`)
日本と日本人は左のピラミッドのように知恵を蓄えてきました。お困りの国の韓国は、右のようにパクリと捏造で努力しないで成り上がろうとしてきた。だから伝統も文化もない外面だけのメッキの国になってしまったのです。まあ、ホルホルするのは勝手ですけど、その悪影響が韓流(寒流)とかで日本に入り込んでるのが大問題 (´Д`|||)
韓国は世界有数のカルトの国。悪魔の国と言っても過言でない。悲しいかな、板取りをやらせている読者は、大阪出身なのが悪いのか、どう見ても図の右の韓国タイプなのです。コツコツと努力できないし、アドバイスは無視するし、注意されたことは上書きして最後に言われたことだけして満足。意欲も誠意もないし、やらされているからやっているだけ。
地獄の泥沼にハマっているという自覚がないから、抜け出そうともせず、適当に逃げていれば雷は避けられると思っている。要するに神を舐めているのです。真摯に神と向き合わないと、もう誰も救けられない。
だから、前回の読者の最初の板取りの気持ち悪さは、読者の霊格の低さを表しているのです。逆に言うと、この読者が完璧な物を生み出そうとすると、完璧は神の領域なので悪魔が邪魔してくる。悪魔が嫌がって邪魔するから、冥王星のように、いつまでも正解(太陽)から遠いところを彷徨(さまよ)うわけです (;一_一)
随分前に、SNSにつむぎさんという人がいて、一番簡単なスピーカーになかなか着手せず、作り始めたと思ったら、カッターで自分を傷つけてしまいました。それほどまでにして、悪魔は邪魔したいのです。自分を傷つけてでも神から逃げる。これを、つむぎ症候群と呼んでます。
板取りをしている読者のスピーカーも、おざなりで汚くて鑑賞に耐えなかった。だから、スピーカーを作ると言ってから何年も取り掛からない大阪の読者も、悪魔の支配下にあるわけです。このまだと永遠に作ることは出来ないでしょう (>_<")
本当に頭が悪かったらスマホもパソコンも無理。スピーカーを作ろうとすると悪魔が邪魔する。こういうときは思考もおかしくなるのです。知識やアドバイスをレンガのように積み上げることの出来る人は、揺るぎない知恵を獲得します。しかし、知識やアドバイスを上書きで消してしまう人は、下の図の右のように砂上の楼閣よりもひどい立ち位置にいるのです (;´Д`)
日本と日本人は左のピラミッドのように知恵を蓄えてきました。お困りの国の韓国は、右のようにパクリと捏造で努力しないで成り上がろうとしてきた。だから伝統も文化もない外面だけのメッキの国になってしまったのです。まあ、ホルホルするのは勝手ですけど、その悪影響が韓流(寒流)とかで日本に入り込んでるのが大問題 (´Д`|||)
韓国は世界有数のカルトの国。悪魔の国と言っても過言でない。悲しいかな、板取りをやらせている読者は、大阪出身なのが悪いのか、どう見ても図の右の韓国タイプなのです。コツコツと努力できないし、アドバイスは無視するし、注意されたことは上書きして最後に言われたことだけして満足。意欲も誠意もないし、やらされているからやっているだけ。
地獄の泥沼にハマっているという自覚がないから、抜け出そうともせず、適当に逃げていれば雷は避けられると思っている。要するに神を舐めているのです。真摯に神と向き合わないと、もう誰も救けられない。