9月13日 北東6m 波2.5m 中潮 月齢18.5 旧暦8/20
人生、楽しむのならば釣りを覚えよとの古い言葉がありますが、「俺は死ぬまで釣りが出来たら」と好きな者や今を追い求めてる方には絶対、思うはず。
ただ、それは叶わないもので人は若くして病気や怪我で動く事も出来なくなったり、自然と老いていき、歩く事も困難になり人の手助けが必要になってくるものです。
表題にある、逆さまにしてますがへミングウェイの短編小説「老人と海」でも小船で巨大なカジキと死闘を数日続け、自分の老いた体を已んで悔やんでやっと手にするのですが最後のオチには残念だった物語があります。
俺もいつか、老いていく、もう40年以上釣りをしてるがいつまで出来るだろうと今日の釣りで思いました。
話の発端、介護が必要な軽度の方を釣りが以前好きだったみたいで、何気なく、俺が連れてってサポートしようか?と介護師である嫁に言った。
以前、障害者へのボランティアの一環で釣りで楽しんでもらいサポートしてやるイベントなどに参加してました。
それに福祉は俺も少しはカジってて全く分らない訳でもありません。
その一言から今日に繋がりました。
別に良い事をしようとかそういうのではなく、相手の事を思うと同じ釣りを好きな同士で何か協力というか、俺でよければ何なりとと自然にそう思えたのであります。
話が日程まで決まり、これまでの経験なども俺は聞かず、最初から安全にと思い、車椅子でも出来そうなサビキでアジゴ釣りがいいたいねと思ってました。
話が決った相手の方の以前やっていたと思われるタックルの画像が送られて来ました。
御本人にはアジゴのサビキと伝えてあったそうで「アジゴか」と一言だけ発せられたようです。
竿とリールを見て、以前はチヌ師だった事が分り、俺は失礼な事を言ったと思い、本気で考えました。
御本人にとっては数年ぶりの釣り、俺としては出来ればチヌの棒ウキでの釣りを実現してやれないかと考えてはいたんですが、生憎前日から気圧の谷が通過し晴れても北東の強風が残る予報。
後の事情で時間がないのか、何とか出来る釣りをさせて欲しいとの要望で、じゃサーフでのキス釣りならば何とか風も避けられ出来るので実行となった訳です。
施設の方1名、俺と嫁、3人でサポートするのですが俺と嫁は釣りの経験はあるのですが施設の方は釣り歴が殆どないらしい。
少しは歩ける方だったので、喜んでいられるのか足取りが軽いようでした。
立ってはキツイのでイスを持っていき、日焼けしないようにタオルで顔と頭を隠してあげます。
準備を御自分のチヌ竿を持っては来られてたんですが、投げの鉛の設定など大事な竿を破損させては申し訳なく、軽いショートタイプでのエギ竿でチョイ投げで出来るよう、準備してあげた。
足腰に負担かけないようにイスに座って投入するようにセット。
餌をゴカイにしてたんですが、自分で餌付けする動作はされるんですが、老眼と視力の低下で刺す事が困難。
投げる手前までは毎回、手助けが必要。
第一投。
見てたんですが、キス特有のアタリ方。
ちゃんと誘いのサミング、アタリがあると軽くアワセを入れピンギスでしたが釣れた。
長年のブランクがあろうと、魚のアタリの感触は釣人ならば忘れないのだろう。
苦笑いでキスを外そうとされるが、やはり手助けが必要だった。
口数が少ない方だったのですが、海をずっと眺め、ラインから竿先に伝わる感触を体で聞いてるような姿。
何とか出来てるので付き添いの方の仕掛を準備しレクチャーしやってもらった。
俺も合間合間で準備し、投げます。
先の黒く底が見える一帯が石が多くその先を目掛けます。
キスが2匹釣れた後、3投目。
俺と嫁とで交互に釣りをやってサポートしていました。
お方にもキスが2匹来ていた。
「遠慮なく餌の付け替えはしますので、ちゃんと誘ってくださいね、遠慮なさらず竿を止めないで下さいね」と見るからに遠慮されてる行動が目につきます。
付き添いの方もコツを掴んだのか、メイタの子(笑)、サギmメイタの子とキスは釣れず外道オンリー(笑)
俺にも今までに無い大アタリ。
マゴチでした。
お方はメイタが気になるのか、メイタの釣れた方向へ自然と投入が向きを変える(笑)
やはり釣り師です。
この後、帰る時間をとうに過ぎ(笑)、付き添いの方が一生懸命だったのですが(笑)久しぶりの海で喜んでくれたのだろうかと思っていた。
俺なら、また来たいと思うはずだろう。
多分そういう事は中々言えないはず。
楽しかった時間は終わり、帰り際、お方は俺に感謝の言葉をくれた。
ただ同じ釣り師として、また絶対、行きましょうとお返しの言葉としたが喜んでくれていたんで安心した。
出来ればまた、連れてきたいのだがこういうやりたい方は沢山いるのではないだろうか?
ただ、実際にサポートするには一人でも大変な事。
まして安全は第一条件。
他にもとなれば難しい話になるだろう。
あの海を見る目には、俺にはどう写るんだろうか。
まだ元気で、来て欲しいと釣り師として思います。
釣れた魚は照れくさそうに要らないと言われてたが、晩酌にと皆で釣ったキスは持ち帰ってもらった。
2時間だけだったが久しぶりでお疲れになった事だろう。
6月12日 北北西4m 波1.5m 大潮 月齢14.3 旧暦5/15
太平洋側では異常なくらいの雨が降ってる様子ですが、梅雨入りしたらこちらでは雨は降りきれない。
梅雨前線は大きく太平洋側で昨日より台風が発生しましたが消滅、そしてまた金曜くらいから台湾付近で7号が発生しそうです。
話は変りますが、俺の師匠と数十年ぶりに烏賊釣りに行こうと今期は話していたのですが、先日怪我をして、利腕が上がらなくなってしまいました。
もう歳なので咄嗟の動きには遅いのか、転倒した際に腕をついて伸びたんでしょう。
診断は肩腱板断裂、下の振りと横の振りは出来るのだが腕が上に上がらなくなってしまった。
まだ痛みもあり、竿を振れる事は到底無理。
根元から断裂しており手術も難しく、リハビリである程度回復が出来るかどうかとの事。
俺はよく、船釣りに行きますがたまに、体が不自由な方が乗船され釣りを楽しまれる方がいます。
上手く、自分なりに上手にやっておられ手出しする事もなくやってらっしゃいます。
師匠というのは俺の親父の事。
親子で学ぶという事は勉強は違うかもしれないですが、共通するもの、俺は釣りだっただけの話なのだが教える、学ぶで親子でもあり、いい舎弟、愛弟子が出来るというものです。
例えばこれがスポーツにしたってゴルフだったりしても同じこと。
幼少の時から親父から学ぶという事がどう後に残って自然と見出すものが出来てくるのかなと俺自身がそう思ってます。
俺の息子も小さい時からたまに連れてってましたが、大きくなってくると友達の付き合いが大事になってくる年頃。
中々、親に着いて来るのが遠のいてくる。
俺もいつしか一緒には行かなくなり親父もある境で釣りから遠のいた。
間を空けるのも良くはないのですが、久しぶりに行こうかと言うと、仕方なしの返事であいまいなOK
今、考えると俺の親父はいつも間を開けず連れてってくれたと思い出します。
釣りの意識が備わると、自分で行きたいと思ってくるのでしょうが、やる本人が好きでないと長続きはしないのでしょう。
俺と一緒で多彩な釣りをしていた親父、いろんな釣りを学んだ。
最近のエギには興味があったらしく、逆に教えろとの事で行こうかと、曖昧な約束をしていたわけです。
たぶん、もうシャクリは無理だろう。
数年後、まだ元気ならば半分でも治ったら夜焚きスッテでも連れていくかと思ってます。
今度は俺が教えてあげないといけないだろう。
</object>
YouTube: 少年←帰来 ~my mother earth~ 九州男
5月6日 北西8m 波1.5m 小潮 月齢6.9 旧暦4/8
大村湾へキス釣りに午前中、行って来たんですがこれまでも紹介してきた事もあるのですが一人の少年との出会いの方が俺の印象深い釣りでしたのでそちらを主に御紹介したいと思います。
朝から天候もよく、やっと風邪も治りかけてきたので近場の大村湾へキス釣りへ出かけた。
いつもの、この辺で釣りをするならば立ち寄る釣り具で、毎回分量が違うんじゃ?と思わせるゴカイを500円分購入。
午前中、やるくらいならばコレくらいで丁度いい分量。
本当は砂虫を欲しいところなんでしょうがコレしか売ってないので質より量で。
仕掛けは投竿にナイロン巻きのSPリール、8号天秤に7号3本針仕掛。
朝、起きてゴソゴソしていたら着いたのは9時前ごろ。
だが、ポイントはしっかり空いてた。
回りには行楽施設もあり、家族連れにて子供が母親と一緒に海沿いで遊び、父親はせっせと薪を組んでBBQの準備。
子供の横で母親が歌う、鼻歌が妙に心地よく感じます。
一投目よりアタリ、手のひらサイズのキスゴからスタート。
後側から時より風が強く吹きます。
釣ってると数組み、交互に家族が寄ってきて「何が釣れるんですか?」と同じ事を何回も話した。
見てるさなかにアタルのですが釣れてくるのは大村湾名物。
Wでインゴチ(ノドグサリ)。
恰好もつかず「釣れた」と喜ぶ家族に苦笑い。
すぐに投げ直し、アタリが来て追い食いさせず見せる為に即、上げます。
釣った頃にはその家族は向うへ・・・・・
一人でブツブツ言ってると一人の少年がチャリンコですぐ近くまで寄ってきた。
ちゃんと挨拶が出来る元気がいい少年で見た目小学生高学年に見える。
釣果を聞くと「有難うございました」と礼儀正しく戻って行った。
しばらくアタリも遠のきたまにアタリがあるくらい。
釣れてもインゴチが続く。
ふと携帯を見ると着信履歴。
鳴ってないので電波が悪いのか掛け直ししても3回目でやっと繋がった。
某釣り具店のA氏から「後ろ後ろ」と向うで手を振る数人。
意外にキスがポチポチ釣れるポイントなので皆で楽しんでいました。
そうこうしてると、先ほどの少年が竿とバケツを持って歩いてやってきた。
ちゃんと、「ここで釣ってもいいですか?」と礼儀正しく断りを入れ無駄口叩かず、釣りの話を好きなのか子供ながらに話をするのだが、中身はしっかりした筋が通る話。
「僕の釣竿は・・」と購入した経緯や号数、天秤を赤いヤツと言ってましたがこの竿で重たいとしっかり感じ取ってる。
天秤をみると25号、竿はリーズナブルの3号竿。
バランスは悪いだろうと思っていたが一先ず見てみようと俺は考えました。
竿の根元から伸ばし始め、最初からガイドにラインを、通す作業をやってたがラインの先がクネッていたので中々、通らず苦戦してたのでハサミを差し出すと嬉しそうに「有難うございます!」とカットしてラインを通し、やっと第一段階が出来たようだ。
ここで俺は口を出そうとしたのだが止め、最後まで釣りながら横目で見てることに。
やり難そうにやっと伸ばし、天秤を固結びを何重に重ね、仕掛けを付けていたが、やっと餌まで付けて糸ふけを取り投げるアイドリングまで構えると巻きに抵抗があったのかガイド間のラインが竿に回転し巻いてるのに気がついたらしい。
また地面に置いてやり難そうにしてたので、ここで教えてあげた。
「最初は竿をたたんだまま、ラインを通し、この赤い天秤を結んで竿を先からガイドを合わせながら伸ばしてごらん」と。
「仕掛けは伸ばした後に付けたが絡まなくていいよ」と補足をつけ、少年の自分なりでやってたやり方からすると大分手際がよくなり理解して最後の準備まで出来た。
ここからは、常にやってたんだろう、投げる姿勢やラインを放すタイミング、コントロール、普通に出来る。
キスの釣り方のサビく事もちゃんと誘いのタイミングも分ってる。
2投でインゴチが少年に来た。
手際よく、針を外し持ってきたバケツに水を汲んで活かして置く。
「上手やね、何年生?」と聞くと俺の長男と同学年の4年生だった。
俺の子供は最近、釣りに着いて来なくなりゲームに夢中。
少しは出来るがここまでは出来ない。
俺の少年時代、関西へ引っ越して行った林君という同級生とよく一緒に投げ釣りに伊万里湾へチャリンコで行ったものだった。
考えてみると俺もこのくらいは出来ていたかな?と思ったのだが、この少年のように礼儀正しくは無かっただろう。
少年が投げる方向、根が荒いのか根掛りが多い。
たまに外れずどうかすると対岸方向まで戻っていき外していた。
2セット仕掛けを用意してたのだろう、餌は残って鉛が無い。
俺が中通し8号鉛があったので、仕舞おうとする少年にサルカンと一緒に差し出した。
「礼を言うのですがコレは使った事が無い」
中通しの理屈を話し、ダイレクトに当る事をラインを引っ張って教えると飲み込みが早い。
結ぶ仕草はやはり固結び、本をみながら練習しなさいと一回編んでやると目をキラキラさせて見ていた。
ふと目をやると沖に毛数が少ないと思われる人魚か?
ゆっくりと沖へ泳いで行ってるのですが丁度、投げる半径内。
あたりでもしたら大事になるのでチョイ投げで入れる。
しばらくインゴチばっかりだったが、その辺にキスが居た。
見えなくなるほど泳いで行ったハゲ毛数が少ない親父さんのおかげなのか。
少年はまた根掛り、鉛をあげたものだからすまなそうにしてた。
ついに切れてしまったので、もう一個あったので差し出した。
嬉しそうにまた仕掛を作り直してたが、俺のハサミは自分の持ち物のように使っていたのだが、その辺は最初に断りを入れてたのでヨシとする。
俺も最後の餌となり、ラストを入れる。
待望の最後に1発来た。
大物までは行かないが24cmの良型。
先に少年は道具を仕舞い込んでいた。
少年はこの一匹を見て導火線に火が点いたのか、釣り人の燃える何かがあったのだろう。
驚きから、ガラスが割れるような衝撃に自分も釣りたいと仕掛がもうない事に腹だっていたのだ。
無情にも沖からは先ほどの人魚が戻って来る。
俺はもう帰る事を少年に告げ、礼をいう少年は先に戻って行った。
意外に風が出た午前中、暇もする事無く少年と話せた数時間、良いもであった。
3時間の釣行だったがインゴチとキスゴはタイ記録、計28匹。
そう釣れなかったが、家族で食べるのには、このくらいで丁度いいものである。
帰りに、電話をくれた某釣具屋の方と挨拶をし帰路に戻ると、途中で父親を連れまた竿を持ち出しポイントまで戻る途中だったみたい。
親から息子がお世話になったそうでと礼を言われたが、親の教えがいいのであろう。
人とのふれあいやマナーが子供の頃から出来てると、今である釣り人のマナーやトラブルは少ないものであろう。
あの少年は、大人になるにつれ、釣りから遠のかないで欲しい。
俺からみたら立派な釣り人だった。
</object>
YouTube: 宇多田ヒカル 井上陽水の少年時代をカバー Live Video
10月29日 南3m 波1m 長潮 月齢24.1
先週の土曜、久しぶりに実家に帰った。
俺の地元では秋祭りが開催、数年問題になっていた喧嘩合戦が今年から再開。
実際、俺も出てたので太鼓の音を聞けば血が騒ぐ。
しかし祭りを見に来た訳でもなく大した用事でもなく釣った烏賊を届けに来ただけだった。
太鼓の音は祭囃子の音とは違い、腹の底から何かが沸き上がるような合図に聞こえる。
最終日の合戦では御輿同士、喧嘩合戦し川へ落とし早く引き上げた方が今年の豊作か大漁かと占うものである。
俺はまだ社会に出る前くらいの学生の時、ここでよく釣りをしていたものだった。
狙う魚は基本は投げ釣りで拘ったものは特にはなかった。
時間が遅かったり天気が悪ければよくここへ来たものだ。
ここでは潟の魚が基本。
今のような洒落た釣りはなかったので釣りをやるダチといえば皆、投げ釣りばかり。
投げてカレイやメイタ、フッコにヒイラギと今では釣れるか分からないが少なくなった魚たちである。
ただ座って一人、底が見えるハゼ釣りが非常に面白かったのだ。
何故、ハゼ釣りをしてたかは謎。
ただ干潮になった時に、今で言うサイトフィッシング。
ナツメ鉛に短いハリス、餌はゴカイ。
底は潟なのでハゼがた沢山見ながら針掛りをさせ釣る。
ただそれだけ、そして・・・
近くの二階の窓越しから同じ年の娘がいつも座って見ていた。
同学年で話した事はなく、特に思い出せないほどの知り合い程度。
最初、「なんしよっと?」と話かけて来たのは彼女の方だったのを覚えてる。
それ以来、キッカケ?でその場所で話すよになり、窓越しから見てたのが俺の居座る場所まで来るようにいつの間にかなっていた。
丁度、今の時期くらいだったろうか寒さが段々と増す頃、俺の横に彼女がいた暖かさが心地よかったのだ。
秋の祭りの夜店を二人で歩いた。
毎年、この場所にはこの店がと気にいってる店が彼女にはあったのだ。
この状態が少しの間、続いたのだがこれから社会に出る頃。
春には県外へ内定してる就職先へ彼女は既に決まっていたらしい。
年明けた頃、「行きたくないなぁ」と彼女が言った言葉に俺にとっては返事がすぐに出ない。
何も言わない俺が腹だたしかったのだろうか。
それ以来、話す事もなく俺もその場所へは足が遠のき、何れは別々の社会へ出てしまった。
もう何年も過ぎてずっと忘れてたのだったが それが昨年、俺は子供を連れて秋祭りの出店へ前に来た場所に寄ったら俺の懐かしい名で呼ぶ声でバッタリと合った。
互いに年輪重ねた顔つきになってるのだが、互いに変らないなぁと懐かしく、しばらく立ち止まって話した。
彼女は家族の呼ぶ声で去っていったが最後の一言が「あんたまだ釣りしよると?」
「あたり前やろ!」と言ったら嬉しそうに去って行ったのが印象的だった。
太古の音が懐かしい。
また俺は何も無く、今年も秋祭りの夜店を歩いた。