福音歳時記 1月26日 吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会
実存の深みより説く哲学は永遠(とわ)の詩人の命溢るる
1月26日に、四谷のサレジオ会管区長館で、吉満義彦(1904- 1945)と垣花秀武(1920 - 2017)両先生を偲ぶ会があり、サレジオ会の阿部仲麻呂神父の司式で追悼ミサが行われた後に茶話会があり、両先生のゆかりの方々とお話しをすることが出来た。
以前上智大学の宗教哲学フォーラムで、道元と吉満義彦を取り上げたことがあった。そのとき私は、二人のそれぞれに独特な文体のもつ奇妙な類似性に驚いた記憶がある。
永平清規にみられるような修道の実践面に於いては、道元の指示は驚くほど明晰である。しかし、正法眼蔵のような主著の思想の根幹部分は、仏道修行者にとってもっとも大切な「語り得ぬこと」を今此処に顕現させるための工夫辨道が様々な言語使用を駆使して為されている。それは、現代風に言えば、記述言語ではなく、様々な「言語ゲームの使用」によって、言説出来ない実在に覚醒させることを目指している。
吉満義彦も、キリスト教にとってもっとも大切な「信仰の神秘」を体験することを第一義としており、それに気づかせるために新トミズムから学んだ明晰な哲学的言説を使用している。それは神秘体験の後に神学大全の筆を折ったトマスから、神学大全のテキストを読み直すような試みである。
二人の思想には、勿論、時代や宗教的文化的背景の違いがあるのは当然であるが、ともに個的実存の深みから紡ぎ出される個性的な文体というところが類似しているのである。
写真は「偲ぶ会」に招待して下さった石上麟太郎氏の案内状から転載しました。
追記(1月29日)
詩人哲学者、吉満義彦とその時代」を読む
柩撃ち生死を問ひし預言者の聲あらためて聴く敗戦日本
「吉満義彦・垣花秀武両先生を偲ぶ会」の席で垣花理恵子さんから、『永遠の詩人哲学者 吉満義彦とその時代ー帰天五〇年に寄せて』(ドン・ボスコ社)のなかの垣花秀武の回想記「詩人哲学者、吉満義彦とその時代」のコピーを頂いた。「偲ぶ会」終了後、この回想記を読み、吉満義彦という稀有の「詩人哲学者」と彼の生き抜いた時代に思いを馳せた。
この告別式の受付を務めていた垣花秀武は、晩年の三谷隆正の弟子の一人であり、その平和主義、倫理性に響鳴していたという。しかし、彼は、三谷の無教会主義キリスト教には飽き足らず、吉満義彦のもとでカトリックの研究を本格的に始めたばかりの頃であった。そして、三谷隆正の告別式開始直前に、吉満義彦本人が「極めて緊張した面持ちで足早に現れ、丁寧に一礼した後、私(垣花)を見出し「君も此処に来ているの」とうれしげに微笑を投げかけ、ふりかえりざま「あなたの無教会主義からカトリックへの道はどうなったの」と言って、そのまま会場の中に消え去った」という。
「詩人哲学者、吉満義彦とその時代」の冒頭、1944年2月20日、女子学院講堂で行われた三谷隆正の告別式についての垣花秀武氏の回想はとくに興味深いものであった。日本の敗戦のほぼ半年前、この告別式の司会を務めた矢内原忠雄の式辞、南原繁の『三谷隆正君を弔す」という別辞が、ほぼ全文収録されている。
矢内原忠雄は、三谷隆正を「静かなる真理を学ぶ者としての僧侶の役目に加うるに、初代教会の熱烈なる信仰の証明者としての使徒の役目を兼ね備えた人」として紹介したあとで、
「我が三谷君は国を真の安全と興隆に導くべき義人でありました。君の生涯はうちに熱烈なるものを湛えた静けさであります。静かのなかに力の籠もったもの、熱さの籠もった静かさでありました。・・日本の義人を日本に返せ! 生命の所有者に生命を返せ! 私はそう言って喚きたいのであります」
と、文字通り怒号し、三谷隆正の柩を揺さぶって号泣したという。いかにも矢内原の人柄を彷彿とさせる記述である。
南原繁もまた、抑制した口調ではあったが、
「国家は実に君の如き至誠にして真理に忠実なる隠れた預言者的哲人によって真に栄え、その存立を堅固にし得るであろう。・・世界史的転換の偉大なる決算のこの歳にあたり、君はその愛する祖国の将来と人類の運命とを思うて、これが終局をその眼で親しく目撃したかったであろうし、又それを叶へしめなかったことは何としても吾等の恨事である。しかし、新しき日本と世界の曙光は既に見えつつある。君が生涯を賭けて闘った正義と道徳の勝利は確実であろうから。君の播いた真理の種子は将来の日本に必ずや成長し・・・」
と軍事国家日本の敗北崩壊を予想し、三谷隆正が生涯を賭けて闘った正義と道徳の上に立って新しい日本と世界の曙光が見えると聴衆に訴えたのであった。
私は、南原繁が、東京大空襲の時に詠んだ短歌
「けふよりは詩編百五十 日に一編読みつつゆけば平和来なむか 」に触発されて、「詩編に聴くー聖書と典礼の研究」という連続講義を聖グレゴリオの家で今年の復活祭の後から一年かけて行う予定である。その南原繁が三谷隆正に献げた別辞はまことに心にしみるものがあった。
また、「初代教会の熱烈なる信仰の証明者としての使徒」を三谷隆正のうちに見出す矢内原の言葉に大いに共感すると同時に、「静かなる真理を学ぶ永遠の詩人哲学者」としての吉満義彦への関心を新たにしたのである。