ラマヌジャンというインドの天才数学者の生涯を描いたイギリス映画「奇蹟の数式」を見た。ときは1914年から始まった。整数が美しい絵画のごとく脳の中に公理として思いつくラマヌジャンは自分の数学研究を公表したいと、ケンブリッジ大学のトリニティカレッジに招聘されることになる。彼の才能を見抜いた近所在住していたイギリス人の紹介でケンブリッジ大学の教授手紙をだす。彼は愛する妻を残してイギリスに旅立つ。常にどうであるが、インド人とバカにする教授たち。理解する少数派の教授たち。
ヒンズーの神を信じる彼は菜食主義者である。栄養失調状態である。彼の母親は妻に宛てた手紙を隠し、5年も手紙が来ない彼はもう自分のことを思っていないと家を出る。出てから別れの手紙を自分でだす。
届いた時は遅かった。ラマヌジャンは結核になっている。歴史にのこる「分割数」の証明に成功、教授でもあり友でもsった男の尽力で、かれは王室研究員となり、トリニティカレッジのフェローとなるが、故郷に帰り妻の下で一年看護され、しんでしまう。わずか32歳であった。
フェルメールという画家を描いた映画、今度のように天才数学者を描いた映画。イギリス映画はいつも見応えがある。
ラマヌジャンもいわば戦争の被害者でもある。第一次世界大戦は多くの人が死んだ。戦争が国民国家的となったのである。ヨーロッパがメチャクチャとなった。ラマヌジャンはそんな状態のイギリスで5年を過ごし、結核となった。
彼の研究は今、ブラックホールの謎を解き明かすのに使われているらしい。無神論者のイギリス人教授と神が公理を与えてくれる、というラマヌジャン。その会話にも惹かれた。