25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

学歴女あるいは男

2017年06月29日 | 社会・経済・政治

 豊田某のヒステリックな物いいにテレビをみているひとは驚いているのだろうか。楽しんでいるように見える。あのくらいの口のききかたはよく日常で見る光景のようにみえる。先生。コーチ。口のたつ男女ヤクザでもしたっぱのもの----。

 家族内でもしょっちゅう起こっているような言動のように思える。この豊田某問題の面白さは、大変素晴らしいと、だれも言う学歴なんてものは全く重要なことではない、その前に、培うべきことがあるだろう、ということを人々に顕にしたことだ。

 よい大学などと言っても暗記の試験に合格してきただけのことで、人物そのものの本質を試験するものでもない。東大を出たからと、えらい、と思ってしまう中層インテリが多分多くいるのだろう。

 この日本の不思議はいつまでも東大を一位と思い、東大生は頭がよいと思い、それにすり寄ってしまう愚かさである。

 記憶力などはいくらあってもダメで、思いやるとか、我が子を愛するとか、聞く力とか、自分はいつだって怪しいもんだと思う気持ちのほうが大事なのではないか、と思う。

 卜の好きな言葉で言えば、胆力とか、イサギヨサとか、包容力とか、間が抜けているとかの方がよいのだ。

 インテリのあるべき姿は、普通に生きる庶民の視線をとりこめるかどうかである。大衆とともにいかに生きることができるかである。そうなれば、インテリ力はより社会をよくするだろうと思われる。