25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

休み方改革

2017年06月08日 | 社会・経済・政治

 昨日のうちに梅雨入りと宣言しておかないとしばらく天気がよいので、宣言がずれてぢまうと、気象予報士が言っていた。紫陽花も咲いてきたことだし、梅雨時期の過ごし方があるというもので、じかもこの日本は季節感も重要なのだろう。

 佐川急便の正社員、ファーストリテイリング(ユニクロ)は週休3日制を導入するという。週休3日制はいいのだが、子供をもつ親は子供の学校のため遠出はできない。

 いっそ日本にも、一ケ月の休暇がとれるようにしたらどうなのだろう。フランスはやっているのだから、制度とし無理はないということだろう。アメリカ人はよく働くし、日本人もよく働くので、このテーマは上がってこない。

 現在の社会生活はシャリング経済の予兆がみえる。家のシェアリングに始まり、車のシェアリングがでてきたと思ったら自転車までシャアリングする。デンマークだったかスウェーデンだったか、労働のシャアリングが行われている。

 すでに、一部の会社や社員はマルクスが予想したような社会になりつつある。改札での切符切りや電話番号案内の仕事がロボット化したように、どの産業においてもロボット化、経理や情報のやり取りがロボット化されるのだろう。

 サービス産業でもこのロボット化は急速に進むことだろう。製造業ではロボットを作るロボットが現れ、農村の田んぼでは耕作から、苗の植え付け、刈り取りまで全部することだろう。

 耕作地の狭い日本は広い耕作地をもつ国にロボットを提供して、その代わりに作物をもらう。このような贈与経済も始まってくることだろう。

 財産が一兆円ある人とその日暮らしていけるお金がほどほどにあって、将来への蓄えも適度にある、という人との幸福の差はいかほどのものか。人間が緊張もし弛緩もして神経をうまく使えて、やることがあって、楽しくやれる上限のお金もこの頃はわかってきているように思える。

 一ケ月休みをとったって、どうということはないように思える。現に、週休2日で、祭日が休み、盆と正月休みに有給休暇を足してぢまえば一ケ月の休みはとれるはずだ。

 佐伯啓思がこのごろよく言う「縮小社会」に休み方改革も入れればいいと思う。

 


息長く

2017年06月06日 | 日記

 将棋界で14歳の少年が、と騒いでいたら、今度は卓球界で13歳の少年が俄然注目されている。羽生より強いものがでてくるのだろうか、と思っていると、やっぱり出てくるものなのだ。オリンピックは十代と二十代の祭典になってきている。

 激しいスポーツは夢のような時間があっという間に過ぎていき、残った人生は長い。

 剣道は八段範士が最高位で、八段教士合格後十年の歳月がいると聞く。友人の岡田さんは七段で八段に挑戦中である。今が一番強いのではないかと思うときがあると洩らしたことがある。彼で60歳である。60歳の彼と13歳の剣道少年とでは雲泥の差なのであろう。とことが卓球や将棋は違うのである。

 陸上においても水泳においても、スケートにおいてもも世界新記録がでる。どこで上限がくるのか、どこかでくるはずだと思うがいまのところその兆しはない。

 記録は人間の寿命が伸びるように、更新されていく。

 自分のことを考えてみれば、身体の衰えはひどいものであるが、脳の力は今一番柔軟ではないかと思う。脳の力というのは記憶力のことではない。動員力、経験力、洞察力や想像力のことをぼくは言う。

 若い頃は恥ずかしいくらいバカだった。これはおそらく同じ頃の東大生でも同じだと思う。人間力が試されるのは失敗したときだ。このときどうするか。といって失敗を恐れていると、革新、改革はできない。事業も恐ろしくてできないことになる。

 剣道は長い人生に付き合ってくれる驚くほど息の長い武道である。八段までに、失敗も多々あることだろう。

 ぼくも脳の息が長くやりたい。最低限の運動をしながらと付記しなければならないが。


池上彰をたたく

2017年06月03日 | 社会・経済・政治

 池上彰が得意そうに、核保有国を紹介していたが、なんのことはない、第二次世界大戦で勝利した連合国、つまり常任理事国だけがもってよく、その他は作らせない、ということである。これっておかしくないの?

と誰もが疑問をもつが彼は当たり障りのなことを言ってお茶を濁していた。ここ、突っ込めよ、といいたくなる。こんな解説者はどうにもならない。

 また、北朝鮮の大衆が反抗できない社会であることを、いかにも劣った国家のような口ぶりだが、日本も戦前はそうだった。その戦前にも戻さないようにと言えばよいのに、それには触れない。

 北朝鮮問題など多くの国は無関心である。アメリカよて、大衆レベルでいえば、無関心だろう。

 日本は拉致被害者がいるから、アメリカとはスタンスがちがう。それをアメリカ様頼みではどうにもならないことは大衆は知っている。

 テレビ局は煽りに煽り池上もそれを担っているが、煽ってどうなるというのか。放っておくか、日本独自で平和外交をするかである。

 前川前事務次官のニュースも、TBSがスクープでとりあげたが、NHKはたじろぎ、報道ステーションをひかえたらしい。情けない。読売新聞はさらに輪をかいて、おぞましい。問題のすり替えを公的な全国紙を使って、印象操作(これ安倍首相の得意言葉だ)をやる。

 マスコミがたよりにならないとなれば、デモ、選挙での交代しかない。が共謀罪も成立して、権力に逆らえなくなってきた。

 北朝鮮ひどい国家だと多くのテレビ局は言うが、戦前、戦時中の庶民はそれなりに生き抜いてきた。逆らうこともなく310万人死んで漸く戦争は終わった。北朝鮮は戦争も起こしていないから、まだ当時の日本よりは判断力と忍耐力が勝っているようではないか。

 池上はアホなことを言う。「国際包囲網を作っていくしかありませんよね」

 オレはこんな知識人は嫌いだね。善人ぶるなよ、わかった顔するなよ。こういうのを本当のアホって言うんだね。マスコミ、ジャーナリストは権力に対峙するもんだよ。テレビ干されたっていいじゃないか。

 


120歳まで

2017年06月03日 | 社会・経済・政治

 あっと言う間に、時が過ぎていく。最初の孫がもう5歳半である。早生まれだから来年は小学生になる。それでテレビドラマで一丁前の口をきく六歳の子役が出てきて、演技をするのを見ると驚く。もうだいたいの指示言語はわかるのである。

 経済成長主義や株価主義にとらわれない、持続可能な社会ができ、永世中立国となる日はいつくるものか、できればまだ生きて、孫たちの時代もみてみたいものだと思う。

GPSの精度が上がるらしい。AIで運行する耕運機をみたが、すごいものだ。センサーとGPSのおかげである。

 さらにビッグデータというのがある。コンピュータやスマホで入力されたデータが逐次蓄積され、それをAIが取り込む。将棋の戦いも、囲碁も、個人のデータも。

 ドローンが当たり前のように飛び宅配をする。すると、ドローンで人まで運びそうである。

 あながちレーダーやセンサーとGPSとコンピュータで飛来してくるミサイルを爆破、または軌道変更くらいできそうな気がするが、おそらくぼくが思う位だから、可能性はあるのだろう。

 ゲノム編集、iPS細胞、新薬の開発で病気の多くも克服されていくのだろう。孫たちが2050年になると、日本の人口は今と比べて激減している。人口密度も低くなっていることだろう。そんな社会をみてみたいものだ。人間もどう変わっているのだろう。

 電話線を引き込む工事をすっぽ抜いてスマホにはいいた中国やインドネシアのように、新しい技術は格段と過去も積み重ねてきた技術を間引いて一足飛びに先進国レベルに行ってしまう。

 昔は「スタートレック」でピッと何かを射てば、糖尿病がなおってしまう場面を見た。未来の人間からみれば、糖尿病など小さな注射一本のものであった。

 さて本気でとりあえずは120歳まで頑張ってみるか。すると、どうなるんだ? 年金。

 


ルーティーン

2017年06月02日 | 日記

 朝、九時、花に水をやってから十時に着くよう、事務所まで歩く。7分ほどのことだ。実家が事務所であるので、まず母親の冷蔵庫を覗き、今日何を買わなければならないかチェックする。ついで、薬を出し、夜と明日の昼のぶんうぃ仕分けした箱に入れる。そうしてからパソコンにをONにする。パソコンとスマホはクラウドで連動しているの、もっぱらパソコンはワードを使い、検索をするぐらいだ。 昨日から「相撲取りになるど」の最終校正をしている。二段組であることから、2時間で、37ページ。今日で、y5ページまで。終わると、昼御飯を食べに家に戻る。だいたいがパスタかラーメンか炒飯だ。ラーメンもいまのインスタントは旨いので、具を用意しおけば店に負けないラーメンが出来上がる。夏になると、ソバ、レーメン、冷や麦が加わる。

 「ひよっこ」を見て、涙潤ませ、つづいて「やすらぎの郷」をみる。こちらはもと芸能界貢献者の老人たちの能天気な話が続いている。時々作者の現代美術館テレビ評が入る。なるほどと思うときもある。

  それから車でコメリに向かい花をみてまわる。あれこれ考え、買うのを控え、もっとじっくり考えようとするが、衝動的に買ってしまうものもある。

 そしてマックでコーヒーを飲む。馴染みになったので、スタッフが親切にしてくれる。母が先生に教わりました、という娘がマックのスタッフにいて驚く。どこにミムラよりも可愛い女性がいて、モデルか女優にでもなれば、と思わず言いたくなる。

 もしもこの女性が渋谷あたりを歩いていたらスカウトされるのではないか。でもここは尾鷲だからそんな奇跡のようなことは起こらない。

 ここで本を読む。昼は「ヤタガラスの正体」。これが終わると買い物にいく。コメリに戻る場合もある。買い物はイオンでする。他店は酒類が高い。バランタインで200円も違う。尾鷲のスーパーから地元向井産の糠漬けが消えた。既成のイオンや主婦の店のものは塩漬けである。おれになんだかまずい。糠漬けがないので、いよいよ糠床を作ろうかと思う。

 家に帰る。メダカを観察する。卵を確認する。孵化したらいれる鉢もすで用意した。エサをやる。花の蕾や病気がないか、虫がついていないかじっと見る。

 「ゴゴスマ」をビデオにとってあるので、小池とか、自民党とか、都民ファーストの会、前川だ、木曽だ、藤川だと名前が飛び交い、これらをネタに司会者はあそんでいるようだが、芸人に、これぞ、という意見がないのは、なんとも座っているだけのお飾りである。多分自分も自覚しているだろう。これもなさけない。友近や華丸など、ここに出てこなくていいと思う。彼ら、彼女らには意見がない。見識もないのである。ただ芸はうまい。ぼくは友近のファンである。

 夜は結構真剣にテレビを見る。眠いのを我慢してまでして見る。Rverse.Crisis.犯罪症候群、プライムニュース、あどなど。それから本郷を読む。今は「騎士団長殺し」。昨日は眠れず、4時頃までゴロゴロしていた。


同人誌がきた

2017年06月01日 | 日記

 及び腰のマスコミにあきれ、提灯持ちジャーナリストテレビコメンテーターの一人が画面から姿を消し、法廷に行きそうなので、ちょっとは胸もすっきりしたが、大の大人が権力にもの申すことができないのは情けない。官僚や同じ党の若手議員たちも何も言わない。獣医学部が国家の戦略特区などというのはちゃんちゃらおかしいではんしか。シリコンバレーのようなものを作るというのならともかく、国や世界に進展していく産業を育てるものではなく、第三の矢の国家戦略特区のひとつが獣医学部である。

 村上春樹の「騎士団長殺し」を漸く読み始めた。現在のところ、と言っても、プロローグと第一章のみだが、村上ワールドが炸裂している。楽しみに一晩2章くらいづつ読んでいくことにしよう。

 同人誌が出来上がってきた。ぼくは「池袋母子餓死事件」を題材にした「残された日記」というのを書いた。本当は1999年頃の事件である。それを2017年に置き換えてみた。すると、世の移り変わりがくっきりと見えた。当時のこの事件で、区の福祉係のものも批判された傾向があったが、現在では、より福祉行政もより手厚くなり、このような確信犯的な事件を起こすことの方が難しいように思える。

  書きながらちょっと無理があるかな、と思いながら、それもよしとするかと考え、障害のある子供を抱え、ともに歳をとっていく貧困の母子はどこにもいそうな現代であるからである。この母の意志して餓死したのは当時りっぱなことだと思ったのだった。そういう死にかたも今はできにくくなっている。それはたぶんいいことなのだろう。

 ぼくの知り合いの女子に弟が重度の障害をもち、やがて両親が先に逝ってしまったら、彼女が面倒をみていかなければんらないと強く思っている。だから、大阪以外の土地の人とは結婚しない、と思っている。どうなるのだろう。