南の島の土着民風自由人

自分の生活、計画し実行してきましたが、病気や人間関係など思いがけない障害に遭遇しました。

(^_-)-☆再びジャカルタ

2016-01-16 22:31:31 | 行動

 2556 予定通り、PCを受け取りにジャカルタ往復をした。昨日の事件の場所のかなり手前なので、行きは心配していなかったし、順調だった。帰りは、一昨日と同じように、スマンギまで行ってUターン?しなければならないので、渋滞を心配した。

 

しかし、心配など全く必要なかった。テロの次の日だから、ジャカルタの中心地へは、皆さん、近づかないようにしたのかもしれない。ところが、私は、逆で、これだけ、空いているなら、せっかく、スマンギまで来たのだから、サリナの前を通ってみようと思った。

 

一昨日と同じ場所の写真、橋の下をくぐって、左に入って、チカランへ戻ったが、今日は、スディルマン通りを直進した。

そして、モナスの直ぐ傍まで行ってUタ-ンをして、戻り、スターバックス、サリナの前を撮った。多くの車は、徐行して、現場を眺めながら、通り過ぎているので、写真を取りやすかった。見物人と報道人でごった返していたが、混乱の状態ではなかった。そこかしこに、自動小銃を下げている機動隊の姿があった。

 

自爆現場のスターバックスの前とサリナデパートの前。

 

ラップトップの修理は完ぺきに行われていた。データすべてが、そのまま残っていた。さすが、ヌサンタラ セコムの日本人の方。日本語入力もアウトルックも、完全に治っていた。ちょっと、難しかったが、何とか、日本人二人がかりでなおしたという。もう一台、予備で使っていたPCのアウトルックもアウトだったが、それは、今日その場で、設定をいじってもらって、直すことができた。私は、その設定の場所に気が付かなかった。とにかく、めでたし、なにか、つっかい棒が取れた感じ、久しぶりに快感だった。費用は、いらないという。個人同士、友人同士、お金は取れないという。と、予想していて、私は、日本からの土産でもってきていた、ふりかけや酒のつまみになるようなものを持っていった。そして、焼酎酒2Lパックも渡して、お礼とした。

 

三日ほど、開くことができなかった、受信ボックスには、迷惑メールが30ほど入っていた。全く、暇な人間が多いこと。それはそれとして、とにかく、今までのアドレス kota02@y6.dion.ne.jpが生き返りました。

 

 

早速、そのメールに、次のような文章が送られてきた。

“昨日のサリナデパート近辺での爆弾銃撃事件に関しまして、本日ブカシ県警察署長より

今後の対応についてブリーフィングがございました。

 

本ミーティングには、ブカシ県知事事務所よりの代表、ブカシ管区国軍、MM2100、ジャバベカ

工業団地、GIIC工業団地、EJIP工業団地及びブカシ県警のスタッフが出席しております。

 

概要は以下の通りとなっております。

 

  1. 次に起こり得る爆弾事件を想定し警戒を続けなければならないが、今のところテロリストの

    ターゲットは、米国、ヨーロッパなどからの外国人と欧米企業のブランドのある場所と

    なっている。

  2. また、昨夜ジャカルタ警察が、デポックにおいてテロリストとおぼしきグループを摘発した。

    その一方で、爆弾事件後、愉快犯的にある場所に爆弾がある等の連絡を警察にしパニックを

    起こさそうとの試みも行われているが、警察は一件づつ全てチェックしている。

  3. 現在警察は国軍と連携し、次の爆弾事件への警戒態勢を取り、現在警戒レベルを

    最高のレベル1の状態にしている。

  4. 工業団地においても、巡回パトロールを強化し、特に工業団地内への人の出入に十分

    注意をすること。

  5. 入居企業においては、入居企業に出入りする人及び物についてコントロールを厳しくすること。

  6. もし何か不審なことが有る場合は、直接警察まで連絡すること。

  7. 警察はブカシ県地方政府と協力し、人が混雑し集まるような活動は控えるようにし、

    テロリストの標的にならないようにしていく。

 

以上ですが、工業団地のセキュリティー体制は警察と協力し強化して参りますが、皆様に

おかれましても、上記の人と物の出入、また個人としては人が集まるような場所や、欧米

ブランドのショップ等には近づかない等の注意をお願い致します。“

だそうです。

退院 全快 快感

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(^_-)-☆ジャカルタにも

2016-01-15 22:52:33 | 情報

 2555 イスラムの国だから、いい加減も多いが、敬虔な信者もいる。ごく少数だが、ギラもいる。あれだけ、世界中でISが、滅茶苦茶をしているのだから、インドネシアでも、自爆テロぐらいあっても不思議ではないし、やっぱり来たかという感じだ。一般市民は、いい迷惑だ。

サリナデパートといえば、ジャカルタの南北幹線道路、タムリン道路にある、インドネシアで初めてできてデパートだと言われている。その近くで、自爆?テロ?があった。少なくとも9人死亡。ジャカルタタイム11;30頃でした。私が知ったのは、12時ころでした。現在、銃撃戦になっているという。日本大使館から向かい側、北方向、200m?くらいの場所。

スディルマン通りのスマンギの写真の位置から、そのまま、北上1kmくらいの場所。

今日出発の便に乗る人は、相当、空港まで行くのに苦労するとおみますし、到着した人もホテルなど、目的地に到着は大変だと思う。

夕方6時過ぎには、ジャラン タムリンは、ノルマルに戻ったようです。結局、テロリスト5人、一般市民2人犠牲者でした。怪我人は、警察官5人、一般市民14人でした。

 

客先リストを見せてほしいと頼んだのが、昨年の11月初めだった。その時は、あるでしょうから、すぐにと頼んだ。ありますという返事だった。それから、数回以上、まだか、まだかと催促をした。年が明けて、再赴任してからも、毎朝、催促した。今朝も催促した。すぐに出しなさいと。そして、昼過ぎにやっと出してきた。

なんと、会社名の次に肝心な、売っている製品名が書かれていない。それと、担当者のHP番号もない。恐れ入りました。これが、客先リストだという。“製品名が無いよ”と、指摘したら、“太田さん、知っていると思った“という、言い訳でした。私の頭では、付いてゆけない世界でした。

 

私が頼まれて、新しく製品化した製品と客先については、当然、名刺も交換しているので、知っているが、それ以外の、私が登場する必要がなかった製品については、客先も製品も担当者も知らない、それを、知りたいと思い、また、会社として当然、あるべきリストだと思っているので、有るか無いかを確認する意味でも、リストを頼んだのだったがこの始末、結局、今日、まだ、製品名が書かれているリストは、受け取っていない。いつ出てくるでしょうか、また、何度も、催促しなければならないのでしょうか。

 

仕事を終えて、家でニュースを見ようと急いで帰ったのが18;00ころ、がっくり、停電でテレビどころではない。回復したのが20:00過ぎ、早速、ニュース番組を見た。ブレーキングニュースとしてやっていた。大統領やジャカルタ知事が現場付近を歩いている風景が写っていた。

 

各空港やショッピングモールなど、警備が強化されている。各地で車のラディア(一斉取り締まり、チェック)が行なわれている。

 

ジャカルタへいって、全快したラップトップを受け取ってきた。

Kota02@y6.dion.ne.jp  今までのアドレスが使えるようになりました。

 テロ サリナ 取締まり

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(^_-)-☆ジャカルタへ

2016-01-14 22:40:05 | 行動

 2554 PCポリカーボネートではない、パーソナル コンピューターです、ラップトップが私の言うことを聞かなくなってしまった。日本にいた時に、日本語入力ができなくなってしまっていたが、このたびは、メールの受送信もできなくなってしまった。どうにも、ならなくなって、ジャカルタのセコム ヌサンタラに入院させた。メールアドレスkota02@y6~~での仕事ができなくなってしまったので、緊急避難先として、kota02y6@yahoo.co.jp、このメールアドレスをしばらくの間、使うことにした。

 

平日のジャカルタへ行ったのは何年ぶりでしょうか。ジャカルタに日曜日に行ったのも、いつだったか、覚えていないくらい、ジャカルタにはいかない。空港への行き帰りに通過するだけだった。仕方がなく、急遽、出かけた。それほどの渋滞にはまらなくてよかった。

 

この状況を説明できる日本人は、インドネシアの交通事情というか、運転手は、時に、とんでもない行動をすることをよく知っている方です。このロングボックスの大型トラックは、高速道路に入ろうとしてゲートに向かったが直前で、なぜか、入るのを止めて、Uターンをしようとしたのです。ところが、Uターンしきれず、ゲートへの入りも出も塞いでしまったのです。そして、どうもそのトラック、エンジンが止まってしまったらしい。私は、ジャカルタからもどって、出てきた時に遭遇した。前のバスが路肩から、ぎりぎり、通過している。そのあと、私は悠々と通過したが、私の後ろのコンテナトラックは、通れないに決まっている。両方の渋滞が解消するのは、そのトラックを何とかしなければならない、相当、時間は掛かると予想される。

 

ムナラジャムソステックから出たところで、大雨になる、スマンギまで行き、戻りの方向に変える。ガトゥットゥスブロトのスマンギの陸橋を過ぎて左に入って、ぐるっと回って、スディルマンに降り、ここで、プラザスマンギが橋の向こうに見える。ガトゥットゥスブロトの下を通りまた左に入って、ぐるっと回って、ガトゥットゥスブロトの東向きに上がる。そして、帰路に就く。

 

行きたくないが、直してもらったら、受け取りにまた、行かなければならない。

 

世界遺産のブロモ(東ジャワ スラバヤの南)の噴火が激しくなっているようです。バリからオプションで出かけるツアーが頻繁にありますね。しかし、今は、プロボリンゴの展望台へは行けないどころか、風向きによっては、周辺のマランやパスルアン(日系企業がたくさん入っている工業団地がある)や泥海のシドアルジョ辺りにも近付けない状態だとか

https://www.youtube.com/watch?v=ceY167q36vw

 

臨時ニュースですね。ジャカルタ行きが今日でなくてよかった。ジャカルタ中に非常線が張られて、大渋滞になっていると思う。

サリナ デパートといえば、ジャカルタの南北幹線道路、タムリン道路にある、インドネシアで初めてできてデパートだと言われている。その近くで、自爆?テロ?があった。少なくとも7人死亡。ジャカルタタイム11;30頃でした。私が知ったのは、12時ころでした。現在、銃撃戦になっているという。日本大使館から向かい側、北方向、200m?くらいの場所。

スディルマン通りのスマンギの写真の位置から、そのまま、北上1kmくらいの場所。

今日出発の便に乗る人は、相当、空港まで行くのに苦労するとおみますし、到着した人もホテルなど、目的地に到着は大変だと思う。

   夕方6時過ぎには、ジャラン タムリンは、ノルマルに戻ったようです。結局、テロリスト5人、一般市民2人犠牲者でした。怪我人は、警察官5人、一般市民14人でした。

修理 依頼 入院

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(^_-)-☆コンプレーン

2016-01-13 22:33:31 | 情報

 2553 いきなり、従業員から、若きダイレクターに、数々のコンプレーンがぶっつけられた。たまり、たまっていたものを吐き出したという雰囲気。昨日、“明日、従業員との全体ミーティングをしてほしい”という、要求があった。どうも、私が着任する時を待っていた様子だった。

私自身も彼には、かなり、ストレスを増やされていた。普通なら、何度も、何度も、しつこく頼む(要求)ことはないが、彼には、しつこく、要求しないと動かない、それが、意識して、知らん顔をしているのか、忘れてしまっているのか、行動をおこすのが、もともと遅いのか、とにかく、仕事をしない。だから、私も不満が溜まっているのだし、従業員が頼むことも、しないので、不満が溜まるのは当然だと思う。

 

案の定、今月からのサラリーが上がるかどうか。健康保険にいつ入るのか、従業員の不足はいつ解消されるのか。ユニフォームや安全靴は、オーバータイムの計算に使われる時間給の計算の方法は、ほとんどが、就業規則に関わること、創業時に準備しなければならないこと、してないのだから、突っつかれる。従業員は我慢していたのでしょう。いくら言っても、言い訳ばかり、今日も、言い訳に終始していた。いつまでやると、言われて初めて、言っていたが、私の予測では、当分、何もかもできないし、しないでしょう。

 

PCパイプの見積もりを計算している。光拡散剤入り原料価格は7US$/Kgとする、高い。(白の部分の原料価格は3US$/Kgなので、本当は、5.7US$/kgくらいになる)ルピアにすれば、×13,800だから、1kgが100.000Rp近い。製品価格をそれの倍にするなら、一本100gなので、20.000Rpになる。約180円になる。金型製作費用は20ジュタ、16万円くらいで収まります。試作費用込みで30ジュタ(26万円くらい)の見積もり出す予定だ。高いでしょうか、安いでしょうか。日本で押出成形屋さんが売っている価格と比較して、どうでしょうか。

 

カリマンタン上空を通過時の機外の様子。太陽の周りの輪は、インドネシアではよく見かける。

 

早速、バイクの渦の中の運転、これでも、ちょっと少なくなった方。20日ほど日本にいて、バイクを見たのは10台程度、ほとんど、見かけなかった。静岡のバイクの販売店はどこにあるのでしょうか。知らない。本国ではほとんど売っていないバイクを他国で売りまくっているのですから不思議ですね。

文句 当然 遅い

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(^_-)-☆仕事始

2016-01-12 22:32:26 | 仕事

め 2552 早速、新規製品の打ち合わせに行ってきた。二色成型のPCパイプ、LEDチューブランプのPCカバーだが、三分の二が、いわゆる光拡散剤入りの乳白半透明のPC、三分の一は、白のPC、その白い部分にアルミハウジングが入る。PCのパイプにしても、アルミニウムが少ないから、このほうが安くできるとか、しかし、単なるプロファイルではないので、金型費は倍ほどしますよと、言っておいた。そういいながら、金型のデザインを考えていた。以前、ちらっと書いたが、PCパイプの二色成型は、やったことがない。しかし、私にとっては、難しいことではない、安全を見て、サンプル提出まで二か月掛かると、話したが、実際には一か月でできそうだ。長さは、定番の1145mmで、13日には見積もりを出すと約束した。早ければ、3月末には注文したいという。白の部分は、長期在庫になっている普通のPCを使うことができる。

 

 この種の製品は台湾、日本、中国で普通に作られていて、今は、競合も激しくなり、それほど、おいしい仕事では無くなっているようですね。インドネシアでは、まだ、プロファイルも私以外できていません。今日の客先も、私から、高い値段が出たら、他社にも見積もり依頼をすると言っていたが、他社はありません。なぜ、確信が持てるかというと、LEDランプ用の押出原料を輸入しているのは私だけですから。どの商社に聞いても、他にはないという返事だ。

 

20日間の留守だったが、家に戻ると、緑の草が30cmほどに伸びている。また、裏の庭のマンガの木が見事に枯れ木になっていて、すべての葉っぱが落ちてしまい、見事の枝だけがさみしく残っている。その下は、緑の草が、やはり、伸び放題になっていた。

 

通訳をしているイバンさんに、翻訳を頼んでみた。昨年の10月から12月までのメールで話したことをインドネシア語に直してもらい、今後の行動のスタートにするだめだ。

 

カラワンまで行ったし、旅の疲れが残っていたのでしょう。夕方帰宅して、食事の準備や掃除などして、夕食を終えた20時ころ、座椅子で眠ってしまった。目が覚めたのが24時を回っていた。心地よかった。すぐにベッドに入って、また、眠ってしまった。

訪問 PCカバー 雰囲気

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(^_-)-☆Ada di Indonesia

2016-01-11 22:32:23 | インドネシア

 2551インドネシアにいる。先ほど、20時過ぎにタマンセントサの自宅についた。熱い、30℃。今月末には、ここにいない予定だ。セキュリティーのしっかりした場所に引っ越す。

 

6:45静岡発、こだまで品川まで、京急線で羽田交際戦ターミナル、8;15には到着、早すぎ。ガルーダの搭乗手続きは、9:15頃だったと思う。9;30には、イミグレ通過。11;10搭乗まで、時間つぶしのcuci mataチュチ マタとtidurチドゥールでした。成田に比べれば、余裕たっぷり。以前に比べれば、コンセントもHANEDA FREE WIFIも増えているので、便利さが増している。

 

免税店の価格が高い。免税なのに、高い。それに、買いたいもので日本製がほとんどない、必ず、どこ製か見るが、やはり、チャイナが多い、ベトナム、台湾もインドネシアもある。匠の耳かきや爪入りと書いてあっても、日本製ではないものもある。もっとも、日本のあちこちの100円ショップでインドネシアへの土産物を物色しても、ほとんどは、外国製、受け取る人は、メイドインジャパンを大喜びする。それ以外だと、どこどこ製でねとがっかりしたように言われる。安い着物も中国製。Tシャツは全部外国製、土産物ならない。日本製と書かれている爪切りを一つ買った。ガルーダの羽田便は、日本へ来るときには、ほぼ真南から、来るが、帰りの便は、いつも、日本列島の南海岸沿いに西へ行き、紀伊半島を過ぎて南に方向を変える。だから、帰りの便は、取れれば、右の窓際にする。今日も、一番後ろ48Kにした。翼が最小限になるのと、トイレが近い。

 

静岡の町の北側を通過する。富士山には、わざわざ、江の島あたりから、北西に行き、箱根のちょっと南、芦ノ湖が見えるが、ほとんど真下になる。そのまま、西に向かうと、富士の町から駿河湾の一番奥をとおる。富士川の扇状地が見える。私の生まれ故郷の上空を通過してくれる。今住んでいる場所は、左になってしまうので、見えない。

 

18:00ジャカルタ着、18:45空港からタクシーで発、20:15にタマンセントサの家に着いた。渋滞は全くなし、出発も到着も日曜に限る。

 

お決まりのタマン アングレックの電飾、

 

ところで、荷物チェックも何事もなく通過、28kgと重い、面取りバリ取り器を四個と選定はさみ5丁(一応刃物)と酒2L×3と米麹1kg×4、危ないかなと思っていたが、チョークのチェックがなかった。そして、多分、ベルトに置く前のチェックを最近はしていないのではないかと思った。私が20分ほど、出てくるバゲジを見た限りでは、一つもチェックがなかった。だから、出るところでは、今までは、機内に預けた大きなバゲジのチェックはせず、手荷物だけをX線チェックしていたが、今回は、列の前に10人ほどいたが、全員、大きなバゲジも通させていた。私の番になって、重い大きなバゲジを乗せようとしたら、それは、通さなくていいと言われた。リックサックだけ通して、何事もなし、ところが、そのわきで、かなり多くの人の荷物が開けられていた。日本人も何人かいた。なぜ、私だけ、チェックしなくていいと言われたのか分からない。

到着 順調 熱い

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(^_-)-☆また、支度

2016-01-10 22:33:10 | 習慣

 2550 日本最終日、インドネシアへ持ってゆく物の準備、買い物です。毎回、持ってゆくもの、黒はんぺんと納豆と生うどん。すべて、私にとっては安いものです。それと、冷蔵庫に保管するものです。黒はんぺんは、ご存じ、静岡でしか売られていないものです。どうしても、持ってゆかなければならない桃です。そして、10枚で80円以下と安い。納豆とうどんは、インドネシアで作られたもので1パック80円くらい、日本やコリアからの輸入なら120円以上、日本なら、3パック、65~80円で買える。それぞれ30パック買う。半分は、友人にあげてしまう。黒はんぺんは、特に好評だ。

 

以前は、ジャカルタの日本食材スーパーに一か月に一回で日曜日に出かけて行ったこともあるが、ここ、数年はそれをしていない、リッポチカランにもあるが、一回、様子を見に行っただけだ。その他、大型のスーパーに、日本、コリアからの輸入食品コーナーがあり、様々な、食品が売られているが、目が飛び出るほど、高い。私は、絶対に買わない。しかし、よく売れているようだ。日本の倍以上していても、売れているようだ。家賃が月15万円以上の家に住むのが普通だから、食べ物も日本の倍以上しても、普通だと思っているのでしょうね。

 

今日行ったスーパーで、何気なく、味噌を売っているコーナーを見ていたら、米麹を何種類か普通に売られているのを見た。平均100g150円位だった。特に糀屋に行かなくても簡単に買えるようになっていることが分かった。しかし、高い。糀屋で買ったほうが安いし、種類を選ぶ必要がない。なずれがない。

 

 我が家の庭の早春、菜の花が咲きはじめ,金柑は鈴なり、その木の向こうに見える建物が隣にある老人養護施設、24室あるが、常に一杯だそうで、ウェーティングも多数だそうだ。隣でも、希望しても、すぐには入れない。

 

 今回の日本は、約20日間だった。何かと、忙しかったが、すべてが、私が望んだことなので、充実した日々を送れたと思う。そして、インドネシアに滞在するだけなら、大いに望むところだが、今となっては、そう、望まないインドネシアでの仕事のために、戻らなければならないことになっている。そして、もう一つの目的があるが、これも、望むものではないが、実行しなければならない。

前日 買い物 納豆

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(^_-)-☆高速鉄道

2016-01-09 22:34:03 | インドネシア

 2549 いよいよ、秒読みになってきた。太田化工へ行って、また、インドネシアへいくよ、と、言ってきた。濁酒が余ってしまったので、置いてきた。評判が良い。

 

 天気が良くて富士山もよく見えた。笠雲を二層に被っていた。静岡大橋からと駿河大橋?(一番河口に近い橋)からでした。日本平が右ですね。

 

 日本に戻って、いろいろな人に会っているが、インドネシアと聞くと、新幹線の受注を中国に取れたね、と、いう。皆さん、国の失敗だと批判したいようだ。中国にやられた、という、感覚だ。わたしは、たちどころに、中国にとられて良かったと、言う。

 その決定の時にも書いたが、まず、不思議に思うことは、ジャカルタから、スラバヤに至る高速鉄道を引くのになぜバンドゥンを通る必要があるのかということだ。ジャカルタからバンドゥンまで焼く140㎞、そのうちの80kmは、山の中を通過する。バンドゥンは、確かに、アジアアフリカ会議などで有名な都市だが、なんといっても山の中の盆地、だから、その先、例えば、チレボンまで行って、やっと、ジャワ海岸沿いにでるなら、この間はやはり、100km近い距離、ほとんど山の中になる。今の高速道路を見れば、一目瞭然、難所続きで、高架橋とトンネルの連続になるはず。バンドゥンまで、たぶん、三年と言っているが、日本が言っていたように5年はかかるでしょう。チカンペック手前から山の中になるが、そこまでの、平たん地の土地価格、毎年30%以上値上がりしている。だから、地主は、現在の相場では絶対売らない。二倍でも、どうか、ということで、土地の買収に時間がかかるし、かかればかかるほど、買い取り価格も上がるでしょう。買収だけでも予算の倍以上になるでしょう。そして、着工も遅れるでしょう。

 

 そして、五年以上後に、営業開始したとしても、大赤字が避けられないでしょう。チケット料金をいくらにするか知らないが、高速道路の交通料金がジャカルタからバンドゥンまで、500円くらい。高速鉄道の料金設定は、2000円くらいにするとして、東京、静岡間(ジャカルタ、バンドゥンと同じ)を使うでしょうか。車なら、自宅から、目的地まで行けるが、鉄道は、出発駅までと到着駅からの乗り物のことと、荷物のこと、時間のこと、余計な出費ことを考えれば、相当、無駄が多い。

そして、駅をどこにするのでしょうか、ジャカルタのガンビール辺りから出発し、ブカシとカラワンのどこか、その次は、山の中になるから、バンドゥンまで駅を作る意味がない。乗客は伸びず、というより、開業時より,徐々に少なくなるでしょう。黒字にならないでしょう。台湾の赤字よりひどいことになるでしょう。

 

また、バンドゥンから先、スラバヤまで伸ばさなければ意味がないので、とりあえず、チレボンまでの延長は、不可欠だが、これが、また、バンドゥンまでより以上に難工事になるし、途中に、山以外何もない。

 

昨年。やっと、全面開通した、高速道路。チカンペックからチレボンのちょっと向こうまで(中部ジャワに入ったところ)を。見れば、わかるが、ジャワ島の北側は平坦で、町らしい町はない。工事は簡単、橋を架けるだけ、その他の他は、極端なことを言えば、ただ、レールを置いてゆけばいい。買収金額も安いし、真っ直ぐな鉄路だから、対短距離を通すことができる。高速道路は真っ直ぐすぎて、居眠りやスピードの出し過ぎ、わき見運転の事故が、ジャカルタ、チカンペック間より、はるかに多い。このことを見れば、バンドゥンなどを経由しないほうがはるかに、案としては優れている。これが、わかっていて、意識的に、こういうことを提案しなかったとしたら、日本の作戦勝ちだと思う。インドネシア政府が赤字の補填をしないのだから、なお、無茶だ。

 

いずれにしても、以上のことから、インドネシアの高速鉄道は、バンドゥン経由は失敗する。その先はできない。

高速鉄道 赤字必至 作戦勝ち

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(^_-)-☆七草粥

2016-01-08 23:23:35 | ゴルフ

 2548 日本滞在最終ゴルフ、牧の原の相良ゴルフでした。南部化成のOB会、佐々木さんとも最終でした。今回5回、ご一緒でした。天気晴朗なれども波高し、ではなく、風強でした。寒い、使い捨てカイロを両脇に貼り付け手も、寒さはこたえる。

それより、こたえるのは、やはり、同伴者のプレーの遅さ。そして、前の組のプレーの遅さ。動きが遅いうえに、クラブの準備の要領が悪い、カートの移動のタイミングと止める場所が上手くない。私は先に先に行って皆さんを待つ、日向があれば、日向で待つが、ない場所が多いので、これまた、寒くて、震えながら待つ。ところが、私たちの前のグループのプレー速度が、私たちより遅いので、その待ちも長い。同伴者は、前の組が遅い、と、言っている、プレーのリズムが壊されると言っているから、自分たちは遅くないと思っている。苦笑するしかない。

 

残り二ホールで“ピッチングが見当たらない”と、言い出した人、そのまま、最後まで無しのままプレーした。終わって、クラブの数の確認の時に、確認する人に、そのことを話していた。“見つかると思いますよ、若い人でも、置き忘れる人は多いですから“と、あたかも、あなたの認知症が進んでいるわけではないですよ、と、いているように聞こえて、慰められているようで、面白かった。その人、途中で、パターがないと、騒いでいた。ほかの人が間違えて持って行ってしまったのではないかと、皆さんに確かめていた。すると、その人、パターをもっているので、”それじゃないの”と、私が言う。その人、“アルツハイマーが進行中だね””っと、つぶやき。眼鏡を頭に引っ掛けておいて、メガネを探す人と同じだね。

 

東名高速の大井川を渡っていた時のサンライズ。

 

ゴルフ場にはここを左折する。山の中なので、前が見えないコースが多い、途中に信号があって、青ランプの時に打てる。

 

七草粥の日、娘の誕生日、孫の母親の誕生日。ゴルフの帰りに、モンブランを買った。私は、50年以上前から、家族で“何かの日“日には、モンブランを買って帰ることにしている。妻も娘も、栗が乗っかっているモンブランを好きになってしまっている。仕事から帰ってきた娘を着席させて、ハッピーバースデーの歌を歌い、モンブランに入刀、孫からのプレゼントと感謝の手紙を渡す、セレモニーの後、モンブランを平らげて終了。

遅い 待ち モンブラン

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(^_-)-☆知らないので

2016-01-07 22:54:54 | 生活

 2547 浦島太郎は、今回も、セルフのガソリンスタンドの勇気がなかった。丸子交番近くのセルフではないガソリンスタンドが、コンビニに変わってしまっていてショック、この辺りに、セルフではないガソリンスタンドが無くなってしまったようだ。グリンパに行くときには十分な量のガソリンがあった。しかし、静岡に戻る前に、明日のゴルフのために燃料を補給しておこうと思い、日本平サービスエリアに入った。サービスエリアなら、セルフではないと思うからだ。しかし、そこには、ガソリンスタンドがなかった。静岡インターで出て一般道に入ったが、左側にガソリンスタンドがない。結局、静岡大橋を渡って安倍川に西側に出たところにやっとあった、幸いにもセルフではなかった。112円でした。セルフとそうでない場所とあまり、価格は変わらないようだ。

 

ETCも買ったことがないし、使ったこともない。どこで買うのか、手に入れるのか知らない、知りたいとも思っていない。だから、高速道路に入るときに一般の緑の看板のあるゲートに入る。ペロッとカードが出てくるのは、最近のインドネシアと同じ、問題は高速から出るとき、支払ゲートに人がいなくなってしまっている。何やら、言っているが全然、耳に入らない。まず、自動支払い機?に手が届く位置に止まることができてホッとする。カードを差し込む場所を探して、カードの方向を確かめて、カードを入れる、素直に入ってくれると、ほっとする。金額が表示される、そして、面倒だから、千円以上の時には五千円か一万円を入れる、お金が入ってゆくと、また、ほっとする。そして、ゲートが上がるとホッとする。おつりが出てきて、受け取ると、ホッとする。すべてが上手くゆき、後続の車をあまり待たせなかったことで、最後のほっと、になる。

 

車線に前方の交差点でどっちに進むか矢印が書かれている。これは、法的にどう扱われるのか、知らない。インドネシアでは、ほとんど、意味がないので、気にしない。空いていれば、車線、矢印は無視して、車を詰める。日本では大変困る。直進したい、三車線の真ん中は直進に決まっているはずと思って、直進すると、右車線と真中が右折になっていて、左車線が直進と左折になっていてビックリ、仕方がないから右折する。また、その逆もある。

二車線道路で、直進したいのに左車線が左折専用になってしまっているときも困る。矢印が左折になっていることに気が付き、右車線に入りたいが、既に、車が詰まっている、割り込みたいが、勇気がないし、交通違反になるかもしれないと思い、仕方がないから、左折してしまう。

 

カーナビも使ったことがないし、買おうとも思わない、これがあれば便利かもしれないが、無駄な買い物になりそうで買わない。なしでも、迷いながら、探しながら、目的地へ行くほうが、私はいいと思う。

 

これはなんという名前でしょうか、かわいい、しゃれたデザインのものがありますね。

 

この先は、直進できないと思っていると、直進できる場合がある。交差点手前にもっと右に右折専用車線が現れて、この車線は直進に変わる。

 

インドネシアでの運転のほうが、はるかに、気を使わない。周りのことを気にせず、自由に、運転ができる。

運転 ETC 車線

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(^_-)-☆一人暮らし厳しい

2016-01-06 21:22:37 | 生活

 2546今年、二回目のゴルフ、付き合いとはいえ、よくやると思う。私を当てにして誘ってくれる方の期待を裏切るわけにいかない。奥さんに先立たれて一年が過ぎようとしている。78歳、11歳年下の奥さんに先に行かれてしまって、老後の介護を当てにしていた、面倒を見てもらおうと当てにしていた人が突然、いなくなってしまい、老人の一人暮らし。親しくしていたゴルフ仲間も、体の具合が理由で、ゴルフが出来なくなってしまっている人がどんどん多くなっている。だから、私が戻れば、完全に期待される。もう一年、インドネシアにいなければならなくなったと話すと、かなり、がっかりした様子で、それまで、生きているように頑張るよという。三月末、桜の季節には、また、しばらく、日本にいるようにします、というと、手帳を取り出して、いつにしようかなと、予定表を眺めながら、何日かにマークをしていた。今日の夕飯は何を作ろうかな、と、そのあと、つぶやいた。

インドネシアに戻れば、私も立派な高齢者の一人暮らし。慣れている私と、その方とは事情が違う。7日のまた、ご一緒する。

 

富士山静岡空港の滑走路の下を横切っているトンネル。空港ができる前には、山を越えていた道をトンネルにした。だから、空港トンネルだ。

 

着陸寸前の飛行機、便数が増えているのは明らか、ゴルフ場の真上ではないが、轟音とともに通りすぎる数が増えている。

 

暖かい日が続いているらしい。富士山の雪が異常に少ない、昨日のグリンパもその途中にも雪の形跡すら無かった。朝方、池も凍っていなかった。家の庭に霜はまだ下りていない。ゴルフ場のグリーンも凍った気配がない。明らかに暖冬でしょうね。早咲きの桜も蕾どころか、すでに、咲き始めている。

しかし、私にとっては、それでも寒い。それも、非常に寒い。20度という気温でも寒い。家族と感覚が合わない。着る服をどうしたらいいか迷う。もう数日の辛抱だから、風邪を引かないように、自分がいる部屋だけは、私が気にならない気温を保とうとしている。

乾燥も厳しい、鼻が乾く、口の中も渇く、水分をたっぷりとり、足をはじめ、腕や背中にはメンタムなどを塗り、カサカサを予防し、赤い斑点は腫れができることを防いでいる。以前は、これに悩まされたが、予防方法を見つけてからはここ二年ほど、かゆい痒さから解放されている。

寒さ 暖冬 一人暮らし

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(^_-)-☆まだ、やれる

2016-01-05 22:58:50 | 生活

 2545 約束どおりに富士の裾野のグリンパ(Grinpa)へ。9時15分出発、昔は日本ランドと言っていた場所で、近くの長泉町に住んでいた時には、頻繁に行っていた。孫とは昨年に続いて二回目になる。心配は路面の凍結だったが、暖冬で、全く、それは杞憂に終わった。ただし、裾野インターまで行ってしまったので、国道246から入る場所が分からなくなってしまって、30分ほどロスをした。到着は11時を過ぎてしまった。シニアー、子ども料金が同じ、入園と一日乗り物券(ワンデークーポン)が一人2450円×3、駐車料金が1000円。スケートが700円(ワンデークーポン所持者)×3

 

まず、主目的のアイススケート。貸し靴、できたね、まだ。初めてのアイススケートは、高校の時、担任が、行ってみるかというので、担任と同級生数人と,駿河町?の映画館の地下のアイススケート場に行った。手すりに捕まったまま、ほとんど離れなかった記憶がある。インドネシアではタマン アングレックとメガモール プルウィット(今はない)に従業員を招待し、何度も行っている。学生時代には、早朝、武田神社のすぐ東隣の潅漑用水、“竜が池”で滑っていた。そして、今は孫と一緒。

靴はホッケーを借りた。フィギアーでもいいが、ちょっと、エッジが立ちすぎていることと、前のギザギザは、つんのめりやすい。孫たちの写真を撮りながら、何とか、転ぶことなく、何周かした。まだまだ、いけるなと思う。本当はスキーに連れていってやりたいが、まだ、孫たちには早い、一緒に行けるときがくるといいが、私のほうが、どうなるか。アイススケートは二時間ほどで終わり、た~~くさんある他のアトラクション(遊具)に向かう。名前を知らない。迷路が立体を含めていくつもある。アウレチックスがある。ジェットコースターがある。とにかくぐるぐる回るやつがたくさんある。とにかく、すべてに、何回も挑戦する。付き合って疲れた。特に、立体迷路、階段を上り下り、同じ場所をぐるぐる、狭いところや障害物の通りぬけ、腰を曲げ、這いつくばり、頭や膝を打ちつけながら、彼女たちを追い掛ける。疲れ切った。

 

外国人団体さんは、ここにも、押し寄せていた。この敷地内に何箇所かレストランがある。スケート場脇のレストランに入った。多分100人ほど座れるスペースがある。入ると、すでに、団体さんが食事中、残す席は隅にちょこっとあるだけ、一斉に皆さん、私たちを見る。下の子が、ここはいや、というので、すぐ、出てきてしまった。次の場所、ここはおそらく、200人近く座れる。ほとんど、満席、食券を買う前に、席を確保してくださいと書いてある。幸い、すぐに、空き席が見つかり、食券を買いに行った。同時に、食券に番号が付いていて、ただちに、調理中の表示板にその番号が出る。出来上がれば、出来上がれば、その番号の料理が出来上がったと、アナウンスがあると同時に出来上がりの表示板に移るようになっていた。結構、ごうりてき。

 その食券購入者窓口の隣に、団体さん窓口がある。そちらも同じ方式だが、食券はすでにツアーコンダクターがまとめて購入してあるので、到着したと知れせれば、ただちに、調理中に表示される。その前に、大勢に人がたむろする。多分、そちらの調理が優先なのでしょう。次々とでき上がり、持ってテーブルに行く。すさまじい。あっけにとられる。彼らは、ここでも、食器類を返さず、テーブルに残したまま、どこかに出て行ってしまう。日本人は、子ども主体の家族連れがほとんどだが、海外からに団体さんには子供はいない。アトラクションを楽しめるとは思えない。実際、迷路などに中国人はいなかった。食事のためにここによっただけで、近くのサファリパークや子供の国や忠ちゃん牧場などを梯子するのでしょうか。

 

薄暗くなって、そこを離れる。運転は私、彼女たちは、“お休み、おじいちゃん“と、言ったきり、18時過ぎに家に着くまで、良く、眠っていた。おばあちゃんに、”おじいちゃんはね、遅いんだから、いつも、私たち、待ってばかりだよ“と、報告している。いい気なものだ。

遊園地 裾野 あったか

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(^_-)-☆初ゴルフ

2016-01-04 21:16:39 | 生活

 2544 島田コースでした。南部や富士山静岡空港の近く、南部に通勤していた時と同じルートで行ってみた。6時半過ぎで、道はガラガラ、40分くらいで着いてしまった。三日からゴルフという人は少ないのでしょう。ゴルフ場は閑散としていた、その上、曇天、寒風が吹きすさぶ。手がかじかむ。鼻水が止まらない。爆買いツアーの便が上空を通過する。ほかの人は、分厚いジャンパーを着ている。私は持っていない。だから、薄いセーターのみ。冬のゴルフのためにだけジャンパーを買う気にもなれない。あと、二回付き合う。

 

ゴルフ場での食事、食べなければならないということはないが、ほかの皆さんが食べるので、食べるが、高いし、おいしいとは思わない。食事も休憩もいらないから、通しでやってしまいたいが、必ずと言っていいほど、ハーフに約一時間の休憩が入る。食事をしなさいということだ。ゴルフ場の利益の協力をしてほしいということだ。

 

桜エビとそばのセットメニュー、まぐろの漬けどんと蟹スープのセット、やはり、おいしい。インドネシアの日本食レストランには絶対、望むべきもない。やはり、インドネシアでの値段が高い日本料理は、無駄な消費だと思う。私には、合わない。だからと言って、全く食べないというわけではないし、食べられないというものでもない。付き合いでは食べる。しかし、インドネシアの食べ物のほうが、それらしい味だし、無駄な出費が少ない。一人なら、こちらを選ぶし、作るにしても、食材の関係で、こちらになる。

 

社会が本格的に動き出すのは、明日から仕事という会社が多いようですね。インドネシアでもほとんどの会社は仕事始めです。ENDOTAも明日からだ。多分、いきなり、忙しいでしょうが、どうなることでしょうか。新製品の打ち合わせもあるようだが、これは、本当はやめてほしいと思っている。どうせ、無駄になるから、私が戻ってから、あらためて打ち合わせをしなければならないと思っている。あと一週間は、私は何もできないし、考えもしない。

寒さ 休憩 日本食

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(^_-)-☆初詣

2016-01-03 22:33:27 | 生活

 2543 浅間神社と富士川の寺からの富士山。眼下右に静高、左に静大跡地公園、その左向こうに富士山、右上に谷津山、その向こうに日本平、真ん中、奥は清水の町、清水港。

そして、寺からは、眼下に富士川、右下に東海道旧国一の橋、右上に富士市の町その向こうは、愛鷹山、左には霊峰富士、ここからなら、稜線もすそのまで、見える。いずれも、私の故郷です。

 

9時ごろ出発、まず、浅間神社へ、駐車場は満車、ざっと見て30台以上の待ち、時間の無駄ということで、静大の跡地の脇に路上駐車、ここには、たくさんの車が両側に駐車しているので、大丈夫らしい。ここから石鳥居まで400mくらい歩いた。孫たちは振袖を着て行ったが、着物姿の人には一人も会わなかった。百段を上って、途中の展望スペースまでゆく。中学から高校にかけての思い出の地である。ほとんど6年間、体力作りで、頻繁に百段に来ていた。毎回10往復はしていた。時には、賤機山(しずはたやま)にずっと登って行って、地獄谷といわれるところを、逆落とし、臨済寺から学校に帰ったものだった。

昔は百段を上った広場にも露店が出ていて、ガマの油売りがいた。刀を持って、腕に傷をつけ、ガマの油を塗ると、たちどころに、傷が消えた。多くの人が、その怪しげな油を買っていた。その場所はたくさんの木が植えられ、広場ではなくなっている。

 富春院というお寺が道沿いにある。中学一年の担任、鈴木宗元先生はここの住職だった。何度か遊びに行っていたが、奥さんが亡くなり、クラス代表として参列したことがあった。その時のお祈り?が、すごかった。坊さんが両側に10人ほど並び、色々な楽器を持って、チンジャンボンとやっていたのにはびっくりさせられた。

静大跡を横断し、車に戻ったが、高校時代と大学の夏休みにはこの構内の静大卓球部の練習場に時々、お邪魔して他流試合をしていた。

 

富士川町のお墓に行く、一年ぶりだ。私が、父親が亡くなった時、2000何年かに作った墓だ。今は両親が眠っている。父81歳、母96歳と刻んである。ここからは、富士山と愛鷹(あしたか)山、足元には富士川、ウサギは追わなかったが、小鮒は釣ったし、追い掛けた。私が生まれた土地だ。小学校の夏休みには、従兄弟の家に泊まり、セミやカブトムシを捕り、富士川で泳いだ。ミカンは手がまっ黄色になるほど、食べまくった。東京から来た従姉女学校生の正子さんの美しさにドキドキし、話ができなかった。少年時代の淡い思い出がある。

 

富士川楽座東名のサービスエリアだが、一般道からも入ることができる。寺から一分もかからない、混雑ぶりはすごい、駐車スペースがなかなか見つからないほど、ここで、昼食、私は桜エビの唐揚げ付きのうどんを注文した。桜エビは由比と決まっていて、生シラスとともに、私が子供のころからのご馳走の一つだった。

 

この地のあと何回、子供や孫や妻と一緒に、行くことでしょうか。そんな、思い入れが次第に大きくなってくる。

駿河湾の大海原と右に伊豆半島、前方に用宗、焼津方面を見ながら、国一バイパスを通って、家に戻った。約5時間の初詣旅でした。

 作った酒の絞り粕で、甘酒を作りちょっと飲んで酔っ払ってしまった。

 懐かしい 桜エビ 故郷 

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(^_-)-☆謹賀新年

2016-01-02 22:28:01 | 生活

 2542 皆様 明けましておめでとうございます。暖かで、穏やかな新年を迎えております。10日のインドネシアに戻ります。今年もどうぞよろしくお願いいたします。と、インドネシアで親しくしていただいている方々にメールをした。

 

毎年、恒例、朝はお雑煮、これが、相当シンプル、出汁スープの中に、大根の輪切りスライスを二三枚、お餅を焼いて一切れ、それにおかかを降り掛ける。それだけ、以前は、これに、ほうれん草の煮物が乗っかっていたが、今は、それもなし。昼食は、寿司折詰、毎年のこと、私が、参加人数分を買ってくる。今日は7人分、一万円弱、高っ!!しかし、仕方がない、私も食べたいし、皆さんにも食べさせたい。一年、一回のことである。

 

孫などに渡すお年玉用の千円札の新しいものがなかったので、近くの銀行のATMへいってきた。ついでに給油、ガソリンレギュラー108円でした。セルフは、未だに入ったことがない、ここは、人がいる数少ないガソリンスタンドでした。確か、前回日本にいたときには150円以上したのに、それにしても、安くなったものですね。このガスリンスタンドもそうだが、元旦から営業をしている店が多くなったものだ。コンビニは当然ながら、デパート、ショッピングモールのほとんどや商店も福袋だの何だのと商売をしている。昔は、元旦は開いている店はなかった。そして、2日が初売りと決まっていた。今は、いつ休みなのでしょうか。それは、それだけ、元旦でも買い物に出掛ける人が多いということでしょう。福袋をそんなにほしいのでしょうか。初詣にショッピングモールに行くような人が多くなっているのでしょうか。私は、福袋を買ったことがない、買ってみたいとも思わない。なぜ、福袋に多くの人が興味があるか私には理解できない。

パチンコ屋の駐車場も一杯でした。なんだか、寂しいような気がする。

 

丸子(マリコ)の宿場町、旧東海道を通過したら、丁度、獅子舞に出会った。今時,まだ、あるんだ。

 

“神経衰弱“といっても、トランプ、ムキにはなれないが、認知症のチェックをしている感じで参加していた。百人一首は、私が読み人、これは、未だに、多くの札を覚えているので、読むというより、声を出しているが、その札を探しながらだ。読み始めたとたんに、下の句は出てくる札が多い。まだまだ、忘れていないなと、これも認知症のチェックだ。私が一番はじめに覚えた札は、大江山、でした。まだ、踏みも見ず、ですね。掛詞というのも、ここから覚え始めた。幼いころを懐かしく思い出しながら。平和そのものを感じながら。

福袋 神経衰弱 平和

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