エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今日の花と空

2010年06月06日 | 日記
今日も今日とて、ヤギのおじいちゃんはカメラを持ってフラフラ。
まるで瘋癲老人(ふうてんろうじん)である。



今日の青空は、抜けるようであって何物にも代え難い色彩に満ちていた。



モミジの色の複合的な千変万化は目を奪われるのである。



桜の実が色取りどりに付いている。
食べられないけれど、楽しいのである。



今日の典型的な配色である。
もはや万緑である。

散歩していて、鉄線(クレマチス)の種類の多さに驚いたのである。



その1である。



その2である。



その3である。

色も形も個性的である。
鉄線という命名は、その蔓が鉄のように強いからと言われている。

丈夫な花である。

花言葉は「精神的な美しさ、旅人の喜び」である。
美しい花言葉である。

至高の精神を表現しているかのようでもある。




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サツキについて考える

2010年06月06日 | 日記
サツキとツツジは見分け方が難しい。
サツキはツツジより一か月程度遅れて咲き、気持ち花が小型だという。
また、花弁がろう細工のような光沢を持っている。

やっぱりぼくには見分けがつかないのである。



サツキの花言葉は「節制」である。



別の説では「協力を得られる」とされる。
花が落ちる。

落ちてもなお綺麗である。
花を拾い集めレイにしたくなるようでもある。



花弁は一定の厚みがあって、確かに蝋細工のように見える。



ところで、冒頭にツツジと見分けがつきにくい!と書いた。

英語では、つつじ、皐月など全般を「Azalea(アザレア)」と呼ぶ。
つまるところ同じである、と大雑把なアングロサクソンは決めているらしい。



確かに「大紫躑躅」は、サツキとそう違いはない。



これなどは、まるでカトレア風である。

サツキは元々岩場などに咲いていた花である。
自生していた花であって、生命力に溢れている。

それを人が勝手に採取してバイオ技術を駆使して鑑賞に耐えうる花にまで発展させたのである。



それにしても、こうして一つ一つの花を見ていると個性的な花たちであると理解できるのである。



サツキの花言葉は「節制」であるけれど、ツツジの花言葉も「努力、訓練」である。
どちらも忍耐することの重要性を指摘しているのである。

落ちている花を集めて「レイ」にしてしまった。



出来上がったところで霧を吹いておいた。
午前中この状態なら、御の字(おんのじ)である。






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