エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

相撲協会の時代錯誤

2010年06月25日 | 日記
相撲協会の賭博問題は、破廉恥そのものである。
国技という表現が、免罪符となっていると勘違いしているのであろうか。

まさに時代錯誤である。



両国駅である。



駅を降りるとすぐ目に飛び込んでくるのが、この櫓(やぐら)である。
場所中に、このてっぺんから「ふれ太鼓」が町中に響くのである。
乾いた良い音である。



この櫓の先が「両国国技館」の正門である。



江戸時代からの両国界隈の様子である。
この賑わいは、神事の大相撲が拠点を置いた所産であることで間違いないのである。

嘆かわしいのである。



故人も噂噺に花を咲かせているに違いないのである。
ここは、大相撲の原点の土地である。



大看板が泣いている。
お相撲さんが着流しで歩いていた。



悲しいのは、彼らまでが「賭博してるの?」と疑問視されていることである。
かつて「たにまち」には所謂「やくざ」が多かったのは事実である。

途方巡業の手配は、その土地土地の顔役であった。
顔役は大概の場合、地廻りであった事も言を待たない。

彼らはいま「暴力団」と言われている。
日本の神事は「やくざ」によって支えられていたのかもしれない。



おいおいお前さんたちが「暴力団関係者じゃあないのか?」と言いたくなるし、お前さんたちが「迷惑かけてるんじゃあないの?」とも言いたくなるのである。

とって付けたような白い看板が白々しいのだ。

そうそうこの高札を見てほしいのである。



相撲協会の秘密主義がここに極まっている。
報道関係者の締め出しにかかっている証左である。

「財団法人・日本相撲協会」として、反省の一片すらない事を問わず語りに語っている。



折しも、天気は晴朗。
けれど波高しである。



報道関係の餌食になっている国技など要らない!
とすら思えてくるのである。

因みに、ぼくは相撲が大好きである。
だがしかし、時代錯誤の大相撲はいただけない!






にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村
                     荒野人