萩原朔太郎に「漂泊者の歌」という詩がある。
漂泊者の歌
日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後〔うしろ〕に
一つの寂しき影は漂ふ。
ああ汝漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾〔さうじ〕として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を蹈み切れかし。
ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。
ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!
ぼくの大好きな萩原朔太郎である。
とうとう全文書いてしまった。
雲は正に漂泊者であり、寂寥の存在なのである。
空が複雑に交差する前にこそ、漂泊の旅に立たなければならない。
この彫像の名は「冬の旅」である。
髪に布を纏っているところである。
実に健康的な臀部である。
雲に聞け
行く先は雲に聞くしか無かろう
それほど
雲は流れ自在に遊弋するのだから
きみは雲を見たか
確かに見たのか
雲は何も言わないけれど
確かに
頭上を流れ去って行った
のだ
雲が表情を変えるたびに
ぼくは
心を揺さぶられ
弄ばされてしまう
雲は
ニンフであって
僕のものにはなりえないというのか
きみは妖精である
きみは飛天であって
かぐや姫である
ぼくの心は千々に乱れる。
乱されるのである。
まとまりも無くなり、やがてどこかに収斂されるのであろうけれど・・・、それはどこなのか分からない。
ある時不意に龍が現れるのかもしれないし、そうでは無いのかもしれない。
雲に聞かなければ分からないのである。
混沌が収斂されるのは、冬になってからかもしれない。
空を広くして、ぼくらは雲に聞かなければならないのである。
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荒野人
漂泊者の歌
日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後〔うしろ〕に
一つの寂しき影は漂ふ。
ああ汝漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾〔さうじ〕として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥を蹈み切れかし。
ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。
ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!
ぼくの大好きな萩原朔太郎である。
とうとう全文書いてしまった。
雲は正に漂泊者であり、寂寥の存在なのである。
空が複雑に交差する前にこそ、漂泊の旅に立たなければならない。
この彫像の名は「冬の旅」である。
髪に布を纏っているところである。
実に健康的な臀部である。
雲に聞け
行く先は雲に聞くしか無かろう
それほど
雲は流れ自在に遊弋するのだから
きみは雲を見たか
確かに見たのか
雲は何も言わないけれど
確かに
頭上を流れ去って行った
のだ
雲が表情を変えるたびに
ぼくは
心を揺さぶられ
弄ばされてしまう
雲は
ニンフであって
僕のものにはなりえないというのか
きみは妖精である
きみは飛天であって
かぐや姫である
ぼくの心は千々に乱れる。
乱されるのである。
まとまりも無くなり、やがてどこかに収斂されるのであろうけれど・・・、それはどこなのか分からない。
ある時不意に龍が現れるのかもしれないし、そうでは無いのかもしれない。
雲に聞かなければ分からないのである。
混沌が収斂されるのは、冬になってからかもしれない。
空を広くして、ぼくらは雲に聞かなければならないのである。
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