エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カラマツの下には破れた夢が埋まっている

2011年11月16日 | 日記
そうに違いない。
あのカラマツの黄金の彩りの下に、破れた夢が埋まっていなければ嘘だ。



そうでなければ、あの黄葉の見事さは説明しきれないではないか。



痛いほどの梢の尖り具合は、どうだ!
ぱらぱらと落ちかかるあの枯れた葉の鋭さは、どうだ!
針葉樹特有のあの黄葉した葉の脆さは、どうだ!



ぼくは降りかかる炎を振り払うかのように、山道を歩いた。
次々と襲いかかってくる落葉の痛さは、ぼくの放擲してきた夢の残滓であるかのようだ。

襲いかかってくる痛さは、ぼくの破れた現実の追認の痛さであるかのようでもある。



多くの男や、女や、そして欲望のなれの果てがこのカラマツの下には埋まっているのだ。



青空も、遊弋する雲も、そしてまたカラマツの梢も、生きとし生けるものの流転を見ている。
輪廻を黙って見過ごしている。



自然を畏怖する者だけにカラマツはその正体を明かすのである。
だがしかし、一体何人が畏怖の感性を持ち合わせているというのだろうか。

おそらく誰一人、そうした畏怖を持ち合わせていない。
現在の文明の死角に位置するのが、カラマツの根元である。
その根元に埋まっている破綻であるのだ。



カラマツは、そうした連想を際限無く湧出する。
冬の一場の夢であるのか?



この赤はガマズミの実だろうか?



初冬の斜面でハングライダーの教室が行われていた。
風も無く、穏やかな日和の中である。



とまれカラマツの下はモミジの紅葉である。




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 荒野人