エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

紫花菜あるいは紫大根

2013年04月18日 | ポエム
嫋に風に揺れるチューリップの添え物であったり、ハナニラの引き立て役であったり、或いは桜の借景であったりするけれど・・・。
よくよく見れば、まことに美しい。



千鳥ヶ淵の皇居の斜面に一面に咲くさまは、何とも華美に見えるのである。
ぼくは、彼女を「ムラサキハナナ・紫花菜」と呼ぶのを常としている。







「敷きつめる紫花菜目に清く」







紫花菜は、単体でも爽やかだけれど群舞の様が良い。
集合体になると俄かに華やかになるのだ。

昨日、いつもの散歩道で役所仕事の沿道整備が行われていた。
無慈悲に下草刈りが行われ、例えば姫踊子草だとか、ホトケノザ、姫女園、ヒナゲシなどが刈られてしまった。
見た目は綺麗だけれど、草花は雑草として処理されてしまっている。

寂しい。



桜が散り、その赤き蕊が散って春が深まっていく。
季語の数で言えば、春は圧倒的に多い。

多いけれど、感動の日々にあって俳句が詠めない。
感嘆詞の羅列に終わり、且つ季重ねになってしまう。
春の句は難しい。

「初心者殺すにゃ刃物は要らぬ、春が続けばそれで良い」

春の季語と初夏の季語が綯い交ぜになっている。
野人の近況である。



       荒 野人