風薫る一日であった。
誠に爽やかであって、心身共に洗われる。
幕末、国の洗濯を唱えた獅子がいた。
昨日の陽気は心の洗濯そのものであった。
緑を透かして緑を見る、の呈である。
花々は、最上の姿態をもって現れ出でる。
「花々の宴続けりシャボン玉」
蕾でさえ、豊かである。
豊穣の大気が匂い立つ。
それにしても、日本海と東シナ海はかまびすしい。
かててくわえて歴史認識の齟齬は、甚だしい。
日本は、所詮世界の大国たりえない。
パックス・ジャポニカは、夢のまた夢である。
あのバブルの時代、一瞬でも夢見たことを良しとすべきであろう。
日本は、厚みと広さ、奥行きに欠けるのかもしれない。
嗚呼、やんごとなき現実よ。
狭さと深さは、島国の育んだ美徳であり、類い希なる文化である。
とりわけ短詩形の文学は、発展した。
だがしかし、大河小説は未発達のままである。
日本では、トルストイの「戦争と平和」は生まれない。
ツルゲーネフもそうである。
日本では、私小説をもって孤高の世界を描き出した。
夏目漱石しかり、芥川龍之介しかりである。
それは、詩の世界でもしかりである。
梶井基次郎、坂口安吾、太宰治しかりである。
ホメロスの壮大な叙事詩は、日本人にはものしえない。
だがしかし、叙情詩では特筆すべき作品があまた排出している。
島崎藤村しかり、高村光太郎しかりである。
加えて、萩原朔太郎しかり、西脇順三郎しかりである。
西脇はノーベル文学賞にまでノミネートされた詩人である。
英語で詩作を始め、類例のない詩を生み出した。
萩原朔太郎と西脇順三郎は、ぼくの詩の世界の原点である。
何だか、毎年ぼくはこの時期に記憶に残る詩人を想起している気がする。
そんな気にさせる候である。
荒 野人
誠に爽やかであって、心身共に洗われる。
幕末、国の洗濯を唱えた獅子がいた。
昨日の陽気は心の洗濯そのものであった。
緑を透かして緑を見る、の呈である。
花々は、最上の姿態をもって現れ出でる。
「花々の宴続けりシャボン玉」
蕾でさえ、豊かである。
豊穣の大気が匂い立つ。
それにしても、日本海と東シナ海はかまびすしい。
かててくわえて歴史認識の齟齬は、甚だしい。
日本は、所詮世界の大国たりえない。
パックス・ジャポニカは、夢のまた夢である。
あのバブルの時代、一瞬でも夢見たことを良しとすべきであろう。
日本は、厚みと広さ、奥行きに欠けるのかもしれない。
嗚呼、やんごとなき現実よ。
狭さと深さは、島国の育んだ美徳であり、類い希なる文化である。
とりわけ短詩形の文学は、発展した。
だがしかし、大河小説は未発達のままである。
日本では、トルストイの「戦争と平和」は生まれない。
ツルゲーネフもそうである。
日本では、私小説をもって孤高の世界を描き出した。
夏目漱石しかり、芥川龍之介しかりである。
それは、詩の世界でもしかりである。
梶井基次郎、坂口安吾、太宰治しかりである。
ホメロスの壮大な叙事詩は、日本人にはものしえない。
だがしかし、叙情詩では特筆すべき作品があまた排出している。
島崎藤村しかり、高村光太郎しかりである。
加えて、萩原朔太郎しかり、西脇順三郎しかりである。
西脇はノーベル文学賞にまでノミネートされた詩人である。
英語で詩作を始め、類例のない詩を生み出した。
萩原朔太郎と西脇順三郎は、ぼくの詩の世界の原点である。
何だか、毎年ぼくはこの時期に記憶に残る詩人を想起している気がする。
そんな気にさせる候である。
荒 野人