暮春である。
新緑と言うには、色濃く、万緑にはまだまだである。
だがしかし、間違いなく武蔵野の林は緑濃くなりつつある。
春の深まりを林が教えてくれる。
色の匂い、空気匂い、そして風の匂いがそれと教えてくれるのである。
暮春という概念に、ぼくは感動を覚えている。
「からまつ」での修行の賜物である。
絶えて久しくなかった「感動」あるいは「琴線の在処」などを自覚するようになってきたのだ。
若かった頃の感性が蘇生しつつあるのだ。
今の季節、もっともその新緑の鮮明さに感動するのは「もみじ」の緑である。
「武蔵野や暮春を迎う光あれ」
色を重ねてこれほど見事なのは、紅葉を以って嚆矢とする。
実に鮮やかである。
ぼくは平林寺に出向きこの映像を捉えた。
紅葉の時期と違って、境内には人影は少ない。
それだけに、林に畏怖を覚える。
言い換えれば「ある恐怖」としても良い。
滝のように緑を零すもみじである。
風の一寸した気配にもそよぐ。
そのありのままが「心地良さ」の源泉であろうか。
荒 野人
新緑と言うには、色濃く、万緑にはまだまだである。
だがしかし、間違いなく武蔵野の林は緑濃くなりつつある。
春の深まりを林が教えてくれる。
色の匂い、空気匂い、そして風の匂いがそれと教えてくれるのである。
暮春という概念に、ぼくは感動を覚えている。
「からまつ」での修行の賜物である。
絶えて久しくなかった「感動」あるいは「琴線の在処」などを自覚するようになってきたのだ。
若かった頃の感性が蘇生しつつあるのだ。
今の季節、もっともその新緑の鮮明さに感動するのは「もみじ」の緑である。
「武蔵野や暮春を迎う光あれ」
色を重ねてこれほど見事なのは、紅葉を以って嚆矢とする。
実に鮮やかである。
ぼくは平林寺に出向きこの映像を捉えた。
紅葉の時期と違って、境内には人影は少ない。
それだけに、林に畏怖を覚える。
言い換えれば「ある恐怖」としても良い。
滝のように緑を零すもみじである。
風の一寸した気配にもそよぐ。
そのありのままが「心地良さ」の源泉であろうか。
荒 野人