エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

再びマンサク

2014年02月20日 | ポエム
マンサク。



漢字表記は、満作と書いても良いし万作でも良い。
どちらにしても、目出度い名称である。

ぼくは、巨人の星の「左門豊作」君が想起される。
花があって、しかし素朴だからである。

ぼくたちの世代、巨人・大鵬・卵焼の記憶が、脳裏に刻み込まれている。

巨人と言えば、やたらと強かったこと。
大鵬も同じで、強さのシンボルである。
卵焼は、貴重な卵で作った甘いおかずであること。

おっとっと、脱線。



春に魁けて咲く花。
その潔さこそ、身上である。
何時も感心するし、何時も書かせていただく「植物の潜在する力」。
いな、内包する強靭な生命力とでも言い換えようか。







「まんさくの空へ戻れる風も止み」







それにつけても、マンサクの花の美しさは葉に先駆けて咲く事にある事は云うまでもない。
花のついた枝に、葉っぱが無い事である。

従って、花の咲き方が姿勢正しいのである。
背筋が、ピーンと張っているのだ。



背筋が伸びている座姿や、立姿、あるいは歩く去る姿は、美しい。
いつまでも眺めていたい、と思わせる。
姿勢の良いのは、美の構成要件の一つであると合点できる。

マンサクが咲く。
姿勢正しく咲く。
美しい女性は、姿勢が良い。
誰もが憧憬する。

だから・・・アスリートは美しい。



ギリシャの彫像の美しさは、その姿勢の良さにこそある。



姿勢の良さという美的感性を壊した「ロココ美術」の価値は、その折り目正しさを認める事から出発した事にある。
これは本当の事なのだよ。



       荒 野人