エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

浅き春

2014年02月26日 | ポエム
春は、まだ浅い。
しかし「浅春」という語感に誘われるように、ぼくは出掛ける。

マフラーが、暑い。
ダウンが、暑い。
腕が、暑い。

マフラーを外し、ダウンを脱ぎ、腕まくりして喫茶店に入っている。
気分だろうか、外を歩く人の群れも胸を張っている。
縮こまってはいないのである。



温かい日、なのである。
白梅はちょうど良い咲き具合。
紅梅は、咲き方を知っている。
白梅の後を追うように咲き初めた。







「色をます紅白梅の枝の先」







 梅は咲いたか 桜はまだかいな
で知られる、明治時代に発する端唄、俗曲だけれど、全曲を紹介しよう。



曲名は「しょんがえ節」。 







梅は咲いたか   藤本二三吉   端唄




「明治時代」は・・・こう唄った。


 梅は咲いたか 桜はまだかいな
 
柳ャなよなよ風次第
 
山吹ャ浮気で色ばっかり 
しょんがいな
 

浅蜊とれたか 蛤ャまだかいな
 
鮑 くよくよ片想い
さざえは悋気で角ばっかり 
しょんがいな
 

柳橋から小舟で急がせ
舟はゆらゆら棹次第
 
舟から上って土堤八丁
吉原へ御案内



「大正・昭和」は・・・こう唄った。


 梅は咲いたか 桜はまだかいな
 
柳ゃなよなよ風次第

 山吹ゃ浮気で 色ばっかり  
しょんがいな
 

梅にしようか桜にしよかいな
 
色も緑の松ヶ枝に 梅と桜を咲かせたい 
しょんがいな
 

銀座八丁 行こうじゃないか
 
山の狐が七化けて黒い眉引く袖を引く 
しょんがいな
 

恋の浅草 二人で行こかいな
 
何をこととい(言問)都鳥
  末は千鳥で泪橋  
しょんがいな

である。
「しょんがいな」とは「しょうがない・・・考えたってしょうがない」といった意味合いの「囃子詞(はやしことば)」「間の手」である。



コートの釦を外している歩行者の群れ。
こちらまでが温かくなるのである。

去年のブログを振り返って見たのだけれど、秩父の宝塔山に臘梅を見に出掛けている。
けれど今年は、大雪で秩父まで辿り着くのが大変である。
よしんば、秩父に着いても帰りの道路はかなり危険である。



馥郁と香り立つ臘梅と、守護神のオオカミの像。
宝塔山神社の奥宮を守護し奉るのは、オオカミである。
狛犬では無いのである。

早く秩父の春浅き山塊を、歩きたいものである。
秩父に棚引く空気も、空も・・・そして同行二人の概念も好きである。



       荒 野人