エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

慢然とブランコに乗った日

2011年11月25日 | 日記
久しぶりにブランコに乗った。
打ち合わせのスケジュールを全て明日に回した結果、今日は休日となったのであった。

初冬の風を切ってブランコで揺られていると、気持ちが良いのである。



自ずと空を見上げる。
千切れた雲がプカリと初冬を彩っている。



ブランコに飽きたら、ベンチに座って炭酸飲料を飲む。
伊藤園のドリンクである。
炭酸小僧の面目躍如である・・・と一人合点するのである。

初めて飲んでみた。
シュワシュワ感は普通である。



このブランコである。
右から二つ目だ。



ブランコに乗って、先を見た。
こんな景色が広がった。



邪(よこし)まな雲が広がったけれど、上にあがっているレンブラント光線が空間の広がりを象徴した。
夕方には昨日のような時雨は来ないだろうと予感させてくれるのである。



この光線の上に拡がる空である。
美しいではないか。



ぼくはブランコに別れを告げて帰路に就いた。
夕景の都会にもオアシスが広がっている。

確かに上空から東京を鳥瞰すると、緑が比較的多い。
気分が良いのである。



空は夕暮れの気配を強めている。
明日も快晴の東京らしいのだ。




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 荒野人

美しい一日であった

2011年11月24日 | 日記
勤労感謝の日、美しい一日であった。
ただし夕刻から時雨た。
普通、時雨というのは里山、あるいは山間の集落に降る雨を言うのであるけれど、東京でも時雨として季節を感じたいのである。

季節の実生を紹介したけれど、大事な実生を忘れていた。



マユミの実生である。
東京では、今頃赤く熟れて弾けている。



見上げる!



視線を下げる。
見上げると、モミジであり、視線を下げるとドウダンツツジの紅葉である。



視線を平行にすると、キンカンである。
一つ・・・失敬して口に含んだ。
苦味と甘味が混在して、口の中がワンダーランドであった。

このキンカンも咽喉に宜しい。
咽喉がいがらっぽい時、含めば速効的に効果があるのである。

何より、爽やかな苦みである。



ヤマハゼが赤くなってきた。
ぼくにとっての、季節のバロメータである。

だがしかし、年々紅葉が遅く、その色の冴は無くなってきている。
やはり温暖化の影響なのだろうか。



三椏(みつまた)の花が咲いている。
どこからでも枝分かれする時には、必ず三つに分かれるので「みつまた」である。

三椏の皮は、和紙の原材料として最上位にある。
寒暖の差が大きい、山間で栽培される。
大体3~4年の木が宜しいのである。

栽培自体は、厳しい環境で行われる。
寒い時期こそが収穫であり、切られるような冷たい水で晒さなければならないのである。
山で刈り取り、モッコで担いで里に下ろす。
農家の高齢化もあって大変なのである。

ただ単に皮を剥いただけでは「黒皮」として取引される。
皮を剥いて水に晒して白くしたものは「白皮」として高価で取引されるのである。
最近まで、お札の原料として政府が買い上げていたのであるけれど、民需のほうが価格が高い事もあって庭先で取引されるようになっている。

葉タバコと同じで、局納農家(政府に納める)としての誇りが厳しい栽培を支えてきたのである。



木守りの一葉である。
淋しさの演出としてはベストである。



散歩しながら、公園の一画にあって美味しいパン屋さんで菓子パンを買い求め昼食を認めたのである。



炭酸小僧のぼくは、ドリンクは炭酸でなければならない。
家では、炭酸ガス入りドリンクだけれど、外では多少妥協して甘いドリンクも飲むのである。

この日は、キリン・レモン一本。
150円である。



スイス・ロールである。
110円だったかな。



アップル・パイである。
これで、全体の3分の1の量である。



100円である。



コロッケ・パンである。
130円である。

〆て490円の昼食である。
ベンチで木漏れ日を浴びながら食べる菓子パンは最高に美味いのである。

味をデッサンしておこう。
スイス・ロール・・・ロール・ケーキがパイ生地で包んである。
          しっとりして、かつ重厚なスポンジな味覚を容作っているのである。
アップル・パイ・・・外はカリカリ、中はしっとりしたアップルである。
          適度な甘さがリンゴの爽やかさを演出している。
コロッケ・パン・・・あつあつである。
          コロッケにかかっているソースが旨い。
紹介ついでに、キリン・レモンは横隔膜をヒクヒクさせつつ飲んでいくのが快感である。



今日もピジョン・ツリーがあった。
鳩がやたらと元気に飛び交っている。

温かさが分かるのだろうし、季節の美しさが分かるのだろう。

さて、今日は美しい日だと言った。
翡翠(かわせみ)に会えたからである。



ぼくのカメラではここまで。
でも綺麗!
翡翠色である。



茶色い腹も見せてくれる。
美しい鳥である。


     カワセミや小雪の空澄みきって        野 人


こんな俳句が出来た。
11月23日は24節季の一つ「小雪」であるからだ。

すると、迷子のインコちゃんが気になった。


     迷いたるインコを探す落ち葉季        野 人


小雪(しょうせつ)は冬の季語である。
落ち葉季(おちばどき)もまた冬の季語である。

飼い主さんから、丁重なメールが届いた。

「本当にあの日の自分の不注意が悔まれてなりません。でも今は嘆き悲しむよりも、とにかく捜さないとって、必ず見つかるんだって自分に言い聞かせています。(原文のまま)」

気持ちが強く伝わってくる。
早く保護してあげたい・・・メールでは、その思いが繰り返し繰り返し述べられている。

胸が痛い。
迷子のインコ探しは、恐らく幾つも幾つも幸運が重なる事が必要だと思う。
飼い主の幸運を祈りたい。

ぼくも、目を凝らしつつ歩きました・・・。
残念ながら、今日ぼくに幸運は微笑まなかったのである。
飼い主さん、ごめんなさい。




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 荒野人

この季節の実生たち・・・天使の分け前になっているのである

2011年11月23日 | 日記
天使の分け前・・・ワインでもモルトでもそうだけれど熟成の時間を過ごす樽の中で揺籃するのである。
その揺籃の時間の中で、総量が減っていく。
それが「天使の分け前」である。

心優しい人間の発想である。

今の時期、樹上には実生が目立つのである。



大分落果したり、天使と鳥に食べられた花梨である。
我が家では、この花梨(マルメロ)をスライスして砂糖漬けにする。
果液を抽出して、咳の特効薬にするのである。



イイギリの実生である。
まるで葡萄のように小粒の実生が鈴生りである。

小鳥たちは好んで飛来してきて啄ばむ。
いまだと・・・オナガなどが多く飛来しているのである。



これは・・・嗚呼、失礼。
桜の木に残った葉である。



今の季節、例えば柿などだと木に残っていると「木守柿(キマモリガキあるいはキモリガキ)」と称される。
晩秋から初冬の風物詩である。



クロガネモチの実生である。
イイギリと似ているけれど、似ているのは赤い色だけである。
実生の生り方も違う。

だがしかし、やはり小鳥が啄ばむのである。



これは臭木(クサギ)の実生である。



葉っぱなどは、指で潰すとなんとも曰く言い難い臭いであるけれど、実生はミッキーマウスの実に似ている。
可愛らしい実生である。

食べているのかどうか現認していないけれど、やはりオナガがしきりに舞い来っている。



これも失礼!
銀杏の黄葉の幹に留まっている鳩である。

あたかもピジョン・ツリーである。



ハナミズキの実生である。
やはり可愛らしいのである。

可愛らしい・・・と言えば昨日アップした迷子のインコ「ティナちゃん」はかなり可愛らしい。



こんな鮮明な写真が入手できたので、改めて紹介する。
飼い主のブログによれば、警察へ届も出しているとの事。
本当に家族なんですね。

可愛いですね。
母親のティナちゃんは白いのに、昨日お見せした子どもは黄色ですよね。

一刻も早く保護されますように。




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 荒野人

迷子のインコと木々の梢

2011年11月22日 | 日記
午前中は空気が冷たく清涼な大気であった。
その中を、ぼくは木々の梢を撮りに近くの公園に出かけたのであった。

最初の梢を見上げた時に、電信柱に何か貼っている女性がいた。



ここは、陸上のトラックである。
見ると、インコのウオンテッド・チラシである。

見てみると、新聞の折り込みチラシで記憶があるチラシであった。
「まだみつかりませんか?」
「はい、まだなのですが、このあたりで見かけたという電話があったものですから。」
というのである。



このインコである。
白いインコである。



「もしもいたら・・・と思って、子どもを連れて来ているのです。」
という。

こうした小鳥でも、最低で2キロ圏を飛んでいくと言う。
広い場合は5キロのケースもあるのだというのである。

こうして探してもらえるインコは幸せである。
いや、こうして探す飼い主の心は優しい。



梢は、もう寂しいし寒そうに感じる。
この迷子のインコが無事に保護されることを祈るばかりである。

基本データ
  セキセイインコ(メス)2歳
  羽色 白 腹部に青い模様
  名前 ティナ
  11月2日 午前8時半ころ 練馬区北町7丁目地域から飛び出てしまった

 ☆ベランダなどに来た際には窓を開けて部屋の中に入れてあげて下さい。
 ☆外に居る時に方や頭に止まったらそのまま部屋の中に入って下さい。
 ☆手で捕まえようとすると逃げてしまう可能性があります。

とのことである。

チラシには、飼い主の電話番号も記載されているけれどそれを転記する事は止めたいと思う。
もし見かけたら、このブログにコメント下さい。
すぐ対応させて頂きます。

気にかけて頂きたい地域ですが、練馬区内、板橋区内、和光市内の皆さん。

さて、梢である。
まずは黙って梢を見上げようではないか。









葉を落とし尽くしつつある・・・。





鈴かけである。

今日のテーマは梢である。
木それぞれの個性が梢に現れるのである。

梢・・・その言葉も美しいのだ。

ぼくはこの時期、木々のてっぺんを見上げつつ歩くのが好きだ。
変に尖った自分の精神を慰撫するかのように空を突くのである。





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 荒野人

末尾で恐縮だけれど、インコをお探しになっているそのチラシをお見せする。
いたずらに連絡をされませんようにお願い申し上げます。
ぼくはブログ上で自分を晒す事は好ましいと思っていません。
けれど、この方は公衆に向かってインコ探しを呼び掛けられている。
その熱意を良しとしたいのである。



これである。
よろしくお願い申し上げます。
目撃情報などご一報下さいね・・・。

村時雨が来た

2011年11月21日 | 日記
昨日は、夕方「村時雨」が来たのであった。
村時雨・・・初冬に激しく降る雨。
ひとしきり強く降って通り過ぎる時雨である。

加えて、かなり大きめの雹が降ったのである。
ぼくは、その雹を受けつつ帰宅した。
痛いくらいであった。



冬の時雨が、夕方になると襲ってくる。
北海道や北陸では雪が舞っている。

雨上がりの朝、いつもの公園に出かけた。



銀杏の葉が散り、実に風情がある。
水たまりが鏡のように、黄葉を映すのである。



サンクチュアリ・・・環境保全運動の拠点に出かけた。



静かな池が小動物の命を育んでいる。



この池にはダイサギが来ていた。
もう一つの池には、カワセミが来ていたのであった。



もう一つの池には、鴨が渡って来ていた。



まだまだ数は少ないけれど、生命力が横溢している。
渡って来たばかりであって、痩せている。



今日は温かかったせいである。
水浴びをして楽しんでいるのであった。



鴨の上の景色である。
池の水は、それほど綺麗ではないけれど・・・。



黄葉を良く映している。
まるでゴッホの向日葵のタッチのようではないか。

サンクチュアリの前では、ススキが陽を浴びている。



もう秋では無いのである。



感覚としては晩秋・・・と言えるかもしれないけれど、世間は冬に入っている。
ここでいう世間とは植物であり、小動物の生きとし生ける小宇宙である。






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 荒野人