エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

わっ、チューリップだ!

2012年04月25日 | ポエム
見事な見頃。
こんな日本語の使い方は無いのだけれど、そうとしか言いようもない。

見事な見頃なのである。



ところでチューリップの花言葉であるけれど、そのテーマは愛である。

赤 愛の告白・愛の宣告
白 新しい恋・失われた愛・失恋
黄 名声・正直・実らない恋・望みのない恋
紫 不滅の愛・永遠の愛・私は愛に燃える
緑 美しい瞳
桃 恋する年頃・愛の芽生え・誠実な愛
斑 疑惑の愛

となっている。



ぼくたちが神聖なる学生だったころ・・・チューリップは「鼻の下の長い奴!」と侮蔑の目で見られたものだ。
鼻の下が長い・・・自惚れ屋という意味合いだった。







      チューリップ花の下をも愛でよかし         野 人


      花冷えの薄紫の蹴出しかな             野 人







色取り取りの疲れた目には・・・。



これ!
ハナニラである。
単色だけれど、妙に存在感がある。

辿り着いたチューリップ。
見頃はもう終わりだろう・・・。
また、来年見に来たいものである。






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      荒 野人

チューリップへ辿り着くまで

2012年04月24日 | ポエム
国営昭和記念公園は、広いのである。
チューリップに辿り着くまで、幾つもの関所を通り過ぎなければならない。

無視して通れない花々があるのだ。



立川口から入って、噴水を過ぎ池に向かって歩く。
池の手前で左折。
直ぐ右手に、鮮やかな枝垂桜が出迎えてくれるのである。



これは花豆王である。
葉が無く、花が散った後に葉っぱが出てくる。
幹はすべすべした風合いで、あたかも百日紅である。







      八重桜ぼってり咲きぬ池の面          野 人







山吹の群生である。
黄金色の花々が群れを成す。

その季節への潔さ。
同志よ!
ぼくはそう声をかけたかった。



ムスカリの絨毯だ。
木の根元を縫って咲く。

目が覚醒するかのように「眩しかった」のである。



シモクレンである。
「紫木蓮」である。

白木蓮もその純潔が愛おしいけれど、シモクレンはドレスを着た淑女である。

とまれ、これほどの「花の関所」を通り抜けるのに時間がかかるのである。
だがしかし、それが嬉しい。





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      荒 野人

ポピーよ、きみは虞美人

2012年04月23日 | ポエム
さて、昨夕から降りだした雨が今も尚降り続いている。
窓の外から眺めれば、ボーッとした靄も張っている。
街灯の光が霞んでいるので、それと知れるのである。

車にポピー!
とかいう消臭・芳香剤のCMがあったっけ。



ポピーはそよ風にすら反応して揺れる。
しなやかに揺れるのである。






      虞美人の花たおやかに風受けぬ      野 人
               (ポピー、虞美人草は夏の季語)





花は同じ方向を見ている。
正面、横顔、後ろと夫々に画一的な方向で魅せつけるのだ。
しなやかである。
風に柳、とばかりに揺れるのである。



余程の強風でないかぎり、花の下で折れることはない。
強靭な繊維で成り立っているのであろう。



写真にする場合、風がないほうが良いけれど、風に揺れるポピーの方が魅力的である。
柳腰とはこういった風情であろうか。
着物を着た、たおやかな女性が風に向かって立っているのである。



そんな雰囲気である。



ポピーよ、君は見事なまでの美しさである。



別名・虞美人草。
夏目漱石も小説の題名にしてるくらいですからね・・・。





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      荒 野人

ムラサキハナナの群生

2012年04月22日 | ポエム
ムラサキハナナ。
実に鮮やかな花であるけれど、群生すると豪華でもある。

豪華でもあるけれど、花自体は画竜点睛を欠きかねない素朴さであって・・・実は匂いも無い。
昨日、従弟と国立昭和記念公園に出かけたのである。

従弟は、つい先日初孫が産まれた。
電話が急に入って「お兄さん、昭和公園のチューリップが綺麗だから写真撮りに行きましょうよ!」である。
聞けば、仕事以外は孫の面倒見で疲れ気味だから「息抜きしたいんだ!」とのこと。
予定をキャンセルして付き合う事としたのである。



菜の花もまだ見頃であった。
とにかく広大な敷地面積をもっている公園である。



新緑が滴っているのであった。
カツラの若葉である。

チューリップもポピーも素敵であったけれど、一画にムラサキハナナが群生している。

それはそれは見事であった。







      ムラサキの花の向こうの若葉かな          野 人






冒頭に書いたけれど、花自体は派手で無いのであってどこか画竜点睛を欠いている。







      豊かなる森が育む花菜かな          野 人






チューリップが目的であったのに、このムラサキハナナを半分近くの枚数撮りまくってしまった。
くさしたけれど、何気に愛着が湧いたのであった。



山吹の金色と実に合う。



向こうにチューリップがあれば更に豪華に見える。
このムラサキハナナが表玄関でもあるかのような佇まいである。






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      荒 野人

衛兵交代である

2012年04月21日 | ポエム
衛兵交代の儀式は、王朝絵巻である。







      風求む落書きしたき春深く          野 人







いまテレビでは韓国王朝のどろどろドラマの花盛りである。
王様と妃の間、王様と王族との関係、王様と臣下との関係などなど、枚挙に暇が無い。



とりわけBS放送では韓流一色であると言っても過言ではない。
かてて加えて、お笑い芸人の横行は目に余る。
安っぽい番組のオン・パレードである。



これでは見ている人たちが、ヘラヘラするのも当然である。
かつて大宅総一が「一億総白痴化」と日本人を喝破したけれど、その総白痴化に回帰しつつあると言わざるを得ないのである。



韓国のテレビを見ていると、日本のお笑い番組の二番煎じが流れているけれど、適度に秩序立っていて、画面を席捲しているようには見えないのである。



良い悪いは別にして、徴兵制があり、儒教的社会の骨組みの堅持、あるいはまた長幼の序に関して社会的に墨守するかの風潮など社会規範が社会そのものを律していると見えるのである。



さて、衛兵交代儀式の王朝絵巻である。



喇叭の音は、正にお豆腐屋さんの喇叭の音である。
黄色の服装の兵士が鳴らしている。



30分の交代劇である。
徳寿宮を散歩して、10時から30分間見学できる。
もちろん、無料のイベントである。



小学校の子どもたちも見学している。
自らの国家の儀式と悠久の歴史に思いを馳せるのであろうか。
歴史教育を徹底していると伺える。



衛兵交代の儀式から発想が跳んでしまった。
御許しあれ!



これは韓国批判でも、日本の映像文化の批判でもない。
ぼくの単なる所感である。







       テハンノのまだ眠りおる春の朝          野 人



テハンノ・・・大学路のことである。








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      荒 野人