エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

ソウル・徳寿宮の朝散歩

2012年04月20日 | ポエム
散歩する。
ミョンドン周辺のホテル宿泊なら、徳寿宮は朝の散歩に最適である。



その理由は、まずもって観光地の何処に行っても9時前ではまだ開店準備中であること。
従って、ゆっくりと散歩して、10時からの衛兵交代を見学して目的の場所に行くのが宜しいという事である。



今ソウルは春の色に充ち溢れている。
新しい季節が始まっているのである。



徳寿宮の内庭でも連翹が満開である。





        連翹の砲列のごと川流る         野 人






アーチまで架けている。



ミツバツツジも咲いているのだ。



桜も咲き初めた。
いまではおそらく満開であろう。

春のソウルは過ごしやすく快適である。




       一つまた一つ灯りの花ソウル          野 人






子どもたちが、小学生が歴史の勉強に訪れていた。



先生の云う事を良く聞いている。
しかし・・・小学生らしくもあり、わいわいと楽しんでいる。
可愛らしく勉強中である。



王様が執務した宮殿である。



この玉座の頭上には龍が描かれている。
龍は王様の象徴である。



障子である。
紙の楚々たる美しさを知っている民族である。



佇まいが美しい。
姿勢が美しいのである。

ここは王宮である。



冬の厳しい寒さには、オンドルである。
ここで火を焚いたのである。



火を焚いた跡が残っている。



こうした建屋でもオンドルで暖を取った筈である。
昔日の人は辛抱強く、かつ逞しい。



武具である。



かつて王宮を飾った、礎石や柱の一部である。
何気なく、置いてあるけれど、なかなかの遺跡である。




       昨日より桜が咲きぬソウルの春          野 人






宮殿の敷地内に美術館も設置してある。
その前の枝垂れ桜が咲いていた。

淡いピンクが目に優しかった。

明日は、この宮殿の正門における衛兵交代の儀式を紹介しよう。






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      荒 野人

初春の残滓

2012年04月19日 | ポエム
春深まる・・・。
今日はソウル報告は小休止としたい。
あまりにも初春の名残が綺麗だからである。



初春の残滓を探すのである。
桜の花びらが散った道。
赤みを増す桜の枝。







      眩しさやベンチにもたれ雲雀聞く        野 人







若葉と白い桜。
温かい陽ざしの中で散る桜。







      若芽越し散る花びらの哀れかな         野 人







人々が表に出てくるのだ。
人の肌が敏感なのは、この時期が一番だと思惟する。







      横面を嬲(なぶ)るか春の風柔ら          野 人







夏は気温に敏感になる。
秋は黄昏に敏感だ。
冬は痛点が敏感になるのだ。



温点、冷点、痛点それぞれが一斉に敏感になる春である。
春が深まっていくのである。



空の色が変わった。
空で、雲に変身した飛天が戯れる。

天使の声が聞こえる・・・春が深まっているのだ。
笙が、飛天のお喋りを奏でる。






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      荒 野人

インサドンを歩く

2012年04月18日 | ポエム
仁寺洞を歩くのは楽しい。
まことに楽しいのである。



この街には、この半島に割拠した王朝の記憶が未だ色濃く残っている。
それを残滓とせず、新しい世紀に適応させんとする気概が感じられてならない。

韓国とは、そういった国である。
だがしかし、慰安婦問題を始めとする様々な人間的感覚の違いが浮き彫りされて来ている。
その事は心配なのである。

領土問題、歴史教科書問題、加えてあの東北大震災への義援金問題など、頷けない事柄も多いのである。
だがそれを考慮し、差し引いても、Kポップ、韓流ドラマなどに席捲される日本のマスコミ。
韓国への渡航者の多さは驚くものがある。







       街行けば重ねた春の歴史見ゆ           野 人







インサドン散策の始めに出会うステージである。
この街は歴史のある場所である。

仁寺洞はソウルの中心部にあり、朝鮮王朝時代(1392年 - 1910年)には王宮に勤める両班たちが住む屋敷が立ち並んでいたのである。








        この路地の先の角から覗く春            野 人






今でも古い韓屋が仁寺洞付近に多く残っている。
当時のこの一帯は寛仁坊および大寺洞という町であったが、後に統合し一字ずつをとって仁寺洞となったのである。



19世紀末には困窮した両班たちが伝来の品を売り払う店を開き、以来ソウル在住の外国人たちが訪れる骨董品売買の街となってきたのであった。



街中の壁すらお洒落である。



こうしたレストランも結構多くなっている。
ぼくがかつて行ったころに比べれば格段に店が多くなっている。



観光客も多くなっている。
それはそれで結構なことである。

この街へのアクセスは簡単である。
チョンゲチョンを散策しつつ、左側に折れるとインサドンである。

インサドン・・・楽しい街である。





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      荒 野人

インサドンで伝統茶を喫す

2012年04月17日 | ポエム
インサドン・・・仁寺洞である。
ここは、骨董の街であり伝統的な書・文房具、民族的な手芸品などを鬻(ひさ)ぐ街である。

従って、伝統茶の茶館も点在する街である。



インサドンの一画である。
明日にはインサドンの紹介をしたいと思っている。



ここで伝統茶を頂いたのである。
この石像は、その入口に鎮座している。



こんな感じの入口である。
女性像は、豊かな太股が煽情的であるけれど、目尻がグッと上がっていて、このモデルがいかにも韓国人であると知れる。



なかなか雰囲気のあるスペースである。
敷地内には、瀟洒な建物が点在する。
売店も、博物館的な陳列の茶道具なども紹介されている。



春浅きソウルであるけれど、白木蓮が鮮やかであった。



見ていると、この茶館に来る人は例外なく白木蓮を撮っている。
それほどの色白美人である。

さて、喫したお茶であるけれど、三人で夫々違うものを飲んだ。



柚子茶である。




      伝統茶喫すれどなお春浅し         野 人






棗(なつめ)茶である。





      春の雨四阿におり茶を喫す         野 人






生姜茶である。





      伝統茶一服ごとの記憶かな         野 人






夫々が大きい茶碗で、一杯でお腹が膨れるけれど美味いのである。
雰囲気が飲ませるのだとしても、間違いなく美味いのであった。

韓国人の食に対するスタンスが伺われ、面白くも楽しい。
韓国に来たら伝統茶は喫する方が良い。
そういった飲み物である。





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      荒 野人

啄木忌

2012年04月16日 | 旅行
ソウルで4月13日を迎えた。
啄木忌である。

嗚呼、忘れんとして忘れ得ぬ歌人である。
社会正義に目覚め、時代に敏感な歌人であった。

小説を書きたかったのに、57577の短歌に才能を開いてしまった。
鬱屈した精神を抱えつつ、だがしかし27年という命を全うしたのであった。
デカダンスでもあった。



一握の砂は処女歌集である。
この処女歌集の、一握の砂の意味は親戚や親しい人が亡くなった時に近い親族から順に、一握りの土をふりかける風習から来ているのである。
つまり土葬の一握りの土なのである。

次いで、1912年没後に刊行されたのが悲しき玩具である。
《一握の砂》以後の194首と歌論2編を収める。
1首3行書きの平易な言葉で閉ざされた時代に生きるものの切迫した生活感情を歌いあげ、明治末期の詩的精神を代表する作品となった。



ぼくが一番好きな歌である。

      友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
      花を買い来て
      妻としたしむ

啄木の思うように行かない作家活動。
加えて病気との闘い。

啄木の鬱鬱としたしかし、妻を愛する心情が伝わってくるではないか。
胸が潰れるように熱く痛い。



    東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

    砂山の 砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠く おもひ出づる日

    たはむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず

    はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る

    ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく

    かにかくに 渋民村は 恋しかり おもひでの山 おもひでの川



ぼくの世代、誰でも一度は口の端に載せた歌である。

さて、ソウルで啄木忌の俳句を詠んだ。
ぼく自身の青春の蹉跌である。





      海峡の街訪ね行く啄木忌           野 人



      その街の記憶とどめる啄木忌         野 人



      歌われし韻律淋し啄木忌           野 人





ぼくの青春時代に、この俳句を捧げる。
青春の追悼である。







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      荒 野人