エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

今月の投句

2013年06月14日 | ポエム
今月の投句を終わらせた。
既に、からまつの兼題4句は投句してあるので俳誌「からまつ」へ7句、俳句四季へ3句である。



また、からまつの結社賞「山河賞」の投句20句も用意した。
これから推敲して、仕上げるのである。
幸い、昨年度は次席を頂いた。

今年は、山河賞を取るのではなく、新しい地平を開くべく面白い20句にするつもりである。

評価されれば、嬉しい。
そんなスタンスで応募するつもりである。







「夜来から屋根叩きたる梅雨らしき」







東京の蕎麦の花。
このように、花が枯れ始めると一挙に蕎麦の実が結ばれていく。

昨日も雨の一日であった。
今日もまた雨模様。

我が家の、パセリが雨に濡れている。
もう摘むことはない。
結構、楽しませてもらったパセリである。



         荒 野人

紫陽花

2013年06月13日 | ポエム
夜来の雨が屋根を叩いている。
昨夜半から強まった雨は、今朝もなお弱まる気配が無い。

雨音がぼくの記憶を呼び起こすとしたら、ショパン。
ピアノの軽やかなタッチ。
雨だれのリズムである・・・大分キザだね!



こうなったら、詠むのは紫陽花である。
雨の似合う花。

濡れてこそ命蘇るのである。
もっとも、森羅万象全てに共通する蘇生のキーワードは「雨」である。

麻の内、雨の紫陽花を見に出かけたのである。







「紫陽花の向こうの世界小さき国」







台風の影響だろうか、風が出ていて花が揺れる。
ビニール傘は、風に弱い。



けれど、写真を撮るとしたらビニール傘である。
雨の具合が宜しい・・・。

帰路、柘榴の花が濡れていた。



柘榴の花も葉も、水を蓄える。
キラキラと光って美しい。



梅雨。
慈雨。
緑雨。

愉快であるけれど、少しアンニュイになる。



      荒 野人

Stand Alone/森麻季 NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」より

2013年06月12日 | ポエム
今日は台風の影響で終日雨の予報となっている。
では、ユー・チューブで一つの曲を聴いてみようではないか。
森麻希の透き通る声で、スキャットと歌詞。


Stand Alone/森麻季 NHK スペシャルドラマ「坂の上の雲」より



あのドラマの感動が蘇って来ませんか。
映画などでは「203高地」で乃木将軍を描いた。
兵が無為に殺戮されていく様を描いている。



この坂の上の雲でも同様であるけれど、戦闘と戦闘の時間の中に、人間ドラマを落とし込んで成功した。
流石は、司馬遼太郎の原作である。



とりわけ、正岡子規を描いて秀逸であった。
正岡を演じた香川照之も、正岡の霊が乗り移ったかのように、鬼気迫る演技であった。
写真の正岡子規と、香川のメークした姿は正岡子規そのものであった。
香川は、役を演じるために17キロの減量をしたというのだから、その姿勢は見事としか言いようもない。





「一朶なる雲のたゆたう夏の空」





俳句の道は、社会的存在の我と写生との彼我の距離を測ることであると見つけたり!



       荒 野人


緑の海へ

2013年06月11日 | ポエム
見上げる。
そこには、緑の海がある。
深い深い緑の海である。

ついこの間、富士山の裾野に広がる樹海を見たけれど・・・こうした季節を感じる明るい緑の海が良い。







「緑さす緑の海の空はるか」







見上げる空が、遥か彼方に浮かんでいる。
その緑の魔法が素敵である。



昨日は、時の記念日。
野人の誕生日である。

孫娘が、ケーキを作ってくれた。
お子様用の、おままごとケーキだけれど「作ってあげる!」という気持ちが嬉しいではないか。



作ったのは、9日。
それを10日に食べた。
作るのに、電子レンジを使ったりして、2時間以上の手間がかかっているそうだ。

まだ5歳の孫娘。
可愛いさかりである。

口に入れると、甘くて、それでいてフルーツの酸味もあって美味しかった。
早速、お礼の電話を入れた。
すると、孫娘が「食べてくれてありがとう!」と言った。
まだまだ素直である。



      荒 野人

泰山木の花

2013年06月10日 | ポエム
泰山木の花が高みにあって咲いている。
正に、初夏を象徴する花である。

初雪のように、清廉で美しい。
加えて大柄である。
例えようもない魅力的な花である。

手が届かないからでもあろうか・・・。



ところで、昨日も晴れ。
ずっと晴れている。



昼の後、雲の峰も姿を現した。
早く雨が欲しい。



こんな空だからこそ、泰山木の花が良く似合う。
泰山木の花のための晴れであろうか。

先人の句に学ぶ。


「たまたまたづね来てその泰山木が咲いてゐて」
            山頭火
「泰山木の大き花かなにほひ来る」
            亞浪


亞浪師は、ぼくらが学ぶ「からまつ」の源流である。
平易な言葉で深い俳句を詠もうとしておられる。







「香り立つ甘さ届けず泰山木」







泰山木は、背丈がかなり高くならないと花が咲かない。
花、葉、樹形などが大きくて立派なことから賞賛してこう名づけられた。
花の形を、大きな盃(さかずき)に見立てて「大盃木」、それがしだいに「泰山木」になったのである。

伝言ゲームのように人の口から伝わり、次第に人が落ち着く表記になっていったのである。

大柄で、清廉で、芳香を放ち、白く、美しく、高みで咲く・・・花。
である。



        荒 野人