エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

タチアオイ

2013年06月19日 | ポエム
朝3時。
雨粒の大きな雨があった・・・驟雨である。
今朝はどんよりとした天が、人の世に覆いかぶさっている。

いま、チャイコフスキーの減弦楽セレナードハ長調作品48を聴きながらこの記事を書いている。
ソナティナ形式の小品は、小沢の指揮で夙に有名である。



立葵である。
花の雰囲気は「ムクゲ」に似ているけれど、非なるものである。



タチアオイ(立葵、学名:Althaea rosea、シノニム:Alcea rosea)は、アオイ科の多年草である。
属名Althaeaはギリシア語由来の古典ラテン語に由来し、語源たるギリシア語「althaia」は「althaino」(治療)と関連している。
古来、タチアオイは薬草として用いられたのであった。



花言葉は「大きな志」「大望」「野心」「気高く威厳に満ちた美」「高貴」である。
黄色の花には、別途「率直」「開放的」などといった花ことばが充てられる。



タチアオイは、垂直に伸びた花茎の下から上に咲き上っていく。
ちょうど梅雨入りの頃に咲き始め、梅雨明けと共に花期が終わる(花茎の頭頂部まで開花が進む)ことになぞらえて、「ツユアオイ(梅雨葵)」という別名も冠されているのである。







「タチアオイ花序に従い咲き上がる」






無限花序 (英語: indefinite inflorescence) は、花茎の主軸の先端が成長しながら、側面に花芽を作って行くような形のものである。
多数の花が並んでいる場合、基本的には先端に遠いものから順序良く花が咲くのだ。

無限花序・・・イマージュを膨らませてくれる言葉である。



誠に眼に美しき花である。
花であるけれど、見頃は短い。
花には、蜜も多いらしく蜂が留っているのを見かける。

アリンコも多く花に駆け上っている。
そのせいもあるのだろうけれど、花弁がすぐにヨタッとしてしまうのである。

しかしながら、花の命は短ければ短いほど愛おしい。



         荒 野人

花菖蒲

2013年06月18日 | ポエム
数日というもの、雨に降りこめられた。
昨日は、久しぶりの晴れ間。

東村山の菖蒲を見に出かけたのである。
菖蒲は、今が見頃。
咲き誇る様は、見事である。



ただし、菖蒲はいくら咲き誇っても「圧巻」とは言わないのである。
それは、水の中に在る・・・水の中で咲くからである。
水が見事に鑑賞作用を果たしてくれる。
胸一杯になることが無いのである。



実に床しき花である。



菖蒲の鑑賞は、池の周りをそぞろ歩くか、水郷に巡らされた木道を歩いて鑑賞するのである。
ぼくは、どちらかち云うと木道が好きである。
潮来などでは、舟に乗ってなどといった趣向もあるけれど、木道を歩くに限るのである。







「花菖蒲水に映りし人の憂さ」







東村山の北山公園は、正しく木道である。
菖蒲の花の中で、人が佇んでいるように見える。それが良いのである。



けれど、写真としては人が写り込まないほうが好きである。
この菖蒲は去年も見に来たけれど、年々花が多くなっている。

水の流れが豊かになっている証左である。




       荒 野人

遅れてヤマボウシ

2013年06月17日 | ポエム
昨日は、午後からは穏やかであった。
朝の内の雨は、シッポリと濡れる梅雨特有の雨であった。

日曜日の天気としては、歓迎されざる半日であったのだ。
午後、閉じ込めれていた家を出た。

雨上がりの空は・・・。



雲が綺麗であった。



そう、まるで箒草で掃いたような雲が遊弋していた。
下界は、人が棲んでいる。



花々が咲く、小さなコスモスである。
その小さなコスモスに、遅れてやってきた花がある。







「軒の下遅れて咲けるヤマボウシ」







ヤマボウシがみっちりと咲いていた。
まるで、既に討ち死にした同輩を悼むかのように咲く。

そんな風に思ってはいけないのだろうか?



        荒 野人

今日も雨

2013年06月16日 | ポエム
昨日は、晴れ間が広がった。
けれども、空は必ずしも晴れ渡った訳では無かった。



今日は、朝から篠突く雨である。

こんな雨、詩人の西脇順三郎は「女神の行進」と詠った。
慈雨であると、喝破したのである。

既に故人となったけれど、ぼくの好きな詩人である。



昨日は、水の人になった。
プールで遊んだのである。

紫陽花のように、生き生きとするのは楽しい。







「万緑の雲の隙間の広ごりぬ」







そろそろ万緑で良かろう。
緑の重なりが、次第に黒実を帯びてきつつある。



それを、更に印象化するのは空である。
あえて、天であると言い換えたい。
誰の上にもある天は、あまねく広く人の上にある。



           荒 野人

図書館の

2013年06月15日 | ポエム
図書館。
公園の中にある図書館は、しっとりと佇んでいる。

この間、子烏を調べに図書館に出かけたのである。
歳時記を中心に、閲覧したのだ。
個人では購えない歳時記もある。
購えても、置き場所に困るのである。







「図書館の窓は緑のスクリーン」







とりわけ「大」の字が付くと、やたらと大きい。
必要個所をコピーして活用するのである。

俳句を始めてからというもの、図書館での調べは必要になってきている。
主宰の書斎には、歳時記の分厚いのがあって羨ましい!
と思ったけれど、こうして図書館を利用するのも良いものである。

何より、図書館へ行く道すがらが良い。
この間調べに出かけた時、紫式部の小さな花を見つけた。
発見が楽しいのである。



この紫式部の花は、小紫の実が秋の灯を照り返してくれる。



まだ秋には遠い。
これから夏が始まると云うのに、植物は秋の準備に余念がないのである。

なんと愛おしい世界であるのか・・・。




         荒 野人