エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

蝉死す

2014年08月26日 | ポエム
最後の一鳴き。
この蝉は、幼児の背の高さにとまっていた。
少し手を伸ばせば、すぐ捕捉出来る距離でもある。



盛んだったころ、こんな低さで鳴いてはいなかった。
だがしかし、蝉時雨はこうした最後の一鳴きが醸すのだ。

そう思うと、無性に侘びしさが募る。



蝉の生涯に想いを馳せる。



朽ちる。



轢かれる。
哀しい最後である。



この子は、朽ちていっても幸せである。
草の褥が、用意されているから・・・。







「落蝉の大気の湿り身に纏い」







空蝉も哀しいけれど、亡骸はもっと哀しい。



昨日は、蝉の死に際だけ追いかけた。
時間の無情を身に沁みて感じたかった、からである。




       荒 野人

ヒマワリといえば

2014年08月25日 | ポエム
ぼくたちの世代、ヒマワリと云えばソフリア・ローレンとマストロヤンニだ。
あのテーマ曲とともに蘇ってくる。
美しくも悲しい男と女の物語である。



戦争が引き裂いた二人の、悲恋だ。



ひまわり テーマ曲  ソフィア・ローレン マルチェロ・マストロヤンニ




ソフィア・ローレンのポッチャリとした唇がひまわりと対をなす。
彼女を起用した監督に敬意。



彼女は向日葵のような女優である。







「知り合いと出会うひまわり畑かな」








加えて、マストロヤンニの演技が光る。
男の苦悩とは、こうしたものだと知れる。

ヘンリー・マンシーニの音楽はテーマにそって、絶妙である。
何年経っても、この主要テーマを聴くと映像が浮かんでくる。

いくさ・・・その無情が心に響く。
何故かしら、今年ほどこの映画が想起されるのだ。

因に、画面を覆いつくすひまわり畑は全てソ連時代のウクライナの首都キエフから南へ500kmほど行ったヘルソン州で撮影されたものである。




        荒 野人

ひまわり

2014年08月24日 | ポエム
向日葵と漢字表記する。
群生する黄色は壮観だけれど、目にはそれほど優しくない。



圧倒されるからである。



向日葵の一輪は、癒し効果が大きい。
かてて加えて、眼球の疲れすら癒してくれるのだ。







「ひまわりや花占いに適さざる」







実はこのひまわり畑、東京都清瀬市である。
石田波郷が結核で療養していた病院も、この清瀬市である。



この向日葵の開花、少し遅れている。
向日葵の向こうの雲は入道雲である。

その雲の峰の上には、秋の雲が遊弋している。
二つの季節の雲を同時に見ると、良い事がある・・・という。
吉祥の空である。



向日葵の間を歩いていていると、変な錯覚に捉われる。
自分が・・・向日葵の仲間になったような気分である。



向日葵の仲間と云うと、彼・・・。
揚羽蝶である。

フラフラと花の間を飛び交って、やがて何処かへ消えていった。
夏の蝶は、いまいち元気が無い。




        荒 野人

夏の終わりに

2014年08月23日 | ポエム
夏の終わり・・・大雨の被害が広がっている。
多くの方がお亡くなりになった。
慎んで哀悼の誠を捧げるものである。

年齢に関わりなく、運命が襲いかかったのだ。
心が痛む。
同時に、為政者の無策の結果に血液が沸騰する。
天災であり、人災である。

皆さんと共に「黙祷」。



緑が、やけに目に沁みる。
雨が欲しい・・・けれど今日はまだ降りそうにない。







    夏の終わりに


  たしかに
  夏の火照ったからだが

  鋭く放擲(ほうてき)されて
  傷んだたましいとともに
  流離(さすら)う

  夏の終わりに
  ぼくは
  屹立する

  たしかに
  夏の火照ったからだは

  こころと乖離(かいり)して
  滾(たぎ)るような言魂とともに
  流離う

  言魂は
  何も産まず
  ただ流離う

  流離い
  傷み
  毀(こわ)れ
  消滅するのだ

  夏の終わりの
  鈍色(にびいろ)のこころは
  ささくれ立ってしまった
  誰が
  悪いのでも
  無い
  ぼくの
  自意識過剰の資産が
  膨れ上がった
  だけなのだ

  夏の終わりに
  ぼくは
  密やかに
  慟哭する
  心の傷みと共に
  慟哭するのだ
  緑の雨は
  もう降らない

  夏は終わり
  秋隣
  寂寥を
  押しやり
  ぼくは
  夏の終わりを
  楽しむのだ

  たしかに
  夏の火照ったからだは

  こころと乖離(かいり)して
  滾(たぎ)るような言魂(ことだま)とともに
  流離う
  のだ







空を見上げればよろしい。
雲の形が、すっかり秋へと移ろいでいるのだ。



万緑を詠いあげた並木が、涼やかに感じられるのは・・・ぼくだけだろうか?



うろこ雲、いわし雲が空の主流に変わりつつある。
昼と夜の気温の差が、徐々に大きくなってくる。

残暑は、もうしばらくだ。
本当か?



      荒 野人

臭木の花

2014年08月22日 | ポエム
臭木の花が、ほぼ満開である。



花の形は「夜来香」のようである。
けれど放つ匂いは、梔子のような甘さである。

それなのに臭木とは、あまりに酷いではないか。

夜来香葉、噎せかえるように匂いを放つ。
けれど、臭木は引き寄せると匂う。







「臭木咲く寄るな触るな汝が肌に」







実に慎ましやかな花である。
この花が何故「臭い木」なのか・・・。
臭木は日当たりのよい原野などによく見られるシソ科の落葉小高木である。
葉を揉むと悪臭を発する事から、この名があるのだ。

花言葉は
「運命」「治療」である。



この臭木の傍のベンチで、本を読む女が一人。
なかなかの雰囲気である。



暫く見ていたのだが、座っている右横に缶ビールが一缶。
時々グビッと呑んでいる。

ビールを嚥下する白い首が、妖しげに蠢いて男を惹きつける。




      荒 野人