エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

用水跡

2014年08月21日 | ポエム
ぼくの住む地域には、田柄川が流れていた。
いまは、暗渠となって散歩道下の土管を流れているのだ。
従って、表出している河川は空と云う訳である。



空の河川というのは、何という事も無く寂寥感を演出する。
「ああ・・・ここには川があって水の風景があったのだった!」という感慨が寂寥を醸すのだろう。







「用水路と云う痕跡夏木立」







ここは、田柄川の用水跡である。
少しだけコンモリとした林の中にある。



見上げれば、万緑が滴る。
空の川に万緑。
取り合わせの妙である。



時間を感じると云う事が、類い稀なのである。




        荒 野人

雨上がり

2014年08月20日 | ポエム
豪雨の被害が広がっている。
安穏としていられない。

テレビの画像で流されている「悲惨」は、決して他山の石では無い。
ぼくらが小さかった頃、竜巻なんてアメリカの自然現象でしかないと思っていた。
いまは、日本列島どこでもあり得る自然現象となってしまった。

過日、雨上がりの公園を歩いた。



水たまりに緑が映っている。
それはキラキラとして、しかし目に優しい。



その水たまりを、跳び越えた。
もう、すっかり足腰の関節が固くなっているのだけれど跳び越えられた。

なんとなく嬉しい。



水たまりの先には「夏木立」が広がっている。







「木管の鋭き高さ夏木立」







だんだらの木陰が涼しい。
涼風が渡っていくのである。

夏木立の向こうには、翡翠の池がある。



お澄まししている翡翠である。



突然、水面に急降下する。
小魚を捉えたのである。

鮮やかなコバルト色である。



獲物を狙っていた石の、隣りの石に乗り移って、またまたお澄ましである。
可愛らしさを増幅させる。

命の連環を強く感じさせてくれるカワセミである。

誰かが練習しているのだろうか、森の奥からピッコロが聞こえてきた。
おそらくベートーベン:交響曲第9番第4楽章。

ぼくたちは、たとえばスーザの「星条旗よ永遠なれ」などで良く知っている。
高音域が、美しく且つ鋭い木管楽器である。



       荒 野人

豊島園のプール

2014年08月19日 | ポエム
芋を洗うようなプールであった。



波のプールのビッグ・ウエーブが始って、プールに蛇入っていく人々である。
プールの点検のため、全員がプールサイドに上げられる。



点検が終わり、大きな波が起こされる。
監視員のホイッスルが鳴り響く。
一斉に、波をめがけてはしいる姿は壮観である。







「大き波大きなそてつ夏惜しむ」







豊島園は、かつては井戸水だったから冷たい事で有名であった。
けれども、いまは保健所の指導で上水道の水の使用となった。

以前と比べると格段に温い。
けれどもこの湿度の高い環境だと、冷たく感じる。
水遊びの楽しさが満載となっている訳である。



豊島園のプールには、大きなそてつの木が葉を広げていて南国気分を感じさせる。
いわば、シンボル・ツリーである。

待ち合わせの、一つの目安でもある。
夏の遊びは、水に限るのだ。



     荒 野人

rippleさんから、これは「しゅろ」では無く「そてつ」だと指摘があった。
ありがとうございます。
今後は注意して書きます。

同床異夢

2014年08月18日 | ポエム
蝉の生涯ほど「同床異夢」という四字熟語が似合う生物は、いない。



土中から這い出る。
脱皮する。
空蝉を残して鳴き続ける。
鳴き疲れて樹上から落ちる。
生涯を終える。



空蝉と死する場所とはそう違わない。
そう思う。







「空蝉の同床異夢と云う定め」







空蝉と言えば、日本人は源氏物語を連想する。
だがしかし「儚い命」に想いを馳せるべきだろう。



生れ出る時も、死する時も同じ匂いの場所を選びたがる。
人間と同じではないか。



それが哀しい。
哀しい性であるのだ。

因みに、この写真は創ったものではない。
この画像通り、空蝉と亡きがらが並んでいたのである。




      荒 野人

辛夷の実

2014年08月17日 | ポエム
今頃である。
辛夷の仄紅い実が、葉影を彩っている。



この実の形が「こぶし」の名前の由来である。
そう・・・手を握りしめて「拳骨」の形に見える。
だから「こぶし」なのである。

この実が秋には真っ赤になり、初冬には割れて中の実生が零れる。
今頃のこの辛夷の実は、歳時記には記載が無い。
従って、季語となっていないけれど晩夏の季語であって良いのではないか!







「辛夷の実健気にしかし逞しく」







まるで季節外れの現われ方である。
辛夷は、どっこい生きている。
拳骨を突き出しているのであある。



なんとも健気ではないか。
その健気さに、ぼくは人知れず感動する。

植物の連鎖の頑さについてである。



      荒 野人