エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

春の色は黄色

2015年02月13日 | ポエム
春の色は黄色である。
過日紹介した「菜の花」もそうだけれど・・・。



黄水仙もそうである。

ミモザもそうである。



ミモザの蕾が膨らんで、黄色が増している。
その程良さが良い。







「品性やつぼみ膨らむ浅き春」







ミモザを冠した俳句集団がある。
俳誌は持っていない。
従って、自句自解を学んだり、俳句の鑑賞をするなどの学びの機会はない。

言わずもがなであるけれど、集団のトップは人品骨柄の良さが滲んでくるようでなければならない。
俳句の品の良さは、自ずと滲み出てくるからである。
この品性は、俳句暦の如何を問わない。

さて、昨日のカワセミをお見せしなければなるまい。
カワセミのほうが、より豊かに感性を刺激してくれる。
クリエイトする向上的刺激・・・が与えられるのだ。



獲物を狙う精悍な視線であり、眼力である。
鷹が男前だとしたら、カワセミはダンディーである。

好き嫌いは、ほぼ半数ずつ。
性格判断に使えそうである。



       荒 野人

エクソダス:神と王

2015年02月12日 | ポエム
映画「エクソダス」を観た。



IMAX3Dで観た。
その迫力と、画像の細密性は見事である。
とりわけ、荒野を進むモーゼたちの群像は広さと雄大さを併せ持つ。



旧約聖書の出エジプト記が、下敷きとなっている映画である。
エジプトが舞台。
モーゼが率いるイスラエルの民の大移動・・・乳と蜜の流れるカナンの地への移動である。



設定は、出エジプト記でも奴隷として働く民が描かれる。
イスラエルの民が、エジプトから脱出するまでの苦難は十の災いに描かれる。

十の災い(とおのわざわい)とは、古代エジプトで奴隷状態にあったイスラエル人を救出するため、エジプトに対して神がもたらしたとされる十種類の災害のことである。
出エジプト記に記載されており、詳細は以下の通り。

1. 水を血に変える(7:14-25)
2. 蛙を放つ(8:1-15)
3. ぶよを放つ(8:16-19)
4. 虻を放つ(8:20-32)
5. 疫病を流行らせる(9:1-7)
6. 腫れ物を生じさせる(9:8-12)
7. 雹を降らせる(9:13-35)
8. 蝗を放つ(10:1-20)
9. 暗闇でエジプトを覆う(10:21-29)
10. 長子を皆殺しする(11章、12:29-33)



第七の災い、氷河激しく降る様である。



映画「エクソダス:神と王」ユナイテッド・シネマロゴ & 予告C & リアルD






最後の災いである。
この災いの後、フアラオはイスラエルの民野エジプトからの出国を許すのである。







「災厄も戒律もなお冬の中」






その大移動の中で、モーゼがシナイ山において神より授かるのが十戒である。


十戒

1. 神が唯一の神である
2. 偶像を作ってはならない(偶像崇拝の禁止。別の神を作っても拝んでも仕えてもならない)
3. 神の名をみだりに唱えてはならない
4. 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ(6日間働いてすべての仕事をし、7日目はどんな仕事もしてはならない)
5. あなたの父と母を敬え
6. 殺してはならない
7. 姦淫してはならない(結婚前、配偶者以外との性行為)
8. 盗んではならない(誘拐を指しているとの見解もある)
9. 偽りの証言をしてはならない
10. 隣人の家を欲しがってはいけない(妻、奴隷、牛、ろば等全て)

この映画が旧約聖書に忠実であるかどうか、論点になった。
エジプトは上映を禁止した、と聞く。

だが、所詮は娯楽大作である。
少なくとも、チャールトン・ヘストンの十戒よりは聖書の記述に近づけようとする姿勢は伺える。



それで良いと思う。
イスラム国なら激怒してテロに走るかもしれない。
けれど現在文明は、キャパが広くなっている。

許容範囲の内である。
ただ・・・紅海が閉じる映像は津波を連想させて哀しい。
もう少し時間をおいて観たかった映画ではある。



      荒 野人

まんず咲く

2015年02月11日 | ポエム
そう・・・再びマンサクの花である。
マンサクの色味、三題とでも言いましょうか!

近頃、舗道脇に植栽されている「トキワマンサク」とは違う。
まさしく山野で咲くマンサクである。

ベニバナマンサクは、誠に見事な赤である。



トキワマンサクにもベニバナを冠するけれど、このマンサクは見事である。



いつもでも、眺めていたい花である。







「まんず咲く色合いあえか春きざす」







こうして色味の違う花を眺めるのは、好きである。
ただし、句は詠めない。



このマンサクは、川口の植物センターに咲いている。



様々な色味を探すのも楽しい企てである。



                荒 野人

苔の春

2015年02月10日 | ポエム
苔の世界には、もう春が来ている。
鮮やかな青の世界、ミクロの世界である。



冬枯れの季節だけれど、やはり春が立ったのだと思い知らされるのだ。
苔が大好きな、ぼくも大好きなのだけれど・・・ある女性がいる。



その女は、開きかけた梅のようである。
匂い立つフェロモンが鼻孔を刺激する。
胸が痛むほどの、存在である。



雨上がりに、苔の様態を観察したのであった。
苔が濡れないように、護ってあげられない。
それは哀しいけれど、雨に濡れる・・・それが苔の宿命なのだ。







「冬枯れやものみな生きる石の上」







苔の上に野鳩が止まった。
啼くでもなく、ひたすらに苔の感触を楽しんでいる。



ビロードの感触が、懐かしいのだ。
母のお洒落着だったかもしれない。



      荒 野人

道すがら

2015年02月09日 | ポエム
道すがら・・・ぼくの好きな言葉であり、思索の時間帯である。



小径であればあるほど、その時間帯は充実する。
例えば、こんな風に新鮮な発見がある。



朽落葉を切り開くように、福寿草が頭を出している。
こうした発見は、感動をくれるのだ。



「イヤイヤ奇遇ですね!」と話しかけてみたくなるではないか。
誰もが、殆ど見過ごしていく。
残念だけれど、あえてぼくも教えるような無粋はしない。



薄氷だってそうだ。



おそらく公園の作業員が器に張った氷を割り難く、躊躇ってこうして置いたのだと思う。
その気分が伝わってくるではないか。







「陽射し溜め硬さの証白き梅」







雨上がりの麻、梅の枝に取り付いた雨滴がキラキラと輝いている。
瞬間の美学である。



       荒 野人