エピローグ

終楽日に向かう日々を、新鮮な感動と限りない憧憬をもって綴る
四季それぞれの徒然の記。

カワセミとサギ

2015年02月08日 | ポエム
カワセミとサギ。
何故こんなに、この場所に何時も居るのだろうか?

環境が良くなったとでも言うのだろうか?



これは、アオサギ。
数えきれないほど池の周囲にいる。



これはダイサギ。
みんなシラサギという。
でも・・・シラサギと云う固有名詞乃至学術名は無いのだと云う。

どこかで「シラサギですね!」と言った時、即座に横の学識豊かに見える老爺に指摘された。
それ以降、ダイサギと教えられたままに呼んでいる。







「カワセミの一閃時空切り裂ける」







それにしたって、カワセミはやはり翡翠色の宝物だ。
このカワセミが一閃して池の面を滑空する様は、見事である。



ほぼ毎日で合えるぼくは、とても幸せである。
カワセミに出会えると、鬱屈した気分が晴れて行くのを感じるのだ。

厄介な事柄だとか、或はまた迷惑な事柄などが忽ち消え去っていく。
ぼくの内なる「リセット」作用が起きるのである。



      荒 野人

浮寝鳥

2015年02月07日 | ポエム
誠に長閑なのだけれど、実は結構寒いのである。
鴨もじっとして浮かんでいたり、小さな波(鴨たちが滑ったり、着水したりした時に出来る)に身を委ねている。



波のままに流されていく。
それも、実に心地良いに違いないのである。



寒いからこそ「浮寝鳥」となる。
そして、穏やかに寝(やす)み心身を水面に委ねる。

浮寝鳥は、寝んでいる時に白目である。
白目で、それと知れるのである。

鴨にとっては、充実した時間であるに違いない・・・のである。







「浮寝鳥白目剥き出し流れゆく」







この二羽の鴨は、カラスの羽音に驚いて起きてしまった。
水かきは、きっとかなり忙しいに違いない。

それも自然とともに生きる、と云うことである。



この日、夕景のシルエットが絵画的で影絵のようであった。
ぼくは、吸い込まれてしまいそうになった。

嗚呼・・・同化してしまいたい!



       荒 野人


マンサクの花

2015年02月06日 | ポエム
春の魁である。
日本の山野で、春一番に咲くのである。



満作、万作、金縷梅と書いても良い。
学名は「Hamamelis japonica」である。



昨年も書いたけれど、マンサクの語源は、早春に咲くことから「まず咲く」「まんずさく」が東北地方で訛ったものともいわれている。

まんず咲く。
そうした感性が好きである。
例えば奄美大島で「ハイビスカス」は「年中花」と言われる。
一年中咲いているからである。







「マンサクの兆しの色や肌湿る」







花が開く前は、黄色が濃い。



この蕾が、開くと紐状の花弁を風に閃かせるのである。
なぜかしら、官能を刺激される花である。

因みに花言葉は「霊感」「ひらめき」である。
3月 21日の誕生花であると付記しておこう。




        荒 野人

節分

2015年02月05日 | ポエム
今年の節分は、沖の能村主宰の吟行に参加させていただいた。



能村主宰の選句と、鑑賞は常に納得させられる。
添削は、要点を押さえ詠んだ者を尊重する視点が素晴らしい。

と・・・少し生意気だけれど言わせて頂いた。

吟行は総武線「下総中山駅」に近い「法華経寺」である。



ここの豆撒きは「福は内」のかけ声だけである。
鬼子母神をお祭りしてあるからである。

この扁額をご覧頂ければ分かるのだけれど・・・。
鬼の字に「角」が無いのである。



善男善女が福を求めて集まっている。
ぼくたちは、この広場から遠壽院の荒行堂に向かった。



この寺院は、日蓮宗の荒行を行う唯一の場所である。



2月10日に満行を迎える髭ぼうぼうの僧侶の読経と豆撒きに立ち会えるのである。
タレントや有名人の豆撒きも派手さがあるけれど、ここの豆撒きは感動的でさえある。







「阿吽形見守る座敷豆撒ける」







この僧侶の音声は、野太くて身体中に沁みてきた。
手の平を合わせ、頭を垂れて聴いた。
自然に涙が溢れてきたのであった。



ぼくたちは、阿吽の像が見守る座敷に座った。

一回の行を行うと、体力の回復には3年はかかると云う。
5行が基本であって、中には7行の方もおられると云う。

信仰の力である。



白い袈裟を着用している僧侶が、荒行を行っているのである。
全国津々浦々、荒行を経た僧侶がおられる。

誠に感動的である。




       荒 野人

横浜中華街で食す

2015年02月04日 | ポエム
久しぶりの中華街であった。
雪の翌日、風寒の一日だった。



友人夫妻に、北京ダックの夕食に招待して頂いたのである。
幸い、雪の後から雨が降ったせいか舗道には全く雪は残っていない。
足元も大丈夫である。

我が家からは、乗り換えなしで「元町中華街」駅に行ける。
便利になったものだ。



夕食のメインは「北京ダック」である。
でも・・・前菜から始まる中華のコースは充実したものだった。

フカヒレの姿煮。
肉料理の数々。
野菜の豊富さ。
アワビの煮物。


そして北京ダックは、ダックの皮を中心とした量の多さ。
ネギの千切り、キュウリの千切り、そして甘味噌のこくの深さ・・・。
それらの具材を包む、皮は、蒸篭で暖かいまま供された。

ダックはテーブルまで来て、削いでくれる。
至福の時間が迫ってくる。







「電飾の賑々しさのきりもなし」







寒い夜。
中華街を歩く人の数は多い。



寒い夜。
美味いものを食う夜である。

酒は当然「紹興酒」である。
人肌の紹興酒を酒器に満たす時、人は恍惚の時間を迎える。
金色の時間である。



夕食後、二組の夫婦は町を少しだけ散策した。
そして、杏仁豆腐ソフトクリームを2つ買い求めて食べた。
酒で火照った身体を、ソフトの冷たさと甘さが柔らかく包んでくれたのであった。

次は「牡蠣」を食べに出かける事を約束したのであった。



         荒 野人