自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★中越沖地震から3ヵ月

2007年10月23日 | ⇒トピック往来
 ことし日本海側で起きた地震が能登半島地震(3月25日)と新潟県中越沖地震(7月16日)だ。ともに震度6強。断層の数だけ地震はいつか起きるとはいえ、なぜ日本海側でこうも続くのかと思ってしまう。2004年10月23日の新潟県中越地震を入れるとこの3年で3回もだ。

 今月21日と22日、中越沖地震で震度6強の震災に見舞われた新潟県柏崎市を訪ねた。被災直後、同市では避難所が71カ所で開設され、ピークで9859人の被災者が避難所生活を余儀なくされた。JR柏崎駅のすぐ近くに仮設住宅が建てられていた。9万4千人の都市のど真ん中が被災地だった。

 震災から3カ月を経ているものの、思ったより復旧が遅れているとの印象を受けた。何しろ、アーケード商店街の歩道のあちこちにおうとつがあって歩きにくい。2回もつまずいた。路地裏の住宅街に入ってみると、全壊した家屋がそのままの姿で残っていた=写真=。

 復旧は遅れているのか。その理由について、取材のため訪れた同市のコミュニティ放送「FMピッカラ」の放送部長、舟崎幸子さんがこう解説してくれた。最近の中越沖地震の関連ニュースは柏崎刈羽原発の「地盤問題」に集中していて、街の復興にはスポットが余り当たっていない。すると、傍から見る視聴者は、街中はすでに復興しているものと視聴者は錯覚するのではないか、と。

 解説を加える。能登半島地震の場合、能登有料道路が随所に崩壊し、それが「生活の大動脈が断たれた」と繰り返しマスメディアで取り上げられた。すると、行政も復旧ポイントに優先順位をつけて全力投球で工事をする。能登有料道路は2ヵ月後の5月の観光シーズンには仮復旧していた。それを「県土木の意地」と地元の人たちも賞賛したものだ。

 ところが、中越沖地震の場合、マスメディアを通した耳目が柏崎刈羽原発に集中してしまうと街の復旧や復興の様子が県民・視聴者には見えにくくなってしまう。もちろん行政は全力投球しているだろう。被災地も能登に比べ広く、復旧工事が行き渡っていないのかもしれない。中越沖地震の復興は、原発というシリアスな問題がある分、盲点ともなりかねないのではないか。柏崎の街を歩きながら、そんな気がした。

⇒23日(火)朝・金沢の天気   くもり

 

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